フランク・ウェス
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フランク・ウェス
Frank Wess
フランク・ウェス(1977年)
基本情報
出生名Frank Wellington Wess
生誕 (1922-01-04) 1922年1月4日
出身地 アメリカ合衆国 ミズーリ州カンザスシティ
死没 (2013-10-30) 2013年10月30日(91歳没)
ジャンルジャズ
職業ミュージシャン
担当楽器サクソフォーンフルート
活動期間1950年代 - 2013年
レーベルコモドアサヴォイパブロ、Progressive、コンコード

フランク・ウェス(Frank Wess、1922年1月4日 - 2013年10月30日[1]は、アメリカジャズサクソフォーン奏者、フルート奏者。幅広いソロ活動に加えて、ウェスは1950年代初頭から1960年代にかけてカウント・ベイシーのバンドで過ごしたことでも知られている。評論家のスコット・ヤナウは、彼をレスター・ヤングの最高の弟子の一人であり、その時代における主要なジャズ・フルート奏者であり、フルートを使用してベイシーの音楽に新しい色をもたらしたと述べている[2]
略歴

ウェスは、アメリカミズーリ州カンザスシティ[3]、校長の父親と教師の母親の息子として生まれた。彼はクラシック音楽のトレーニングから始め、オクラホマ高校で演奏した。後にワシントンD.C.に移るにあたってジャズに転向し、19歳でビッグバンドと演奏するようになった[3]。彼のキャリアは第二次世界大戦によって中断されたが、当時の軍楽隊で演奏を続けた。退役後は、ビリー・エクスタインのオーケストラに加わった[4]。数年後にワシントンD.C.へ戻り、街の現代音楽学校でフルートの学位を取得した。1953年から1964年まで、カウント・ベイシーに伴いテナー・サックスとフルートを一人二役で演奏した[3]

ウェスは、彼の時代の最高のジャズ・フルート奏者の一人と考えられていた。1959年から1964年まで、『ダウン・ビート』誌におけるフルートの批評家投票を勝ち取った。

1967年から1970年代にかけてクラーク・テリーのビッグバンドのメンバーとなり、さらにニューヨーク・ジャズ・カルテットローランド・ハナと共演)で演奏[5]。また、テレビのためにさまざまな仕事をしてきた[6]。1968年には、アルバム『ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ』に貢献している。テナー・サックスとアルト・サックスを演奏し、そのキャリアを通じて同様にフルートも演奏した。

1980年代と1990年代に、ケニー・バロン、ルーファス・リード、バック・クレイトンベニー・カーター、ビリー・テイラー、ハリー・エディソンメル・トーメアーネスティン・アンダーソン、ルイ・ベルソン、ジョン・ピザレリ、ハワード・アルデン、ディック・ハイマン、ジェーン・ジャーヴィス、フランク・ヴィニョーラと共演し、秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンドのフィーチャー・メンバーとなった。2000年代になって、ウェスはハンク・ジョーンズとともに2枚のアルバムをリリースしている。2007年、ウェスはアメリカ国立芸術基金によってNEAジャズ・マスターズに指名された。

ウェスは、2013年10月30日、腎不全に関連する心臓発作で死亡した[7][1]
ディスコグラフィ
リーダー・アルバム

Flutes & Reeds (1955年、Savoy) ※with アーニー・ウィルキンス


『ノース・サウス・イースト…ウェス』 - North, South, East....Wess (1956年、Savoy)

『トロンボーンズ&フルート』 - Trombones (1956年、Savoy)

『オパス・イン・スウィング』 - Opus in Swing (1956年、Savoy) ※with ケニー・バレルフレディ・グリーン


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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