フランク・シャムロック
基本情報
本名旧名:フランク・アリシオ・フアレス三世(Frank Alisio Juarez III)
通称ザ・レジェンド
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 (1972-12-08) 1972年12月8日(51歳)
出身地カリフォルニア州サンタモニカ
所属ユニバーサル・サブミッションアカデミー
→ライオンズ・デン
→ジ・アライアンス
→フリーランス
身長178cm
体重84kg
リーチ183cm
階級ライトヘビー級
ミドル級
バックボーンサブミッション・ファイティング
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フランク・シャムロック(Frank Shamrock、1972年12月8日 - )は、アメリカ合衆国の男性元総合格闘家。カリフォルニア州サンタモニカ出身。元UFC世界ライトヘビー級王者。元WEC世界ライトヘビー級王者。元Strikeforce世界ミドル級王者。
ケン・シャムロックは同じ養父を持つ義理の兄。 メキシコ系アメリカ人とインディアンの家系で恵まれない家庭環境に育ち、12歳から里親やグループホームなどを転々とした。養父のボブ・シャムロックに引き取られるまでは荒れた少年時代を過ごす。 1993年からケン・シャムロックのもとで総合格闘技を学び、1994年12月16日、パンクラスのKING OF PANCRASE TOURNAMENTでデビュー、1回戦で優勝候補の一角に挙げられていたバス・ルッテンを下す鮮烈のデビューを飾った。当初は旧名のフランク・ワレスを名乗っていた。 1995年11月4日には船木誠勝をアンクルホールドで下し、1996年1月28日のキング・オブ・パンクラス暫定王座決定戦で鈴木みのるから膝十字固めで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。兄のケンとパンクラスとの間に起こったトラブルに巻き込まれるようにして1996年12月15日の試合を最後にパンクラスを離脱した。 1997年1月17日、SuperBrawlで初のバーリトゥード戦を行うがジョン・ローバーに判定負け。 1997年10月11日、アメリカ合衆国で開催されたグラップリング大会「The Contenders」でダン・ヘンダーソンと対戦。開始56秒、アンクルホールドで一本勝ち。 1997年11月29日、VALE TUDO JAPAN '97でエンセン井上と対戦。2ラウンドに膝蹴りを入れたところでエンセンのセコンドについていたイーゲン井上がリングに入ったため失格勝ち。 1997年12月21日、UFC初参戦となったUFC JapanでUFC世界ミドル級(現ライトヘビー級)王座決定戦でソウルオリンピックレスリング金メダリストのケビン・ジャクソンと対戦し、開始16秒腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。 王座防衛に3度成功し、1999年9月24日、UFC 22でティト・オーティズとのタイトルマッチを制し、4度目の防衛を果たすとリングにベルトを置いてUFC撤退を表明。対戦要望をアピールしていた桜庭和志との対戦が期待され幾度もPRIDE参戦が噂されるが、実現には至らなかった。 2000年12月10日、K-1 WORLD GP 2000 決勝戦でエルヴィス・シノシックと総合格闘技ルールで対戦し、判定勝ち。 2001年8月11日、K-1 WORLD GP 2001 in LAS VEGASでシャノン・"ザ・キャノン"・リッチと対戦し、右ハイキックでKO勝ち。 2003年3月27日、WEC 6のWEC世界ライトヘビー級王座決定戦でブライアン・パードーと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。 2005年には自身のジム、シャムロック・マーシャルアーツ・アカデミーを設立した。 2005年11月23日、U-STYLE Axisで中村大介と対戦し、アンクルホールドで一本勝ち。 2006年3月10日、Strikeforce旗揚げ戦でシーザー・グレイシーと対戦し、右フックでダウンを奪いパウンドでKO勝ち。 2007年2月10日、EliteXCでヘンゾ・グレイシーと対戦。下のポジションから禁止されていたグラウンド状態での膝蹴りを放ったため失格負け。 2007年6月22日、Strikeforce: Shamrock vs. BaroniのStrikeforce世界ミドル級王座決定戦でフィル・バローニと対戦し、チョークスリーパーで失神一本勝ちを収め2階級制覇となる王座獲得に成功した。カン・リー戦後のシャムロック。 2008年3月29日、Strikeforce: Shamrock vs. LeのStrikeforce世界ミドル級タイトルマッチでカン・リーと対戦し、右腕の負傷によりTKO負けを喫し王座から陥落した[1]。 2009年4月11日、Strikeforce: Shamrock vs. Diazでニック・ディアスと179ポンド(約81kg)のキャッチウェイトで対戦し、2ラウンドTKO負けを喫した[2]。
来歴
UFC
Strikeforce
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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