フランク・ランパード
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この項目では、1978年生まれのイングランドのサッカー選手について説明しています。1948年生まれの同国のサッカー選手(上記人物の父)については「フランク・ランパード・シニア」をご覧ください。

フランク・ランパード

チェルシーFC監督時代(2019年8月)
名前
本名フランク・ジェームズ・ランパード・ジュニア
Frank James Lampard Jr.
愛称鉄人、ランプス
ラテン文字Frank Lampard
基本情報
国籍 イングランド
生年月日 (1978-06-20) 1978年6月20日(45歳)
出身地ロンドンヘイヴァリング区
身長183cm
体重88kg
選手情報
ポジションMFVOL
利き足右足
ユース
1994-1995 ウェストハム
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1995-2001 ウェストハム 148 (34)
1995-1996→ スウォンジー・シティ (loan) 9 (1)
2001-2014 チェルシー 429 (147)
2014-2015 マンチェスター・シティ 32 (6)
2015-2016 ニューヨーク・シティ 29 (15)
通算647 (193)
代表歴
1997-2000 イングランド U-2119 (9)
1998 イングランド B1 (0)
1999-2014 イングランド[1]106 (29)
監督歴
2018-2019 ダービー・カウンティ
2019-2021 チェルシー
2022-2023 エヴァートン
2023 チェルシー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フランク・ランパード(Frank James Lampard Jr. OBE, 1978年6月20日 - )は、イングランドロンドン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元イングランド代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。愛称はランプス。

ダブルボランチの一角ながら高い得点能力を誇り[2]チェルシーFCにおける歴代最多得点記録の保持者である。13シーズン所属したチェルシーでは、3度のプレミアリーグ優勝、クラブ初のUEFAチャンピオンズリーグ優勝に中心選手として大きく貢献した。
クラブ経歴
少年期

1978年6月20日、フランク・ランパード・シニアの息子として生まれる。裕福な家庭に育ち、学業も優秀であった。一般に0.1%しかいないと言われる150を超えるIQの持ち主である[3]。またクリケットでも地元の代表チームに選抜されている。パブリックスクールであるブレントウッド・スクールを卒業。
プロとしてのキャリア
ウエストハムチェルシーでのランパード(2007年)

1995年にウェストハムでプロ生活を始める。その後スウォンジー・シティにレンタル移籍する。復帰後はあまり活躍できずにいたが徐々に頭角を現し、1998-99シーズンは全試合に出場する。1999年にイングランド代表に招集され着実に成長していく。しかし、ウェストハムでは数シーズンに渡って経験を積むが、伯父のハリー・レドナップが監督、父親のフランク・ランパード・シニアがコーチであったために、調子が悪い時には批判の対象となっていた。ファンから愛されず、またレドナップ、フランク・シニアが不明確な理由でクラブから解雇されてしまい、自身の環境転換の為に2001年夏に移籍金1100万ポンドチェルシーへ移籍。
チェルシー

2005年にはバロンドールFIFA最優秀選手賞共にロナウジーニョに次ぐ第2位の得票数を獲得。

イングランド代表GKのディビッド・ジェームスが保持していたプレミアリーグの連続試合出場記録を更新。2005年12月28日、マンチェスター・シティ戦でウィルス性疾患のため欠場するまで、164試合連続出場という記録を残した。

モウリーニョ監督の「国内選手にクラブを引っ張ってほしい」との方針から、チェルシーでは副キャプテンを務める。2006-07シーズンは故障がちなジョン・テリーに代わって、多くの試合でキャプテンマークを巻いた。

2008年5月21日にルジニキ・スタジアムで行われたマンチェスター・ユナイテッドとのUEFAチャンピオンズリーグ2007-08決勝では、45分に同点ゴールを決めた。しかし、チームはPK戦で敗れ、初優勝を逃した。2008年のシーズンオフにはモウリーニョ率いるインテルへの移籍が噂されたが、最終的にはチェルシー残留を選んで5年契約を結び、チェルシーでキャリアを終える意向を明らかにした[4]

2010年3月27日のアストン・ヴィラ戦で4得点を記録し、チェルシーでのプレミアリーグ通算100得点を達成した。2009-10シーズンはMFのプレミアリーグ史上最多得点となる22得点を挙げ、5年連続でシーズン20得点を記録。チェルシーの4シーズンぶりのプレミアリーグ制覇に貢献した。

2012年4月9日に行われたフラム戦で1得点を挙げ、このゴールでプレミアリーグ通算150得点を記録。これはプレミアリーグのミッドフィールダーでは史上初の記録である[5]。また、2月26日に行われたボルトン戦の得点でプレミアリーグ連続2桁得点記録を9に伸ばしている。2012年4月18日にスタンフォード・ブリッジで行われたUEFAチャンピオンズリーグ準決勝FCバルセロナ戦1stレグでは、ラミレスへのパスを通しこれがディディエ・ドログバの決勝点の起点となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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