フォーミュラ・ニッポン
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フォーミュラ・ニッポン開始年1996年
終了年2012年
主催日本レースプロモーション
開催国
チーム数12チーム
前回優勝 中嶋一貴
最多優勝 本山哲(4回)
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Lola B351(2005年 井出有治Lola B06/51 (FN06) (2007年 ミハエル・クルムスウィフト・017.n (FN09) (2010年 アンドレ・ロッテラー

全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Japanese Championship Formula Nippon)は、1996年から2012年まで日本で開催されていた自動車レースで、全日本スーパーフォーミュラ選手権の前身である。

JAF略称は「FN」[1]2009年までは「JAF-F3000」)、レース格式は国際。フォーミュラカー(オープンホイール)を使用した四輪レースで、日本最高峰かつ独自のカテゴリーであった。“日本一速い男 決定戦”とも呼ばれ、レース専門誌やファンの間では「Fポン(エフポン)」や「FN(エフエヌ)」などと略される。
概要

日本レースプロモーション(JRP)を運営母体とし、日本自動車連盟(JAF)公認の下、全日本F3000選手権を引き継ぐ形で1996年にスタートした。

当時、国際F3000がレギュレーション変更によりワンメイク化されたのに対し、国内レース関係者はこれを良しとせず、発足当初は従来のF3000レギュレーションを継続。1999年より新しい国際F3000の安全基準のみを取り入れ、車両規則は独自のレギュレーションを規定した。

2012年をもって「フォーミュラ・ニッポン」の名称での開催を終了し、翌2013年からは「スーパーフォーミュラ」と名称を変更して開催されている。
レース形態

2000年からレース途中のタイヤ4輪交換を義務づけることでレースのエンターテインメント性を高め、チームとドライバーにはレース戦略の構築が求められるようになった。

2003年からローラワンメイクになるにあたり、レース距離は変えずに「再給油」を導入したが、レース途中で再給油せずにレースを走りきってしまう場合があったため、2004年からレース距離をそれまでの200kmから伸ばし、さらに2005年からはF1とほぼ同じ「300km」とした。これにより無給油でレースを走りきれないようになったはずだったが、実際には無給油で走りきってしまうチームが続出した。また、ピット作業の人数を制限したこと、後にタイヤ4輪交換の義務をなくしたことで、前後いずれかのみ、または左右いずれかのみの2本を交換することでピットインの時間を短くする戦略も生まれた。

2007年にはレース距離を最短230kmから最長300kmまで幅を持たせたり、ピットインの義務付けをなくしたりと、レースにバラエティをもたせる試みがなされた。また第3戦(もてぎ)ではスペシャルステージ方式の予選が行われた。

2008年は、第5戦(鈴鹿)と第6戦(もてぎ)と第7戦(富士)で2レース制を採用した。2レース目のスターティンググリッドは第1レースの上位8台がリバースグリッド、9位以下は第1レースの着順のままであった。また2レース制の導入によりポイントシステムが変更された。予選システムに関しては、F1でも採用されているノックアウト方式の予選が採用された。

2009年は参戦コスト抑制を目的に、大会日程を3日間から2日間に短縮。前年採用した2レース制やリバースグリッドは採用せず、レース距離も最長250kmに短縮された。なお、予選は前年同様ノックアウト方式であるが、エントリー数の減少もあって予選順位の配分が変更された。
海外での開催

