フクちゃん
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フクちゃん
ジャンル
4コマ漫画児童漫画少年漫画ギャグ漫画
漫画
作者横山隆一
出版社朝日新聞社

その他の出版社
共同通信社
毎日新聞出版
毎日新聞社

掲載誌朝日新聞
毎日新聞
発表期間1936年10月1日 - 1971年5月31日
テンプレート - ノート
プロジェクト漫画
ポータル漫画

フクちゃんは、横山隆一による日本漫画作品シリーズと、それを原作とした映画アニメーション作品および、作品内に登場する架空の人物の名称である。京浜急行バスラッピングバスフクちゃん号
概要

キャラクターとしてのフクちゃんは、1936年(昭和11年)1月25日[1]東京朝日新聞(現:朝日新聞東京本社)で始まった連載4コマ漫画『江戸っ子健ちゃん』(資料により『江戸ッ子健ちゃん』の表記あり)の脇役として登場した[2]。着物に下駄、大きな学生帽という容姿の幼い男の子で、やがて主人公の健ちゃんよりも人気が出た[3]ため、改題のうえ、フクちゃんを主人公に昇格させた(スピンオフ作品)。その後も『フクちゃん』シリーズは、連載媒体を幾度か変えながら、1971年(昭和46年)まで長期にわたり連載された(#掲載媒体・タイトルの変遷参照)。

フクちゃんの名は漫画家・横井福次郎の「福」から来ている[4][3][5]。フクちゃんは元々、学生帽を被っていなかった。前作『江戸っ子健ちゃん』の初期、大学受験のために健ちゃん宅に居候していた「チカスケ」という登場人物が、合格するために自分を追い込むつもりで先に学生帽を買ったが受験に失敗し、進学を断念して帰郷することになったため、フクちゃんがそれを譲り受けて以来、トレードマークになったものである[3](テレビアニメ版での設定は後述)。

ストーリーは基本的に、フクちゃんとその家族や友達のほのぼのした生活を描いている。作中の登場人物が年を取る事はない(「サザエさん時空」)。

1938年(昭和13年)、第1回日本文化協会児童文化賞受賞[1]

戦争中、日本海軍のプロパガンダとしてアニメーション映画化された(後述)。その一方、敵国である米軍の宣伝ビラ『落下傘ニュース』にも『フクちゃん』が無断で使用された[1][6](後述)。
あらすじ

東京の下町に住む少年・フクちゃんは、ある日親戚のおじいさんの家に養子に貰われる。おじいさんの家は大富豪で、フクちゃんはそこの跡取り息子として迎えられた。そこへ、フクちゃんの家庭教師として九州出身のバンカラ学生・アラクマが登場。やがて金持ち暮らしに飽きたおじいさんは、屋敷を福祉施設に改築し、一般に開放。自身はフクちゃん、アラクマと共に長屋に移住し、普通の小市民としての3人の生活がスタートした(同時に剃髭し、身なりもお馴染みのアルファベット柄の着物姿となる)。戦時中は時節柄国防ネタが多く、戦後は一転して世相を交えながらも牧歌的な子供中心の世界が描かれた。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}長期連載新聞漫画では『サザエさん』等のように明確にストーリーを完結させた最終回が描かれないまま、作者の死亡、掲載紙変更、休載などから尻切れトンボ的に連載終了となることが多い[要出典]中、『フクちゃん』はきちんとした完結によって連載を終えた数少ない例である(『フジ三太郎』『ほのぼの君』『アサッテ君』と同様)。最終回間近には、
フクちゃんの実父が戦後台湾に渡り、実業家として成功した事を知ったおじいさんは、フクちゃんに台湾行きを薦めるが、フクちゃんは「おじいさんがおとうさんだ」と言ってこれを拒む。

