フランクリン・ルーズベルトの演説_(1941年12月8日)
[Wikipedia|▼Menu]
議会で演説中のルーズベルト大統領。大統領の後ろに登壇している人物は、左側はヘンリー・A・ウォレス副大統領、右側はサム・レイバーン(英語版)下院議長。向かって右側、レイバーン議長の手前の軍服姿の人物は、大統領子息のジェームズ。この日、父親を議事堂までエスコートして来ていた。

フランクリン・ルーズベルトの演説 (フランクリン・ルーズベルトのえんぜつ)では、1941年12月8日アメリカ合衆国フランクリン・ルーズベルト大統領が、アメリカ合衆国議会両院合同会議で行った演説について、記述する。

前日の12月7日大日本帝国は、ハワイ真珠湾(パールハーバー)にあるアメリカ海軍基地を攻撃し(真珠湾攻撃)、アメリカ合衆国とイギリスに対し宣戦布告を行った[注 1][1][2][3][4]。この事態を受けて行われた演説は恥辱演説(インファミー・スピーチ、:Infamy Speech)と呼ばれているが、これは演説の冒頭の一節で、大統領が攻撃を受けた日を「将来、恥辱として記憶に刻まれるであろう日(恥辱の日)」と表現したことに由来している。また、この演説は、真珠湾演説(パールハーバー・スピーチ、英:Pearl Harbor Speech)とも一般的に呼ばれている[5]

議会は、演説後1時間もかからない間に対日宣戦布告を公式に承認し、アメリカ合衆国は正式に第二次世界大戦に参戦することとなった。この演説は、アメリカの政治演説で最も有名なもののひとつであり[6]20世紀中、最重要の政治演説のひとつにあげられることもある[7]目次

1 演説のあらまし

2 脚注

2.1 注釈

2.2 出典


3 参考文献

4 関連項目

5 外部リンク

演説のあらまし

演説のあらましは、次のとおりである。なお、英語原文はウィキソースの「Pearl Harbor speech」で、日本語訳全文は同じくウィキソースの「汚名演説」で参照できる。

"A date which will live in infamy"「恥辱として記憶に刻まれるであろう日」という有名な一節(168KBOggVorbis形式)。
この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。
日本軍の攻撃を受け、炎上する戦艦ウェストバージニア

副大統領下院議長、ならびに上院議員及び下院議員の皆さん。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:113 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef