第10代ネイピア卿及び初代エトリック男爵フランシス・ネイピア(英: Francis Napier, 10th Lord Napier and 1st Baron Ettrick, KT, PC、1819年9月15日 - 1898年12月19日)は、イギリスの外交官、政治家、貴族。
各国の大使・公使を経て植民地インドに赴任し、1866年から1872年にかけてマドラス総督(英語版)、1872年にインド総督代理を務めた。
1834年にスコットランド貴族爵位第10代ネイピア卿を継承し、1872年に連合王国貴族爵位エトリック男爵に叙された。
目次
1 経歴
2 栄典
2.1 爵位
2.2 勲章
3 家族
4 脚注
4.1 注釈
4.2 出典
経歴(英語版)とその妻エリザ(旧姓コクラン=ジョンストン)の長男としてスコットランド・セルカークシャー(英語版)・サールズテーン城(英語版)に生まれた[1][2][3]。
1834年10月に父の死によりスコットランド貴族爵位の第10代ネイピア卿位を継承した。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学ぶ[1]。
1840年に外務省に入省し、外交官となる。ウィーンやコンスタンティノープル、ナポリ、サンクト・ペテルブルクの公使館に勤務した後、1857年から1859年にかけて駐アメリカ公使に就任。ついで1859年から1861年にかけて駐オランダ公使(英語版)、1861年から1864年にかけて駐ロシア大使(英語版)、1864年から1866年にかけて駐プロイセン大使(英語版)を務めた[3][2]。駐在先の各国から高い評価を受けていた[1]。1861年に枢密顧問官に列する[3]。
1866年1月にイギリス植民地インドに赴任し、マドラス総督(英語版)に就任した。彼がマドラス総督に就任した頃、ガンジャム地区(英語版)で大飢饉があり、その対策に忙殺された。コンスタンティノープル勤務時代に知り合ったフローレンス・ナイティンゲールのインドでの活動を支援した[1]。また多くの灌漑計画を立てた[1]。
1872年2月にインド総督の第6代メイヨー伯爵リチャード・バークが暗殺されると3ヶ月弱ほどインド総督代行に就任した。後任の総督に初代ノースブルック男爵トマス・ベアリングが決まるとイギリスへ帰国した[1]。