フランシス・フクヤマ
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フランシス・フクヤマ
人物情報
全名フランシス・ヨシヒロ・フクヤマ
生誕 (1952-10-27) 1952年10月27日(71歳)
アメリカ合衆国シカゴ
学問
活動地域 アメリカ合衆国
研究分野国際政治経済学
民主化
主要な作品歴史の終わり
影響を受けた人物アレクサンドル・コジェーヴフリードリヒ・ニーチェゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルソクラテスなど
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フランシス・ヨシヒロ・フクヤマ(Francis Yoshihiro Fukuyama、日本姓:福山、1952年10月27日 - )は、アメリカ政治学者政治経済学者。著書『歴史の終わり』で自由民主主義自由市場を文化的進化の終着点かつ政府の最終形態として説明したが、後続の『「信」無くば立たず』ではその立場を修正し、文化は経済から完全には分離不可能であるとの認識を改めた。新保守主義(ネオコン)の代表的な理論家であったが、現在はネオコンとある程度距離を置く。
経歴

1952年にイリノイ州シカゴに生まれる。父方の祖父は日露戦争を逃れ、第二次世界大戦に伴う強制収容の前に西海岸で商店を開業した。父は会衆派教会の牧師で、後にペンシルベニア州立大学の宗教社会学教授となる二世の福山喜雄。母の河田敏子は、京都帝国大学経済学部の創設に関わり、旧制大阪商科大学の初代学長となった河田嗣郎の娘で、1950年に戦後初の女子留学生としてシカゴ大学に留学した。一人息子としてマンハッタンで育ち、日本文化にはほとんど触れず、日本語も学ばなかった。1967年、一家でペンシルバニア州ステートカレッジに移住。

コーネル大学で古典哲学を専攻し、アラン・ブルームの下で政治哲学を学び、学士号を取得。その後、イェール大学大学院で比較文学を専攻に選び、ロラン・バルトジャック・デリダに学ぶためにパリへ6か月間留学するが、幻滅して政治学に転向。ハーバード大学サミュエル・ハンチントンに師事し、1981年に政治学博士号を取得。博士論文はソ連による中東への介入の脅威に関するものであった。1979年、ランド研究所に入所。

ランド研究所研究員(1979 - 80年、1983 - 88年、1995 - 96年)、国務省政策企画本部スタッフ(1981 - 82年、1989年)、ジョージ・メーソン大学教授(1996 - 2000年)、ジョンズ・ホプキンズ大学ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院教授を経て、スタンフォード大学教授[1]を務める。

2007年4月から関西大学政策創造学部客員教授を兼任。2007年に同志社大学から名誉文化博士、2009年に関西大学から名誉博士号を授与される[2][3]

1989年冷戦終結に前後しナショナル・インタレストに掲載した論文『歴史の終わり?』において、「人間の政府の最終形態としての自由民主主義」、「自由主義国家」[4]、「政治的自由主義」、「経済的自由主義[5]が最終的な勝利を収めることで社会制度の発展が終わり、人類発展としての歴史が「終わる」という仮説を提示し、1992年にはFree Press社からさらに本格的に論じた『歴史の終わり』を発表、アメリカ新世紀プロジェクト賛同者に名を連ねる[6]などネオコン思想家として一躍脚光を浴びることとなる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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