フランシスコ・ザビエル
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「ザビエル」はこの項目へ転送されています。

本項目の人物に由来する人名については「シャビエル」をご覧ください。

その他のザビエルについては「ザビエル (曖昧さ回避)」をご覧ください。

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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年2月)

聖フランシスコ・ザビエル
東洋の使徒

個人情報
出生1506年4月7日
ナバラ王国
ハビエル(英語版)
死去1552年12月3日

広東省上川島
聖人
記念日12月3日
崇敬教派カトリック教会
聖公会
ルーテル教会
列福1619年10月25日
教皇領
ローマ
列福決定者パウルス5世
列聖1622年3月12日
教皇領
ローマ
列聖決定者グレゴリウス15世
象徴十字架、燃える心臓
守護対象キリスト教伝道
航海士
上智大学
サン・フランシスコ・ザビエル大学
ほか下記参照
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フランシスコ・ザビエル(スペイン語: Francisco de Xavier または Francisco de Jasso y Azpilicueta, 1506年4月7日 - 1552年12月3日[1])は、スペインナバラ王国生まれのカトリック教会司祭宣教師イエズス会の創設メンバーの1人。バスク人

ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドゴアに派遣され、その後1549年天文18年)に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名である。また、日本やインドなどで宣教を行い、聖パウロを超えるほど多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれている。カトリック教会の聖人で、記念日は12月3日

敬称として、聖フランシスコ・ザビエル(Saint Francis Xavier)や、カタカナ転写したサン・フランシスコ・ザビエルなどと言われるが本項では敬称なしで表記する。
名前について

生家のハビエル城[2]フランスとの国境に近い北スペインナバラ王国のハビエルに位置し、バスク語で「新しい家」を意味するエチェベリ(家〈etxe〉+ 新しい〈berria〉)のイベロ・ロマンス訛りである。フランシスコの姓はこの町に由来する。これはChavier やXabierre などとも綴られることもある。Xavier は当時のカスティーリャ語の綴りであり、発音は「シャビエル」であったと推定される[注釈 1][注釈 2]。現代スペイン語ではJavier であり、発音は「ハビエル」。

かつて日本のカトリック教会では慣用的に「ザベリオ」(イタリア語読みから。「サヴェーリョ」がより近い)という呼び名を用いていた[注釈 3]。現在はおもに「ザビエル」が用いられるほか、ザビエルにゆかりのある山口県では「サビエル」と呼ばれる(例: 山口サビエル記念聖堂サビエル高等学校)例もある。
生涯
青年期までハビエル城

1506年4月7日、フランシスコ・ザビエルはナバラ王国パンプローナに近いハビエル城で生まれ、地方貴族の家で育った。5人姉弟(兄2人、姉2人)の末っ子で、父はドン・フアン・デ・ハッソ、母はドーニャ・マリア・デ・アズピリクエタ。父はナバラ王フアン3世の信頼厚い家臣として宰相を務め、フランシスコが誕生した頃、すでに60歳を過ぎていた。ナバラ王国は小国ながらも独立を保ってきたが、フランスとスペイン(カスティーリャアラゴン)の紛争地になり、1515年についにスペインに併合される。父・フアンはこの激動の中で逝去した。その後、ザビエルの一族はバスク人とスペイン、フランスの間での複雑な争いに翻弄されることになる。

1525年、19歳で名門パリ大学に留学。聖バルバラ学院(フランス語版)に入り、自由学芸を修め、哲学を学んでいるときにフランス出身の若きピエール・ファーヴルと同室になる。のちにザビエルと同様にバスクから来た37歳の転校生イニゴ(イグナチオ・デ・ロヨラ)も加わる。イニゴはパンプローナの戦いで片足の自由を失い傷痍軍人として故郷のロヨラ城で療養の後、スペインのアルカラ大学を経てパリ大学モンテーギュ学院で学んでいた。1529年、ザビエルの母が死亡。その4年後、ガンディアの女子修道院長だった姉も亡くなる。

この時期ザビエルは哲学コースの最後の課程に入っていたが、ロヨラから強い影響を受け、聖職者を志すことになる。そしてロヨラの感化を受けた青年たちが集まり、1534年8月15日、ロヨラ、ザビエル、ファーヴルとシモン・ロドリゲスディエゴ・ライネスニコラス・ボバディリャアルフォンソ・サルメロンの7人が、モンマルトル聖堂において神に生涯を捧げるという誓いを立てた。これが「モンマルトルの誓い」であり、イエズス会の創立である。この時のミサは、当時唯一司祭となっていたファーヴ ルが執り行った。

一同はローマ教皇パウルス3世の知遇を得て、叙階許可を与えられたので、1537年6月、ヴェネツィアの教会でビンセンテ・ニグサンティ司教によって、ザビエルもロヨラらとともに司祭に叙階された。


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