フランケンシュタイン対地底怪獣
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フランケンシュタイン対地底怪獣


Frankenstein Conquers the World
[出典 1]

Frankenstein vs. Baragon[5]

ポスター。
監督

本多猪四郎(監督)

円谷英二(特技監督)

脚本馬淵薫
原作ジェリー・ソウル(英語版)[6]
製作田中友幸
出演者

高島忠夫

ニック・アダムス

水野久美

土屋嘉男

音楽伊福部昭
撮影

小泉一(本編)

有川貞昌(特撮)

富岡素敬(特撮)

編集藤井良平(本編)
製作会社

東宝[出典 2][注釈 1]

ベネディクト・プロ[出典 3][注釈 1]

配給

東宝[出典 2][注釈 1]

アメリカン・インターナショナル・ピクチャー[2]

公開

1965年8月8日[出典 4]

1966年7月8日

上映時間

90分[出典 5][注釈 2]

86分[2]

製作国

日本

アメリカ合衆国

言語日本語
次作フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ
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ロケに使われた「姫路城」。琵琶湖のシーンでは「満月寺浮御堂」がロケに使われた。ロケに使われた「厳島」。

『フランケンシュタイン対地底怪獣』(フランケンシュタインたいバラゴン[出典 6][注釈 3])は、東宝米国ベネディクト・プロが製作し、1965年昭和40年)8月8日に公開した怪獣映画である[14]。総天然色、シネマスコープ(東宝スコープ)[出典 7]。同時上映は『海の若大将[9][5]
概要

東宝が海外資本との提携によって怪獣映画の新機軸を模索した意欲作である[19]とともに、怪獣映画としては初の日米共同製作である[出典 8]。内容は「フランケンシュタインが地底怪獣バラゴンと戦う」というものであり、ゴジラシリーズ以外では怪獣対決映画は初めてとなる[17]。怪獣と戦う巨人という構図は、後の『ウルトラマン』(1966年)などの巨大特撮ヒーローシリーズの先駆けになったとされる[出典 9]。怪獣の大きさの設定が従来のゴジラなどの半分程度とされたことにより、ミニチュアのセットの縮尺はそれまでの1/25から1/12とされた。結果的にミニチュアそのもののサイズは従来の2倍となり、よりリアルな表現が可能となった[出典 10]

原案を担当したアメリカのSF作家ジェリー・ソウル(英語版)はアメリカ側スタッフとともに医学監修として来日し、撮影にも立ち会った[25]

音楽担当の伊福部昭は、本作品のフランケンシュタインの主題曲に、当時の日本では1つしかなかったバス・フルートという低音の楽器を借りて使用している。本来、この楽器は低音すぎてオーケストラなどで利用価値のないものとされているが、伊福部は「映画音楽しかできませんね」と、マイクロフォンによる採音技法で見事にこれを活かしてみせている[26]
ストーリー

第二次世界大戦の終戦直前。陥落寸前のドイツベルリンのリーゼンドルフ博士の研究室から、ナチによってはるばる日本に「あるもの」が運ばれ、Uボートを犠牲にしてまで広島の「広島衛戍病院」に移送された。いぶかる移送責任者の河井海軍大尉の質問に対し、軍医長はそれが「フランケンシュタイン博士の創造した不死の心臓である」と説明する。それは大戦の切り札として、この永遠の生命力を持つ心臓を基に不死身の兵士を作ろうとする日独の秘密の作戦であった。しかし、それは直後に米軍によって投下された原子爆弾の爆発で消滅したかと思われた。

15年後の1960年。広島県のある住宅の飼い犬が何者かによって殺害され、ある小学校でウサギのバラバラ死体が発見される事件が発生する。また、激しく雨が降る晩、謎の浮浪児がタクシーにひき逃げされる。数日後、宮島周辺に徘徊していたこの浮浪児が、「国際放射線医学研究所」のボーエン博士と助手の戸上季子(とがみ すえこ)たちに保護される。少年は白人種であり、短期のうちに急成長して20メートルにおよぶ巨人となっていく。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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