フラッパー
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「フラッパー」のその他の用法については「フラッパー (曖昧さ回避)」をご覧ください。
アメリカの女優ルイーズ・ブルックス(1927年)。フラッパー女優の一人と呼ばれていた。

フラッパー(: Flapper)は、1920年代に欧米で流行したファッション生活スタイルを好んだ「新しい」若い女性を指すスラング。それまで女性らしいとされてきた装いや行動様式ではなく、膝丈の短いスカートショートヘアボブカットジャズ音楽などを好んで、濃いメイクアップ強い酒を飲み、性交渉、喫煙、ドライブを積極的に楽しむという、以前までの女性に求められてきた社会的、性的規範を軽視した女性たちを意味する[1][2]

フラッパーは「狂騒の20年代」を背景として登場した。アメリカの1920年代初頭は、第一次世界大戦終結直後で社会、政治ともに未だ混乱していた時代だった。ヨーロッパからの文物流入が盛んとなり、アメリカからもジャズなどの文化がヨーロッパへと広まっていった。
フラッパーの語源フラッパー・ドレスを着用したアメリカ人女優ヴァイオレット・ロマー (en:Violet Romer)。1915年頃。

「フラッパー (flapper)」という言葉は、ひな鳥が羽を羽ばたかせて (flap) 飛び立つ訓練をしている様子を意味し、そこから転じて未成熟な若い女性を表すスラングとなったといわれている。また他の説として、まだ髪を結い上げることが出来ない若い女性の束ねた髪が背中でひらひらする (flap) ところから、イングランド北部で10代の少女のことをフラッパーと呼んでいたという説や[3]、古語で娼婦のことをフラッパーと呼んでいたという説がある[4]

1630年代初頭では、年若い娼婦が「フラップ」というスラングで呼ばれていた[5]1890年代終わりのイングランドでは「フラッパー」が10代半ばの活発な少女を意味する言葉として使われるとともに[6]、とくに年若い娼婦を意味するスラングとしても使われるようになっていた[7][8]

「フラッパー」という言葉が文献に出てくるのは、イングランドが1903年初頭、アメリカが1904年のことで、小説家デズモンド・コークが自身の大学時代を綴った『サンフォード・オブ・マートン (Sandford of Merton)』の「気絶したフラッパー」という記述が初出である[9]。1907年にはイングランドの俳優ジョージ・グレイヴス (George Graves) が、イングランドでは舞台で軽業を売り物にする若い女芸人のことをフラッパーと称するとアメリカ人に説明している[10]

1908年にはイギリスの高級紙『タイムズ』でも「フラッパー」という言葉が使用されるようになった。ただしタイムズでは「“フラッパー” は、髪を結い上げ長いドレスを着用(して社交界にデビュー)する前の年若い淑女を意味する」という注釈つきで使用されていた[11]。1910年11月にAE・ジェームズが、不運な14歳の少女を主人公として『ロンドン・マガジン』に掲載した『フラッパー陛下 (Her Majesty the Flapper)』という題名の一連の物語が人気を博している[12]。1911年ごろまでには、新聞の劇評で「フラッパー」がいたずら好きで茶目っ気がある、あるいは異性の気を惹くそぶりを見せる役柄の代名詞として使用されるようになっていった[13]映画女優として有名になる前のクララ・ボウ。1921年。

1912年ごろまでには、ロンドンの舞台興行主ジョン・タイラー (en:John Tiller) が『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューで、「フラッパー」を「いまにも世に出そうな」やや年長の少女という意味で用いている[14]。「フラッパー」は大胆で溌剌とした10代の少女を指す言葉として広く知られていたが[15]、イギリスでは徐々に衝動的な性質で大人気ない女性全般を意味する言葉となっていった[16]第一次世界大戦時にフラッパーという言葉はますます使用されるようになっていったが、これはおそらく出征で男性が不足した職場に女性が登用され始めたことと関係している[17]。1919年の『タイムズ』には、戦争からの帰還兵たちが職場に復帰すると女性の職探しが難しくなり、「フラッパーたちの将来」が懸念されるという内容の記事を掲載している[18]。このような社会情勢のなか、フラッパーは「独立心旺盛で享楽的な若い女性」を指す言葉へと変化していったのである[8]アメリカ人女優アリス・ジョイス (en:Alice Joyce)。1926年。

