この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。(2015年12月)
ザ・フットボール・アソシエーション
名称
英語表記The Football Association
略称The FA
FIFAコードENG
歴史
設立1863年
FIFA加盟1905年
UEFA加盟1954年
組織
国または地域 イングランド
本部ロンドン
会長総裁:ウィリアム王子
会長:グレッグ・ダイク
⇒公式サイト
ザ・フットボール・アソシエーション(英: The Football Association)は、イングランドのサッカーを統括する国内競技連盟。略称はThe FA(ジ・エフエー)である。1863年に創立された世界最古のサッカー協会であるため、英語の正式名称は国名を表す修飾語を用いず定冠詞 'The' のみを伴う形で表記される。なお、日本語の報道ではイングランドサッカー協会との呼称が定着している他、サッカー専門の雑誌などでは 'The FA' から定冠詞を省いたFA等の呼び名でも表記される。
ザ・フットボール・アソシエーションは近代サッカーのルールの策定において大きな役割を果たしたことで知られている。イングランドに存在する全てのサッカークラブが加盟する団体として、イングランドのプレミアリーグおよび国内のカップ戦を主宰している。また国内の国際サッカー連盟(FIFA)と欧州サッカー連盟(UEFA)を構成する加盟団体の一つであり、ルールの制定に携わっている国際サッカー評議会(IFAB)の構成団体でもある。
以下この項目では特に断わりのない限り、当該団体の名称は 'FA' と表記するものとする。 イングランドのサッカークラブは、すべてFAに所属している。また、サッカーイングランド代表を組織する役割を担っているほか、イングランドのトップリーグであるプレミアリーグの運営主体でもある。なお、プレミアリーグの下部に位置するイングリッシュ・フットボールリーグは独自の運営組織を持っている。 イギリスは本土4協会(イングランドサッカー協会・スコットランドサッカー協会・ウェールズサッカー協会・北アイルランドサッカー協会?正式名称アイルランドサッカー協会〔北アイルランドのサッカーを統括するアイリッシュ・フットボール・アソシエーション〕)および海外領土各協会(モントセラトサッカー協会、イギリス領ヴァージン諸島サッカー協会、ケイマン諸島サッカー協会、タークス・カイコス諸島サッカー協会、バミューダ諸島サッカー協会、アンギラサッカー協会)の各代表をそれぞれFIFAから認可されている。その理由は次の通りである。 1863年のFAとロンドンの12クラブ(11とする資料もある)による統一ルール作成により[1]、近代サッカーが誕生し、イギリス各地に広がり、世界中に広がった。そして、近代サッカー誕生から41年後の1904年にFIFAが誕生した。FIFAは当初、原則1国1協会としていた。しかし、既にイギリス本土4協会(以下イギリス4協会と略)それぞれが独自に活動しており、さらに近代サッカーの母国としての優位性を主張したイギリスはFIFAに参加しなかった。 元々、サッカー単独の世界選手権(後のFIFAワールドカップ)を開催することが目的の一つだったFIFAは、近代サッカーの母国であり、自他共に認める近代サッカー初期の飛びぬけた最強の国であるイギリスをFIFAに加盟させるために、イギリス4協会それぞれを承認した[2][3]。 以降、中国は香港とマカオ、中華民国はチャイニーズ・タイペイ名義、アメリカ合衆国は海外領土のグアム・アメリカ領サモア・プエルトリコ・アメリカ領ヴァージン諸島、オランダは海外領土のキュラソー島・アルバなどのようにFIFAは一定の自治が行われている地域の協会も認可するようになった。 イギリスの国内オリンピック委員会は、サッカーに関しては、統一イギリスの国内競技連盟を承認していない。このため、サッカーが近代オリンピックの公式なプログラムになっているにもかかわらず、単一国内オリンピック委員会管轄地域としての出場が大原則であるため、予選時から統一イギリス代表は参加していない(それぞれの地域代表が五輪予選を兼ねる大会に出場)。「統一イギリス代表」は、2012年まで過去12回出場している(非正式種目時代も合わせると13回)。しかし、グレートブリテン代表は、1908年ロンドンオリンピックと1912年大会では実際はアマチュアサッカーイングランド代表であり、1948年などホーム・ネイションズ(イングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズ)のアマチュア選手を集めた大会あったものの、イングランドのアマチュア選手が主体であった。1972年を最後にグレートブリテン代表はオリンピック予選への参加を止めた。イギリス4協会は、それぞれ1992年バルセロナ五輪からオリンピック欧州予選を兼ねているUEFA U-21欧州選手権に参加しており、実際にイングランド代表が準優勝するなどの成績を残しているが、たとえ優勝してもオリンピックには出場が認められないため、オリンピックへの出場は無い。 2012年の開催が決定した第30回ロンドン五輪では開催国として4協会が一体となった統一イギリス代表として出場することも検討したが、イングランド以外の3協会が協会の独立性が失われるとして反対したため、一旦は統一チーム結成は断念しイングランド代表の単独チームが『イギリス五輪代表』として出場することになっていた[4]。しかし、イギリスオリンピック委員会を中心として調整をした結果、男子はイングランドとウェールズの合同チームとしてイギリス代表を結成し、女子はイングランドとスコットランド合同でサッカーイギリス女子代表を結成して本大会に出場した。 1863年10月26日にロンドンの居酒屋フリーメイソンズ・タバーンでロンドンにある12(11とする資料もある)のクラブおよびパブリックスクールの代表者の間で、「統一ルールの作成と、試合における同ルールの運用に携わる協会の設立」を目的とした会議が開かれた[5]。
概要
歴史
FAの設立とサッカー競技規則の誕生