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フランク・シナトラ
Frank Sinatra
1957年宣伝写真
本名フランシス・アルバート・シナトラ(Francis Albert Sinatra)
生年月日 (1915-12-12) 1915年12月12日
没年月日 (1998-05-14) 1998年5月14日(82歳没)
出生地 アメリカ合衆国ニュージャージー州ホーボーケン
死没地 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
身長173 cm
職業俳優・歌手・エンターテイナー
ジャンル映画・テレビ
活動期間1935年 - 1997年
活動内容映画・歌手
配偶者ナンシー・バルバト(1939年 - 1951年)
エヴァ・ガードナー(1951年 - 1957年)
ミア・ファロー(1966年 - 1968年)
バーバラ・マルクス(1976年 - 1998年)
著名な家族フランク・シナトラJr.
ナンシー・シナトラ
公式サイト ⇒フランク・シナトラ オフィシャルファンクラブ
主な作品
映画
『踊る大紐育』
『地上より永遠に』
『オーシャンと十一人の仲間』
『ザッツ・エンターテインメント』
受賞
アカデミー賞
助演男優賞
1953年『地上より永遠に』
名誉賞
1945年『The House I Live In
フランシス・アルバート・"フランク"・シナトラ(英語: Francis Albert "Frank" Sinatra、1915年12月12日 - 1998年5月14日)は、アメリカのエンターテイナー・ポピュラー歌手・ジャズ歌手・俳優。通称「ザ・ヴォイス」。 シナトラは、数々のヒット曲やゴールドディスクを世に送り出し、そのクルーナー(小さな声で歌う)・ヴォイスによる歌唱によって世界中に多くのファンを獲得した。ビング・クロスビー、エルヴィス・プレスリー、マイケル・ジャクソンなどと並び、20世紀アメリカを代表するエンターテイナーの一人である。 第二次世界大戦前の1930年代より死去する1990年代末まで長期に渡り現役の歌手として活動し、数々のミリオンセラーを連発、また多くのミュージシャンに影響を与えた。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第3位にランクされた[1]。 さらに1940年代以降は映画俳優としても活躍し、1953年には第26回アカデミー賞助演男優賞を受賞している。シナトラは、大作からミュージカル映画、コメディ映画まで数多くの映画に出演した。 しかし、デビュー期からイタリア系マフィアとの深い関係が度々取りざたされ、女優(キム・ノヴァクがモデル)を駄目にした歌手とのエピソードがある。またマフィアを介してジョン・F・ケネディと親密な交友関係を持ち、ケネディの大統領当選に貢献したものの、後に関係が悪化したとされる。 世界が第一次世界大戦下にあった1915年に、ニューヨーク市近郊のニュージャージー州ホーボーケンで、イタリア系アメリカ人のアンソニー・マーティン・シナトラとドリーの元に長男として生まれる。シナトラは難産であり、鉗子のため鼓膜が破れていた。このことが歌手としてのキャリアに様々な形で大きく影響することになった。 その後カトリックとしての洗礼を受ける[2]。少年期に音楽に興味を持ち始め、1930年代初頭、当時ラジオで人気を得ていたビング・クロスビーの歌声に憧れて歌手を志す。 全米が大恐慌の荒波に巻き込まれた1920年代末から1930年代において、父がニューヨークの消防局に勤めていた上に、ドリーも助産婦として安定した収入があったお陰で、十分に恵まれた少年時代を送ることができた[3]。
概要
略歴
1915年12月12日:ニュージャージー州ホーボーケンに生まれる。
1935年:「ホーボーケン・フォー」の一員として歌手デビュー。
1939年:幼友達ナンシー(ナンシー・バルバト)と結婚。
1939年:ハリー・ジェイムス楽団の歌手としてメジャー・デビュー。
1940年:トミー・ドーシー楽団に移籍。
1941年:映画『ラスベガス・ナイト』に楽団歌手とプロフェッショナルして初出演。
1942年:ラジオ番組のレギュラーをきっかけにソロ・デビュー。
1951年:ナンシーと離婚。女優エヴァ・ガードナーと結婚。
1953年:映画『地上より永遠に』で第26回アカデミー賞助演男優賞を受賞。
1957年:エヴァと離婚。
1961年:自分のレーベル、リプリーズを設立。
1966年:女優ミア・ファローと結婚。
1968年:ミアと離婚。
1971年:引退を発表。
1973年:アルバム『OL' BLUE EYES IS BACK』で歌手業に復帰。
1976年:ゼッポ・マルクス(マルクス兄弟の末っ子)の元妻、バーバラと結婚。
1985年:大統領自由勲章を受章。
1998年5月14日:多臓器不全により82歳で死去。
プロフィール
生い立ち