1920年までに、フラッパーは特定の世代とその行動様式を示す言葉として一般的になっていった。当時のイギリスでは多くの若い男性が第一次世界大戦で命を失ったために、適齢期の女性が結婚相手を見つけられずにいた。R・マレイ=レスリー博士はその講演で「ある種の社交家のなかには……浮ついた性格で、露出度の高い衣服を着てジャズを愛好するフラッパーと称される人々がいる。責任感がないうえに行儀も悪く、ダンス、新しい帽子、男性と自動車などを国家の大事よりも重要視する女性たちだ」と批判している[19]

1920年代初めのアメリカでは10代の若い女性たちが好んだ、留金をせずにオーバーブーツ(雨天時に靴に被せるゴム製、ビニール製の靴 (en:Galoshes))を履くといったファッションを指す言葉として「フラッパー」が使われるようになった[20]。また、歩くたびにとめられていないオーバーブーツの留め具がひらひらする様子も「フラッパー」と呼ばれていた[21][22]

イギリスでは1930年代なかばでも「フラッパー」という言葉が時々使用されてはいたが、すでに死語となりつつあった。1936年の『タイムズ』では「ブロット(泥酔 (blotto))」などと同じくフラッパーが時代遅れのスラングに分類されている[23]
フラッパーのイメージ

アメリカでフラッパーという言葉が初めて登場し[注釈 1]、そのイメージが浸透したのは、1920年のフランシス・マリオンが脚本を書き、オリーヴ・トーマスが主演した映画『ザ・フラッパー (en:The Flapper)』によるところが大きい[25]。トーマスは1917年に出演した映画でも『ザ・フラッパー』と同じような役を演じているが、この映画ではフラッパーという言葉は使われてはいない。その後重度の麻薬中毒になり服毒死したトーマスが最後に出演した映画でも、トーマスはフラッパーの代表格として扱われている[26]。トーマス以降、クララ・ボウルイーズ・ブルックスコリーン・ムーア 、そしてジョーン・クロフォードらが、フラッパーというイメージを体現した女優として、大きな人気を誇った[25]

アメリカでは禁酒法がフラッパーの増加の一因となっている。合法のサロンや会員制のキャバレー、裏通りのもぐり酒場 (en:Speakeasy) が多く作られ、秘密裏に酒を提供する場所として人気を得た。遵法精神および宗教観に根ざした禁酒運動と、事実上どこでも酒を口にすることができるという現実との乖離が、権力への軽視という風潮となった。また、フラッパーは1890年代に理想とされたギブソン・ガールの反動でもあった[27][28]

F・スコット・フィッツジェラルドやアニタ・ルース (en:Anita Loos) といった著述家、ラッセル・パターソン (en:Russell Patterson)、ジョン・ヘルド・ジュニア (en:John Held, Jr.)、エセル・ヘイズ (en:Ethel Hays)、フェイス・バロウズ (en:Faith Burrows) といったイラストレーターが、フラッパーの外見や生活スタイルを取り入れた作品を発表して、フラッパーの大衆化に大きく貢献した。これらの作品を通じてフラッパーは、蠱惑的、奔放、自立した女性というイメージで見られるようになっていった。しかしながら詩人、評論家ドロシー・パーカーが「フラッパーを憎む詩」を著したように、フラッパーの流行を好ましく思わない人々も存在していた。フラッパーを「軽薄な様子の格好でタバコを吸いカクテルを口にする、それがフラッパー」と非難する労働組合や[29]、「最低の知力」「教育者にとってどうしようもない厄介者」と評したハーバード大学の心理学者がいた[29]
行動様式.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}1922年11月の『フラッパー誌』の表紙に掲載されたアメリカ人女優ビリー・ダヴ (en:Billie Dove)。1922年2月4日の『サタデー・イヴニング・ポスト誌』の表紙に掲載された、アメリカのイラストレーターのエレン・バーナード・トンプソン・パイル (Ellen Bernard Thompson Pyle) のイラスト。