サラリーマンとなったアラクマも結婚する事となり、密かにアラクマを想っていたナミコが失恋の旅に出る。

といったストーリーが展開された。また同じ横山作品から、『デンスケ』の茶刈デンスケとドシャ子、『ペ子ちゃん』の大中ペ子も登場した。

そしてラスト1回前ではデンスケ一家や健ちゃんたちがフクちゃんに別れを言いに現れ、最終回ではフクちゃんが横山と会話をして大団円となった。



掲載媒体・タイトルの変遷

[1][2][7]

東京朝日新聞朝日新聞1936年10月1日 - 1944年3月4日) - 当初は「養子のフクチャン」の題で開始。大阪朝日新聞にも数日遅れで掲載された。何度か改題されたほか、作者の事情で連載を打ち切っていた時期もあった。セリフはすべてカタカナ書き。おじいさんの着物の柄は途中からアルファベットから算用数字に代わった。

養子ノフクチャン(1936年10月1日 - 1937年7月31日) - 夕刊掲載。

末ッコゴロチャン(1937年8月1日 - 1937年12月31日) - この作品から朝刊掲載。近所の友達・ゴロちゃんが主人公のスピンオフ作品。しかしフクちゃんも頻繁に登場しており、内容はほとんど変わりがなかった。

フクチャン部隊(1938年1月1日 - 1939年7月6日) - 朝刊連載。主役をフクちゃんに戻す。

コドモ指南アラクマ道場(1939年7月7日 - 1939年12月31日) - 朝刊連載。主役にアラクマを据えたスピンオフ作品。アラクマ主宰の「アラクマ道場」でフクちゃん達が稽古に励む。

ススメ! フクチャン(1940年1月1日 - 1941年12月31日) - 朝刊連載。再度主役をフクちゃんに戻す。

フクチャン実践(1942年1月1日 - 1942年12月18日) - 朝刊連載。ネタの多くが戦時下向けに。最終回は「みんな海外に行く時代」「ここも狭い」とフクちゃんがコマを飛び出し、ここで一度打ち切られる。

ジャバノフクチャン(1942年6月23日 - 1942年8月23日) - 7月22日までは挿絵が描かれた海外レポート。同年8月1日に3コマ物の漫画になり、ジャバ(ジャワ島)で原住民と共に暮らすフクちゃんが描かれた。

フクチャン従軍記(1942年9月8日 - 1942年9月13日) - 再び挿絵が描かれた戦時レポートに。

フクチャンかへる(1942年9月15日 - 1942年9月20日) - ジャバから日本へ帰るフクちゃんを描いた4コマ。

フクチャン(1942年9月22日 - 1943年12月31日) - 朝刊連載。再びフクちゃんを主役に据えた通常の4コマに戻る。

フクチャン大東亜コドモカイギ(1944年1月1日 - 1944年1月2日) - 2日間掲載の短編漫画。大東亜共栄圏下の子供達が会議する。日本代表はフクちゃん。

フクチャンレンセイノ巻(1944年1月4日 - 1944年1月29日) - フクちゃん達も練成を行うことに。1月18日までは朝刊に、1月19日より夕刊に掲載された。最終回は戦闘機に乗り、そのまま下記「ソラノ巻」に改題された。

フクチャンソラノ巻(1944年1月31日 - 1944年3月4日) - 夕刊連載。戦闘機に乗ったフクちゃんの活躍を描く。「疎開」する名目で打ち切られた。


防衛新聞(1945年4月18日 - 1945年5月8日 以降不明)

防衛フクチャン[8]


共同通信配信(1946年 - 1947年[3]

フクちゃん - 『夕刊とうほく』[3]ほか、全国16紙に掲載。


面白倶楽部(1948年1950年

フクチャン活躍 → フクちゃん


天馬(1949年

タイトルは「フクチャンの野球」「フクチャンの拳闘」など、その都度変わった。


サンデー毎日1950年9月 - 1951年9月)

デンスケ★フクちゃん - 横山作の『デンスケ』と共演させた作品。


毎日新聞1956年1月1日 - 1971年5月31日


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