フジノウェーブ
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フジノウェーブ
2008年11月3日 園田競馬場
品種サラブレッド
性別
毛色芦毛
生誕2002年4月27日
死没2013年10月23日(11歳没)
ブラックタイアフェアー
母インキュラブルロマンティック
母の父Stop the Music
生国 日本北海道浦河町
生産笹島政信
馬主大橋清助→大志総合企画
調教師柴田高志(笠松
高橋三郎大井
競走成績
生涯成績59戦23勝
中央競馬5戦0勝
地方競馬54戦23勝
獲得賞金中央競馬1178万8000円
地方競馬3億7770万6000円
勝ち鞍JpnI: JBCスプリント(2007)
JpnII: 東京盃(2008)
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フジノウェーブは日本競走馬である。地方所属の競走馬として初めてJBC競走(JBCスプリント)を制した。目次

1 経歴

1.1 2歳

1.2 3歳

1.3 4歳

1.4 5歳

1.5 6歳

1.6 7歳

1.7 8歳

1.8 9歳

1.9 10歳

1.10 11歳


2 競走成績

3 血統表

4 脚注

5 外部リンク

経歴
2歳

2004年、9月に笠松競馬場でデビューし、デビュー戦で初勝利を挙げる。しかし続くジュニアクラウンでは、出走登録を行ったが取り消された。
3歳

2005年、この年4戦目でデビュー以来2勝目を挙げる。続く中央競馬初出走となった阪神競馬場での3歳上500万下では、11番人気ながら3着となった。大井競馬場への初遠征となった黒潮盃では、ボンネビルレコードらに敗れ6着だった。その後、高橋三郎厩舎へ転厩することになった。転厩後は3連勝をするなど5戦3勝という成績だった。
4歳

2006年、この年の初戦は2着だったが、その後7連勝を記録した。この年は全走1600mから2000mまでのレースに出走している。
5歳

2007年の緒戦は2005年年末以来のスプリント戦に出走し勝利、そこからマイルグランプリまで連勝し、前年からの連勝を10まで伸ばした。ダートグレード競走初出走となったさきたま杯メイショウバトラーらに敗れ4着で連勝がストップした。続く帝王賞では11着という大敗の結果に終わった。

帝王賞後は馬インフルエンザの影響で予定が狂ったが、第7回JBCスプリントでは7番人気での出走となった。道中最内で4番手につけ、そのまま直線に入ると残り100m付近で前を行く馬を差しきって勝利し、同レース地方馬初制覇を成し遂げ、ダートグレード競走初勝利を挙げた。馬インフルエンザの影響で延期となっていたアフター5スター賞では、先に抜け出したベルモントサンダーを捕らえきることができず2着に敗れた。
6歳

2008年、中央GIのフェブラリーステークスに出走するが12着だった。続くかしわ記念はボンネビルレコードの4着に敗れた。鞍上が乗り替わりとなったさきたま杯は5着だった。4ヶ月ほど空けて出走した秋緒戦の東京盃で、昨年のJBCスプリント以来の勝利を挙げた。次走JBCスプリントでは昨年の覇者として出走し、4番人気に推された。出足が付かず道中10番手を追走し、3コーナー付近から押し上げて行ったが、そのまま前に届かず7着となった。その後、この年新設されたカペラステークスに出走した。大井に転厩して以降、輸送のある重賞で馬券に絡んだことはこれまでに無かったが、このレースで初めて3着に入った。
7歳

2009年、中央GIIIの根岸ステークスに出走するが9着だった。東京シティ盃では1番人気に応えて快勝した。続く東京スプリントでは1番人気に推されたが、最後の直線で伸びず3着に敗れた。休養を挟み、連覇がかかった東京盃に出走したが、5着に終わった。続くJBCスプリントも5着に敗れた。続くカペラステークスでは終始後方のまま12着と大敗した。
8歳

2010年1月13日船橋記念から始動したが2着に敗れた。続く2月2日に行われた準重賞のウィンタースプリントでは勝利を収めた。次走は3月3日に行われた新設の重賞、東京スプリング盃に出走。1番人気に推され、前走に続いて斤量が59kgでの出走だったが、3コーナーから最後の直線にかけて前を捉えて最後は4馬身差をつけて快勝し20勝目を挙げた。4月7日の東京スプリントでは中団待機から直線外から追い込んでくるも届かず2着に敗れた。5月5日のかしわ記念では中団追走から伸びあぐねて7着に終わった。
9歳

2011年1月19日の船橋記念から始動したが5着、続くウィンタースプリントでは4着に敗れた。3月9日の東京スプリング盃では3番手追走から直線で抜け出して連覇を達成。4月20日の東京スプリントでは10着、6月1日さきたま杯では後方から追いあげてくるも7着に敗れた。その後、8月30日アフター5スター賞に出走予定だったが、左前脚の挫石のため競走除外となった。11月2日マイルグランプリでは2着だった。続くロイヤルカップでは3着、12月23日ゴールドカップでは9着に敗れた。
10歳

2012年3月7日の東京スプリング盃では道中好位追走から直線でさらに脚を伸ばし2着に3馬身半差をつけ3連覇を達成。10歳馬の重賞勝ちは南関東競馬では初となった。4月18日の東京スプリントでは中団待機から直線では馬群を割るように伸びてきたがセイクリムズンの2着だった。8月のアフター5スター賞は7着、10月のマイルグランプリは3着に終わった。
11歳

東京スプリング盃に優勝し、同競走4連覇を達成。続くアフター5スター賞で12着に敗れ、競走後に右第一指節種子骨剥離骨折、種子骨靭帯炎が判明し引退した。引退後は大井競馬場で誘導馬を目指す予定[1] であったが、2013年10月23日、去勢手術中の不慮の事故のため死去[2]

これを受けて、東京シティ競馬は同馬の功績を讃え、東京スプリング盃を2014年度より『フジノウェーブ記念』と改めることを決定した[3]
競走成績

年月日競馬場競走名格頭数オッズ
(人気)着順騎手斤量距離(馬場)タイム
(上り3F)タイム
差勝ち馬/(2着馬)
2004年 2歳/1戦1勝
2005年 3歳/11戦4勝
2006年 4歳/8戦7勝
2007.02.22大井ウインタースプリント準重賞162.0(1人)1着
御神本訓史55ダ1200m(稍)1:11.9(36.3)-0.5(エトワールフルーヴ)
0000.03.14大井東京シティ盃南関G3161.6(1人)1着御神本訓史58ダ1200m(良)1:11.8(37.1)-0.2(ナイキアディライト


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