フランク・キャプラ
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Frank Capra
フランク・キャプラ

本名Francesco Rosario Capra
生年月日 (1897-05-18) 1897年5月18日
没年月日 (1991-09-03) 1991年9月3日(94歳没)
出生地 イタリア王国 シチリア島ビザックイーノ
職業映画監督
配偶者Helen Howell (1923年 - 1927年)
Lou Capra (1932年 - 1984年)
主な作品
一日だけの淑女
或る夜の出来事
オペラハット
失はれた地平線』(1937年)
我が家の楽園
スミス都へ行く
素晴らしき哉、人生!

 受賞
アカデミー賞
監督賞
1934年或る夜の出来事
1936年オペラハット
1938年我が家の楽園
ヴェネツィア国際映画祭
栄誉金獅子賞
1982年 長年の功績に対して
AFI賞
生涯功労賞
1982年 長年に渡る映画界へ貢献に対して
感動の映画ベスト100(第1位)
2006年素晴らしき哉、人生!
ゴールデングローブ賞
監督賞
1946年『素晴らしき哉、人生!
その他の賞
ハリウッド名声の歩道
1960年 映画産業への貢献、映画・演劇業界への業績に対して

備考
第8回ベルリン国際映画祭 審査員長(1958年)
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フランク・キャプラ(英語: Frank Russell Capra, 1897年5月18日 - 1991年9月3日)は、アメリカ合衆国映画監督。『或る夜の出来事』『オペラハット』『我が家の楽園』と3度アカデミー監督賞を受賞している。
人物・経歴
生い立ち

イタリアシチリア島ビザックイーノ出身。ぶどう園を営む家庭に生まれるが、7人兄弟だったため家は貧しく、6歳で家族と共にロサンゼルスに移住。父はオレンジ畑で働いたが、貧乏ゆえキャプラ自身も幼い頃から新聞の売り子や酒場でバンジョー弾きとして家計を助ける。
映画界へ

苦学して1918年にThroop Institute(後のカリフォルニア工科大学)でエンジニアリングを学び、卒業後に陸軍に従軍するも、スペイン風邪にかかり除隊。その後は本のセールスなど詐欺まがいの職業を転々とした後、作家になる為にシナリオ学校に入るが、小説よりも映画に興味がおき、1921年にインディペンデント系のクリスティ映画社に入社。
監督へ

その後、ポール・ガースン映画社で助監督として主にそれまでアメリカ映画界の主流だった喜劇映画の製作に関わり、キプリングの詩を脚色した1922年の短編『Fultah Fisher's Boarding House』が事実上の監督デビュー作となる。

その後、ハル・ローチに招かれて、当時人気だった喜劇『ちびっ子ギャング』シリーズのギャグ・ライターとして活躍。1925年マック・セネットと出会い、喜劇俳優ハリー・ラングドン主演のコメディで長編監督デビュー。以降はラングドン専属の映画監督となったが、ラングドンが監督にも進出するようになり、あぶれてしまったキャプラは、1928年に当時、まだマイナーなスタジオだったコロムビア映画に招かれる。
コロンビアへ

コロムビアではじめて撮った『呑気な商売』の出来に満足した重役のハリー・コーンらと専属契約を結び、以後はコロムビアの職人監督として『サブマリン』、『渦巻く都会』、『空の王者』、『大飛行船』、『狂乱のアメリカ』など、話題作や大作ドラマに起用される。1929年にはコロムビア初のトーキー「The Younger Generation」を手掛け、コロムビア上層部からの期待を担う。

1931年の『奇跡の処女』を担当した脚本家でのちに盟友となるロバート・リスキンと意気投合し、1933年、コンビを組んで人情喜劇『一日だけの淑女』を発表、本作はアカデミー作品賞監督賞にノミネートされ、キャプラとリスキンの出世作となるが、アカデミー授賞式の際、キャプラは新調したタキシードを着て出席、プレゼンターの「フランク!」の声で自分が選ばれたと思い、席を立ち上がるキャプラだったが、スポットライトを浴びたのはフランク・ロイドの方で、キャプラは赤っ恥をかいた[1]。この時、2度と授賞式には出席するものかと思ったという。

1934年の『或る夜の出来事』はスクリューボール・コメディでありまたロード・ムービーの元祖としての評価も高く、この年のアカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞主演女優賞脚本賞と主要部門を制覇、のちにこの記録は『カッコーの巣の上で』が現れるまで唯一の事例で、キャプラとしては前年になめさせられた苦汁を跳ね返した。ちなみに本作の主役だったクラーク・ゲーブルクローデット・コルベールはそれぞれMGMパラマウント映画の専属スターで、当初は弱小スタジオ製作のこの映画に貸し出されたことに納得がいかなかったという。

これにより、コロムビアは一躍メジャー・スタジオの仲間入りを果たす。キャプラもリスキンとのコンビで快進撃を続け、1936年にのちにキャプラ映画の常連となるゲイリー・クーパージーン・アーサーを起用した『オペラハット』で再び監督賞を獲得、1938年に再び組んだジーン・アーサーとのちにキャプラ映画を代表する俳優となるジェームズ・スチュワートが初出演した『我が家の楽園』では作品賞と3度目の監督賞を受賞する。


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