みんなのうた
登山電車
↓
フニクリ フニクラ
歌手デューク・エイセス(*1)
ひばりヶ丘少年少女合唱団(*2)
作詞者ジュゼッペ・トゥルコ
清野協/青木爽(訳詞)
作曲者ルイージ・デンツァ
編曲者服部公一
映像影絵(*1)
アニメーション(*2)
映像制作者かかし座(*1)
福島治(*2)
初放送月1961年4月 - 5月(*1)
1970年6月 - 7月(*2)
再放送月2006年6月 - 7月(*2、ラジオ)
2006年9月5日
2006年12月28日
2007年1月3日
(以上*2、懐かし)
2013年4月 - 5月(*2)
2021年3月(*1。ラジオのみ)
テンプレートを表示
「フニクリ・フニクラ」(ナポリ語: Funiculi funicula)は、1880年に作曲、発表されたイタリアの大衆歌謡。
概要19世紀のヴェスヴィオ山。歌の主題であるケーブルカー(フニクラ)が山の上まで伸びている様子が見える
音楽・音声外部リンク
「フニクリ・フニクラ」全曲を試聴
Funiculi, funicula
1880年にヴェスヴィオ山の山頂までの登山鉄道(ケーブルカー、イタリア語では「フニコラーレ(Funicolare)」)の「ヴェズヴィアナ鋼索線」が敷設されたが、当初は利用者が少なかった。本作は運営会社が宣伝曲を作ることを考え、同社の依頼を受けた作曲家のルイージ・デンツァが作曲し、ジャーナリストのジュゼッペ・トゥルコ(イタリア語版)(1846年 - 1907年)が作詞したものであり、世界最古のコマーシャルソングともいわれる。「フニクリ・フニクラ」とは、フニコラーレの愛称である。歌詞はナポリ語で書かれており、内容は、登山鉄道とヴェスヴィオを題材としつつ男性が意中の女性への熱い愛と結婚への思いを歌い上げる[1]、というものである。なお、題材となったフニコラーレは、1944年に起きたヴェスヴィオ山の噴火によって破壊され、運行を終了した。 本作を知ったリヒャルト・シュトラウスは、これがイタリアに古くから伝わる民謡であると勘違いし、1886年に作曲した交響的幻想曲『イタリアから』(Aus Italien) に「フニクリ・フニクラ」のメロディーを取り込んでしまった。それを知ったデンツァはシュトラウスを訴えて勝訴し、以降この曲が演奏されるごとにシュトラウスはデンツァに対して著作権料を支払っていた。 グスタフ・マーラーの『少年の魔法の角笛』(1899年出版)中の「美しいラッパが鳴りひびくところ」が「フニクリ・フニクラ」に類似しているという指摘がある[2]。 ニコライ・リムスキー=コルサコフの『ナポリの歌』作品63(1907年)も「フニクリ・フニクラ」の主題を使った管弦楽曲である。 アルフレード・カゼッラは『イタリア』作品11(1909年)の後半に使用している。リヒャルト・シュトラウスと異なってカゼッラはデンツァが作曲者であることを知っており、著作権の問題を解決した上で使用した。 アルノルト・シェーンベルクは1921年に室内楽用に編曲している(クラリネット、ギター、マンドリン、弦楽三重奏)。 ハーマン・ベルステッド (Herman Bellstedt
引用・転用
アネット・ファニセロが1960年発売のアルバム『ITALIANNETTE』で「Dream Boy」という曲名でアレンジしたバージョンをカバーした(1961年にシングルカット)。