この項目では、過去のアメリカのプロレスユニットについて説明しています。
名称元のヨハネの黙示録の登場人物については「ヨハネの黙示録の四騎士」をご覧ください。
アメリカの巨大情報技術企業4社については「ビッグ・テック」をご覧ください。
ザ・フォー・ホースメン
左よりタリー・ブランチャード、バリー・ウインダム、J・J・ディロン、リック・フレアー
(2012年、WWE殿堂入り式典にて)
概要
メンバー下記参照
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ザ・フォー・ホースメン
ザ・ホースメン
デビュー1985年
解散1999年
団体
NWA(JCP)
WCW
ザ・フォー・ホースメン(The Four Horsemen)は、1985年から1990年代末にかけて、アメリカ合衆国で活動したプロレスのユニットの名称。NWAのジム・クロケット・プロモーションズで結成され、その後継団体のWCWでもメンバーを変えて活躍していた。
リック・フレアーを不動のリーダーとして、親指を除く4本の指を突き立てるポーズをトレードマークに、アメリカのプロレス界において伝説的な名ユニットとして語り継がれている[1]。 結成時のオリジナルメンバーはリック・フレアー、アーン・アンダーソン、オレイ・アンダーソン、タリー・ブランチャード、マネージャーのJ・J・ディロン。当初は固有の名称は付けられていなかったが、アーン・アンダーソンがインタビュー中で「俺たちは言わば『黙示録の四騎士(The Four Horsemen of Apocalypse)』だ」と発言して、これがユニット名に採用された[1]。 ニック・ボックウィンクルをリーダーとしたAWAのヒーナン・ファミリーなどの前例と同様に、実力派のヒールたちがユニットを組んだホースメンは絶大な悪役人気を獲得[1]。メンバー全員がチャンピオンとして、フレアーがNWA世界ヘビー級王座を、ブランチャードがNWA・US王座もしくはNWA・TV王座を、オレイ&アーン・アンダーソンのミネソタ・レッキング・クルーがNWA世界タッグ王座を常時保持し、ダスティ・ローデス、マグナムTA、ロード・ウォリアーズ、ロックンロール・エクスプレス、ニキタ・コロフらと抗争を繰り広げた[2]。 グループのキャラクター・イメージは、アルマーニのスーツを着こなし、高級車やプライベートジェットを乗り回し、美女を侍らせ豪遊する「大人の男」[3]。「(試合への乱入や抗争相手への襲撃など)やることは汚いが、着ている服は清潔だし、女たちも上玉ばかりだ」などと豪語していた。実際、これはギミックの上だけではなく、当時の彼らの凄まじい豪遊の武勇伝はいくつも残っている[1]。 1987年にオレイ・アンダーソンが一時リングを離れ、レックス・ルガーが加入。翌年にルガーがフレアーとの確執で追放されてベビーフェイスに転向すると、入れ替わりにバリー・ウインダムがヒールターンして新加入[3]。驚異的な肉体美を持っていたものの、不器用かつキャリア不足で試合も荒削りなルガーとは対照的に、業界でも屈指の試合巧者であり、長身でマスクも良くマイクパフォーマンスも達者なウインダムの加入によって、ホースメンはレスリング史の頂点に君臨する ギャング となってファンを魅了したとフレアーは述懐している[4]。
来歴