オルデネビッツ
名前
愛称オッツェ(Otze)
ラテン文字Frank ORDENEWITZ
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1965-03-25) 1965年3月25日(59歳)
出身地ドルフマルク
フランク・オルデネビッツ(Frank Ordenewitz、1965年3月25日-)は、ドイツ、ニーダーザクセン州ドルフマルク出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 オッツェの愛称で親しまれ、ブレーメン時代には奥寺康彦とチームメートであった[1]。。1987-88シーズン、ブレーメンのドイツ・ブンデスリーガ制覇に貢献した。1993年の2ndステージからジェフユナイテッド市原に移籍、8月4日の名古屋グランパスエイト戦でJリーグ初ゴールを含む2ゴールを決めた[2]。1994年度は、8月10日のガンバ大阪戦でハットトリックを決めるなど[3]、28ゴールを決め、得点王も獲得したが、家庭の事情で退団した[1]。ジェフでは通算55試合37ゴールの成績を残した[2]。 1996年、リトバルスキーの要請に応じブランメル仙台に移籍した[1]。第18節の日本電装戦ではハットトリックを決めるなど、この年28試合で20得点を挙げる活躍も[4]、チームをJリーグに押し上げるまでには至らず、1年で退団した。またこの間の天皇杯1回戦、松山大学との対戦では4ゴールを挙げた[5]。その後はドイツのアマチュアリーグでプレーを続けた。一旦現役を退いたが2005年9月に現役復帰した。 現役時代、優勝のかかった試合で自らのファウルを審判に自己申告し、チームはそのために優勝を逃したことがある。その潔いスポーツマンシップに対し、FIFAフェアプレー賞が贈られた[6]。 得点王を獲得しながらも、ベストイレブンに選出されなかった。これは、2016年シーズン得点王のピーター・ウタカがベストイレブンに選出されないまで、Jリーグ史上唯一の出来事であった。 2011年5月17日、ドルトムントで行われた東日本大震災復興支援の慈善試合にJリーグOBとして出場した[7]。 国内大会個人成績
経歴
所属クラブ
1983年-1989年 ヴェルダー・ブレーメン
1989年-1993年 1.FCケルン
1993年7月-1994年 ジェフユナイテッド市原
1995年 ハンブルガーSV
1996年 ブランメル仙台
1997年 ローテンブルガーSV
1997年-1999年 VfBオルデンブルク
1999年-2001年 TSVオッタースベルク
2001年-2006年 VSK Osterholz-Scharmbeck
個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
ドイツリーグ戦 リーグ杯DFBポカール期間通算
1983-84ブレーメンブンデス50
1984-8591
1985-86247
1986-87308
1987-883015
1988-89276
1989-90ケルン303
1990-91317
1991-923511
1992-93309
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算