フットボールアワー
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フットボールアワー
メンバー岩尾望
後藤輝基
結成年1999年
事務所吉本興業
活動時期1995年10月 -
出身NSC大阪校14期
出会いNSC
旧コンビ名ドレス(岩尾)
後藤・天満、エレキグラム(後藤)
後藤・岩尾
現在の活動状況テレビ・ライブなど
芸種漫才コント
ネタ作成者両者
現在の代表番組ピタゴラスイッチ
土曜はダメよ!
フットマップなど
過去の代表番組ジャイケルマクソン
NMB48 げいにん!
ざっくりハイタッチなど
同期コカドケンタロウロッチ
国崎恵美など
公式サイト公式プロフィール
受賞歴
2000年 第21回ABCお笑い新人グランプリ 最優秀新人賞
2002年 第32回NHK上方漫才コンテスト 最優秀賞
2002年 第31回上方お笑い大賞 最優秀新人賞
2003年 第1回MBS新世代漫才アワード 優勝
2003年 第32回上方お笑い大賞 話題賞
2003年 M-1グランプリ 優勝
2004年 第39回上方漫才大賞 大賞
2004年 第33回上方お笑い大賞 最優秀技能賞
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フットボールアワーは、岩尾望後藤輝基からなる日本お笑いコンビ。略称は「フット」。1999年4月結成、吉本興業東京本社(東京吉本)所属。M-1グランプリ2003王者。
メンバー詳細は「岩尾望」および「後藤輝基」を参照
岩尾 望(いわお のぞむ 1975年12月19日 - )(48歳)
ボケ担当、立ち位置は向かって左。大阪府大阪市東住吉区出身。愛称「のんちゃん」。
後藤 輝基(ごとう てるもと 1974年6月18日 - )(49歳)
ツッコミ担当、立ち位置は向かって右。大阪府大阪市東淀川区出身。既婚。
概要

2人とも
NSC大阪校14期出身。岩尾は同期のカネシゲタカシと「ドレス」、後藤は「後藤・天満(後に「エレキグラム」へ改名)」を経て1999年4月、「後藤・岩尾」としてコンビ結成。旧コンビ時代は共にボケ担当だった。同年5月、当時のうめだ花月シアター(後のうめだ花月)で初舞台を踏み、同年7月にコンビ名を現在のものに改める。その由来は、岩尾が読んでいたアメリカの小説に書かれていた「月曜日のフットボールアワーに間に合わないよ」という科白からの引用。なお、岩尾はこの由来について「大した答えが返ってくることはないので、フットボールアワーにコンビ名の由来を尋ねない(で下さい)。聞いた方が損をするだけです、適当に付けた名前ですから[1]」と語っている。

元々合同イベントを行うなど友人同士で、互いに笑いの才能を認め合ってはいたが同期が次々と辞めていき、やがてそれぞれのコンビも解散。お互いにコンビを組みたい気持ちが強くなってからも自分から組もうとは言い出せず、相手の誘いを待っていた。岩尾は先輩の陣内智則にその旨を相談し、「組みたい相手がいるならすぐに言った方がいい」とアドバイスを受けて決意し後藤へ電話をかけたもののなかなか切り出せず、岩尾の本心に気付いていた後藤は痺れを切らして逆にコンビ結成を誘い、岩尾は「別にええけど…」とあくまで上に立った物言いで組む運びとなった。この一連の話は岩尾の性格が特に現れたエピソードとして、よくネタにしている。

ネタ作りは2人で行なっている。結成当初のネタ作りでは岩尾が厳しくダメ出しする立場で、後藤のツッコミに対しても細かい注文をつけていたが「そんなん言うなら1回やってみせてくれ」と岩尾に実演してもらったツッコミがあまりに下手だったため、以降の岩尾はツッコミに対して文句を垂れなくなった。

漫才の評価が高いものの、実はコント歴の方が長く共に旧コンビ結成当初はコントをメインで演じ、その後に漫才を始めた。また、ユニットコントライブ『六人の侍』等にも参加している。

結成翌年の2000年にはABCお笑い新人グランプリで最優秀新人賞を獲得。以降も若手漫才師に与えられる数々の新人賞を総なめにし、M-1グランプリでも2003年大会で優勝を果たした。

2003年8月、当時の主要メンバーと共にbaseよしもとの卒業に伴いうめだ花月へ移動。ほどなくして東京進出し、現在はルミネtheよしもとなんばグランド花月を中心に舞台・テレビ等で活動中。

M-1グランプリ
2001年


結成2年で決勝進出を果たす。前半に岩尾の
ブサイクキャラを取り入れた、話題転換の多いネタを披露。最終順位は一般審査員・特別審査員・合計得点いずれも6位で、大阪会場や春風亭小朝からの得点が高く、逆に福岡会場や松本人志からの得点が低かった。

2002年


決勝1回戦では5番目に登場し、「ファミリーレストラン」を題材としたネタを披露。審査員7名中4名から最高評点を獲得し、1位通過で最終決戦進出を決める。ネタ後の批評にて島田紳助は「去年僕低い点数つけたんですよ。1年間で見違えました。びっくりしました」とコメントし、中田カウスは「コンビのコントラストもいいし、照れながらなんでもやってしまうという味があるでしょう。中々面白いコンビですね」と高評価した。また、島田洋七は「ボケながらまた普通の人間に戻るという所がすごく(面白い)ね。相当奥深いですよ彼は」と岩尾のボケに賛辞を送った。

最終決戦では抽選によってトップバッターとなり、「披露宴の司会」を題材としたネタを披露。最終審査では大竹まこと、松本人志から票を得るが、5票を獲得したますだおかだに及ばず準優勝。フットボールアワー自身も優勝を逃したのが腑に落ちなかった様子で[2]、紳助からは表彰式で「差は無かった」「負けてない」と高評価を受けている。

翌年の『放送室』(TOKYO FM)にて松本が「あの回[注 1]はフットボールアワーが優勝だった。ますだおかだはパンチがない。オレと大竹さんしか投票していないことに驚いた。審査した先輩に文句をつける訳ではないけど吉本の芸人だけ優勝させるとかコンビ歴10年(当時のラストイヤー)とか情が動いて投票しているようにしか思えない」と当時の結果を酷評した。


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