フライングフェザー
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住江製作所・フライングフェザー

概要
製造国 日本
販売期間1955年
ボディ
乗車定員2名
ボディタイプ2ドアソフトトップ
エンジン位置リア
駆動方式後輪駆動
パワートレイン
エンジン350cc4サイクル自然吸気ガソリンエンジン
最高出力12.5ps/4500rpm
最大トルク2.2kg・m/2500rpm
変速機3速MT
サスペンション
ウィッシュボーン
後ウィッシュボーン
車両寸法
ホイールベース1,900mm
全長2,767mm
全幅1,296mm
全高1,300mm
車両重量425kg
その他
最高速度60km/h - 70km/h
燃費約25Km/L
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フライングフェザー(Flying Feather)は、日本の車体メーカーである住江製作所(すみのえせいさくしょ。現・住江工業)が1950年代中期に少数を製造・販売した軽自動車である。

合理性を求め、徹底的に無駄を省いた簡易設計の軽乗用車として設計されたが、設計やデザインが時流に則さず、メーカー側の企業体力の乏しさもあって少量生産に終わった。
車名

車名は軽量化を目指したコンセプトから「羽根のように軽い」ことを企図して命名されたもので[1]、車名にメーカー名を冠さず、単に「フライングフェザー」と呼ばれることが多い。メーカー側のカタログや資料などでは「F/F」と略した表記もされた。
概説

住江製作所は、大手織物メーカーの住江織物が太平洋戦争中に設立した子会社である。後に住江木工が設立の上同社より独立し現在の住江工業になった。なお住江織物との資本関係は独立の際に断たれており、住江工業は現在は親会社が存在しない。

第二次世界大戦終了以降は、日産自動車の小型車ダットサンのボディ製造を手がけていた。この会社が自ら自動車開発に進出した動機には、日産自動車出身の専務・富谷龍一が関わっている[2]

富谷は戦後の早い時期から超小型大衆車の構想を抱いており、その着想は軽自動車規格が制定される以前の1948年にまでさかのぼるという。彼はヨーロッパの超小型車などの影響も受け、ダットサンよりも更に小型の、日本の国情に合致した超小型車の開発を企画した。

開発は富谷と志村実を中心としたチームによって1950年から開始されていた。開発期間中には軽自動車規格が制定され、更に四輪自動車に適した方向へと規格改定が進んだことから、これに沿ったクラスでの開発がなされた。富谷は性能向上のために軽量化を重視し、「フライングフェザー」(F/F)の愛称も、このコンセプトに沿って命名された。

1951年以降、試作車が年1台のペースで製作され、試行錯誤による改良を経て1954年4月に発表[2]1955年3月に販売が開始された。当時の法規制では運転免許証が不要でありながら[1]1954年9月に改定された道路交通法に適合しており[2]、発売当時の価格は30万円だったが、すぐ38万円に値上げされた。

四輪独立懸架や、無駄を省いて簡素化された構造に対しては、自動車専門家の間から評価する声もあったが、前輪ブレーキがないなどの行き過ぎた簡易化や、あまりにも簡素すぎる装備・デザインなどは商品性に欠け、市場から受け入れられるには至らなかった[1][3]。またメーカー側にも経営面で余裕がなく、1956年には生産中止となった[1]。諸説あるが、市販型の生産台数はわずか200台ほどにとどまったという[3]

富谷は後に日本初のFRP製モノコックボディを備えた斬新なキャビンスクーター「富士自動車・フジキャビン」(1957年)の開発も手がけているが[2]、これもまた技術的・商業的に失敗作に終わった。
構造

並列2座・幌付、シャーシとボディを別体としたリアエンジン・リアドライブ方式の超小型車である。
シャーシ構造

シャーシは、古い時代の自動車らしく梯子形フレームを用いている。ただし、構造は極力簡略化され、コの字型断面の薄い鋼材を用いて最小限の部材で構成した。

サスペンションはそれなりに進歩的であった。前後輪とも横置きリーフスプリングを用いた独立懸架とし、操縦性や乗り心地に配慮していたのである。フロントは三枚重ね一段、リアは三枚重ね二段としている。一方、ブレーキは前輪側にはなく[3]後2輪だけに効く機械式ドラムブレーキという、1920年代以前の自動車並みの貧相さであった。軽量車なのでこれでも制動は可能という考え方であったようだが、小型自動車でも四輪油圧ブレーキが常識化しつつあった当時、時代遅れなのは否定できなかった。

タイヤはシトロエン・2CV同様に、細く、直径の大きなタイヤを使うことで転がり抵抗低減とバネ下重量軽減を狙った。しかし日本では、シトロエンのように4輪車用の良質な軽量タイヤ(たとえばシトロエン・2CVにはミシュラン製のラジアルタイヤがその初期から供給された)を得ることは叶わず、試作時にはリヤカー用のタイヤが使われ、量産型ではオートバイ流用のワイヤースポークリムにやはりオートバイ用の19インチタイヤが用いられた[1]。ステアリングシステムはボール・ジョイント式である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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