1920年代においてフラッパーの振る舞いは風変わりで、それまでの伝統的な女性観を覆すものだと考えられていた。イギリスのマスコミではフラッパーを、恋愛に積極的で、奔放かつ気軽に性交渉を持ち、伝統的価値観に反抗する傾向が強いステレオタイプとして表現していた[30]。女性の一生のうち、年少の特定の時期を指すフラッパーという概念は、ドイツからイギリスにもたらされたものだと主張するものもいる[31]。ドイツでは10代の少女を「Backfisch」と呼んでおり、この言葉はもともと市場で売買されるほどには成長していない魚を意味していた[注釈 2][注釈 3][32]ドイツ語で「Backfisch」が若い女性を意味するということは1880年代終わりにはイギリスでも知られていたが、この時代には非常に慎み深い女性を指す言葉として理解されており[33]、反抗的で伝統的価値観を軽視するフラッパーのイメージとは異なったものだった。フラッパーは、夜になるとジャズ・クラブへ繰り出して挑発的なダンスを踊り、煙草をたしなんで不特定多数の男性との逢瀬を気ままに楽しむような、勝気な若い女性だとみなされていた。活動的でスポーツを好み、自転車や車を乗りこなす、禁酒法に反抗しておおっぴらに酒を飲むなどというのが、フラッパーの典型的なイメージとなっていった[34]。当時のアメリカではチャールストンシミー、バニー・ハグ (en:Bunny Hug)、ブラック・ボトム (en:Black Bottom) など激しいダンスが隆盛していた。



ペッティング・パーティー

ヴィクトリア朝時代に比べると、1920年代では男女間の肉体的接触がごく普通に行われるようになった。肉体的接触を主たる目的としたペッティング・パーティーが開かれるようになり、人気の娯楽にもなっている[35]。若い世代からしてみれば、このようなパーティを「男子禁制」「女子禁制」といった昔ながらの名目で開くことは欺瞞にしか思えなかった[36]。このようなパーティーは大学内で多く行われており、若い男女が「一緒に集まり、監視の眼がない場所でかなりの時間をともに過ごした」といわれている[37][38][39]。その代表作『グレート・ギャツビー』(1925年)で、デイジー・ブキャナンというフラッパーを登場させているアメリカの作家F・スコット・フィッツジェラルド[28]、しつこいリポーターに付きまとわれて質問されたことを文章にしている。 貴方(フィッツジェラルド)は、えー、ペッティング・パーティーは法に触れると重大な問題だと思いますか?もしそうであれば、貴方が自殺するときの理由は過去にペッティング・パーティーに参加したことが原因だということでいいですか?[40]

1950年代の『ライフ』ではペッティング・パーティーを「20年代に流行した、ひどい風習だった」と紹介しており、『キンゼイ報告』では「20年代以降、現在でも存在している」と記述されている[41]
フラッパーの外見

フラッパーはその不遜な態度とともに、特徴的なファッションでも知られていた。主にフランスからの流行[42]、とくにココ・シャネルの先進的なスタイルを取り入れたもので、当時爆発的な流行を見せていたジャズを伴奏として踊るダンスに向いたドレスが人気となった[43]。フラッパーの外見はフランスでは「ギャルソンヌ (: garconne、「少年」の女性形)」と呼ばれるようなボーイッシュなもの[44]で、髪型はショートヘア、ドレスは腰部のくびれがないストレートなシルエットで胸を平らに見せるものだった。


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