フセイン・ビン・アブドゥッラー
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フセイン・ビン・アブドゥッラー
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ヨルダン王太子
(英語版)
2021年のフセイン

全名フセイン・ビン・アブドゥッラー・ビン・フセイン・ビン・タラール
称号王太子
敬称殿下
出生 (1994-06-28) 1994年6月28日(29歳)
ヨルダンアンマン
配偶者ラジュワ(英語版)(2023年6月1日 - )
父親アブドゥッラー2世
母親ラーニア
役職 ヨルダン陸軍(英語版)大尉(英語版)
宗教イスラム教スンナ派
サイン
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アル=フセイン・ビン・アブドゥッラー(アラビア語: ?????? ?? ??? ????, ラテン文字転写: Al-?usayn ibn ?Abd All?h; 1994年6月28日生)はヨルダン国王アブドゥッラー2世およびラーニア王妃の長男であり、同国の王太子(英語版)。彼は1921年以降ヨルダン王室となっているハーシム家の一員であり、イスラム教の預言者ムハンマドから数えて42代目の子孫となる。

ヨルダン軍の大尉(英語版)を務め、ヨルダン国内での勉学の後、2016年にジョージタウン大学で国際史の学位を取得している。2012年の成人後はしばしば摂政として父王の国内外訪問に同行している。

フセイン率いる王太子財団は工科大学の運営や科学・人道活動に取り組んでいる。2015年、20歳にして国際連合安全保障理事会の議長を史上最年少で務めた。2017年にサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業後、同年9月の国際連合総会演説で国際舞台へのデビューを果たした。
出生と教育

フセインは1994年6月28日、アンマンのフセイン国王病院(英語版)でアブドゥッラー王太子(当時)およびラーニア妃の間に生まれた[1]。1993年1月、アブドゥッラーは妹アーイシャ・ビント・フセイン(英語版)主催の晩餐会でApple社の広報業務担当であったラーニアと出会い、半年後に結婚した[1]。フセインの名は祖父フセイン1世に因む[2]。フセインはムハンマドの娘ファーティマと第4代カリフアリーの直系子孫である[3]。ハーシム家は1925年に第二次ヒジャーズ・ナジュド戦争サウード家に敗れるまで700年以上にわたりマッカを支配し続け、1921年以降ヨルダンを支配している[4]。ハーシム家はイスラム世界現存最古の王朝であり、世界中でも日本の皇室に次ぐ長さとなっている[5]。彼の父方の祖母はイスラームに改宗したイングランド人であり、母はパレスチナ系である。

フセインはアブドゥッラー国王とラーニア王妃の長男である。彼の父方の祖父母はフセイン国王と彼の2番目の妻で、イングランド出身のムナー妃である。彼には3人のきょうだいがいる。イーマーン王女(英語版)、サルマー王女(英語版)およびハーシム王子(英語版)である[2]。彼は初等教育をレバノン・ショイファット国際学校(英語版)およびアンマン国際学院で受けた[2]。王立学院(英語版)高等学校を卒業後、2016年にジョージタウン大学で国際史の学士号を取得し、2017年にサンドハースト王立陸軍士官学校を卒業した[2]。彼はヨルダン軍の大尉(英語版)を務める[6]
法定推定相続人ヨルダン王太子旗

アブドゥッラーはフセイン国王の長男でありながら当初王位継承者とは見なされていなかった。フセイン国王は自らの弟でアブドゥッラーの叔父ハサン・ビン・タラール(英語版)を1965年に王太子に指名していた[7]。崩御の直前、1999年2月7日にハサンの代わりにアブドゥッラーを後継者に指名した[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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