2004年にはマレーシアセパンサーキット)で初の海外戦を行ったが、現地のオーガナイズに問題が多く、通常国際格式で行われるはずのレースがなぜか準国際格式で行われたほか、レースの賞金の支払を巡るトラブルも発生した。2005年もセパンでのレース開催を予定していたが、現地オーガナイザーとの交渉が決裂し開催は中止された。2000年から2002年には、スカラシップとしてアジアのドライバーをシリーズに招き入れる[2]などの制度を実施していたが、その試みは3回のみで中断した。
マシン
シャシー
発足当初は旧全日本F3000を受け継ぐ形で、レイナード、ローラ、童夢がシャシーを供給していたが、JRPがフォーミュラ・ニッポン専用マシンの供給を打診したところ、1999年より、ローラ、レイナード、Gフォース(現 パノス)の3メーカーが専用シャシーの供給を開始した。しかし、ローラとGフォースの戦闘力不足もあってレイナードの実質ワンメイク状態へと年を経るごとに変化した。2002年にレイナードが倒産したため、2003年からローラのワンメイクとなり、3年毎にシャシーが更新されることになった。2006年はシャシー更新の年に当たり、引き続きローラ製の新型シャシー「B06/51(FN06)」が使われることになった。この「FN06」は、前年度まで使用されていた「B351」の正常進化形であり、モノコックについては変更部が認められないものの、新エンジンの搭載に伴う出力の増大と低重心化に対応して各ユニットを再設計したものであった。また、これまで変速にはシーケンシャルシフトが採用されていたが、「FN06」のステアリング操舵荷重が走行時は極端に重いことや、よりハイレベルな攻防を可能にするため、2009年に予定されていたパドルシフトザイテック社製)の導入を2008年に前倒した。2009年からは後述の通り、スウィフト・エンジニアリング社製のシャシー「017.n(FN09)」が導入された。「FN09」も導入当初よりステアリングの操舵荷重の重さが問題となっており、2010年よりパワーステアリングの装着が認められ、第5戦(菅生)より装着された。トヨタRV8J(2006年仕様)
エンジン
旧全日本F3000と同様に3,000cc V8エンジン(9,000rpmでリミッターが作動)がそのまま用いられ、無限(現 M-TEC)のMF308コスワースDFV(一時期ACも使用された)、ジャッドのKVなどが当初は使用された。しかし、コスワースとジャッドは2年足らずで淘汰されてしまい、その結果1999年から2005年までは無限MF308の事実上ワンメイクとなっていた。しかし、その無限MF308も供給が困難になってきたため、2006年からホンダトヨタが、インディ・レーシング・リーグ(IRL)用のエンジンをベースとした専用エンジンのホンダ・HF386E及びトヨタ・RV8J(3,000cc V8は変わらず、リミッターの設定は10,300rpmに引き上げられた)を供給することとなった。2006年から2008年のエンジン使用勢力図は、日産系のIMPUL等がトヨタエンジンを選択したり、トヨタ系の新規参入チーム(TOM'SINGING 等)が増えたこともあって、トヨタエンジンを使用するチームが多数派を占めた。なお、各チームは3年間同一メーカーのエンジンを搭載するよう決められていた。成績面においては、2007年シーズン序盤までは特に燃費面でトヨタエンジンの優位が目立ち、結果として上位の成績をトヨタユーザーが独占する状態になっていたが、シーズン中盤からはホンダエンジンを搭載するNAKAJIMA RACINGの巻き返しが見られた。2009年シーズンからは、SUPER GTのGT500クラスに使用するものと基本設計が同じ3,400cc V8エンジンのホンダ・HR09Eトヨタ・RV8Kが供給された[3]。また、レブリミットを20秒だけ10,700rpmまで引き上げるオーバーテイクシステムを新たに導入。1レース5回まで使用が許され、システムの使用中(システム作動5秒後にランプが点滅)および使用回数(使用可能回数のランプが点灯)が一目で分かる“オーバーテイクランプ”(PIAAが供給)がドライバーの頭上に設置された。通常ランプは白色で点灯するが、シリーズのポイントリーダー(開幕戦は前年のドライバーチャンピオン)のみ赤色で点灯する。
タイヤ
初年度はブリヂストン横浜ゴムが供給していたが、レース費用低減を図るため翌1997年からのワンメイク化が決定。コンペティションの結果、ブリヂストンが独占供給することとなった。なお、その後レギュレーションでタイヤメーカーは1メーカーのみと定められた。土曜日の予選から日曜日決勝までに一人のドライバーが使えるタイヤはドライ、ウェット各4セットずつと定められた。ドライタイヤにはスタンダードコンパウンドとソフトコンパウンドの2種類があり、ツインリンクもてぎ以外ではスタンダードが供給された。なお、2007年シーズン途中に2008年スペックのタイヤが前倒しで供給され、耐久性、グリップともに向上したタイヤが用いられることとなった。ウェットタイヤは1パターンのみであるが「ステルスパターン」と呼ばれる溝により、磨耗が進むと路面との接地面積が増え、インターミディエイト的な使用も可能であった。
チーム名

シリーズ発足に際し多くのファンに親しみを持ってもらうため、全エントラントは従来のエントラント名や車名(スポンサー+マシン)ではなく、野球サッカーで一般的な“チーム名”を使用した。これはレース界で初の試みであった。
JRP中期計画
2009年 - 2011年FN09(Swift 017.n)
(シェークダウンテストにて)

JRPは、2007年8月26日に「2009?2011 JRP中期計画報告会」を開催し、2009年以降の基本方針および新規導入車両を発表した。これはシリーズのさらなる活性化を目指して、新たな取り組みを開始するものであった。
基本方針


世界から目標とされるシリーズの構築

ファンの満足度アップとなる、最も面白いレースの提供

新シャシー、新エンジンの導入

新規レースの調査・研究(市街地レース、オーバルレース)

ハイブリッド、水素、バイオエタノールなどの環境に配慮したエンジンの研究

大会数は最大で国内10戦・海外1戦とし、パシフィックエリア開催を目指す

車両(スウィフト・エンジニアリング社製)


日本独自のカテゴリーとして、今までにない斬新なデザインの追求(先進性と変化)

よりスリリングなレース展開が可能な車両

最低3年間使用可能な安全性と耐久性の確保

シャシー新旧比較FN09(新型車両)FN06(旧型車両)備考
全長4,775mm4,667.5mm
ホイールベース3,000mm3,000mm
車両最大幅2,000mm1,800mm車両中心線からタイヤ外側まで実測で1,000mm以内
車体最大幅1,600mm1,450mmウイングを除く、ボディワークの最大幅
フロントウイング幅1,800mm1,450mm
リヤウイング幅1,220mm1,000mm
車両重量670kg666kgドライバー搭乗時
燃料タンク容量115L135L車体サイドに設ける給油口から給油可能な最大値
ミッションリカルド社製6速ヒューランド社製6速共にパドルシフト
ブレーキPFC社製6ピストンブレンボ社製4ピストン
フロントタイヤ235/55R13235/55R13
リヤタイヤ340/620R13340/620R13
安全基準2006年F1に基づく2002年インターF3000に基づく

エンジン


より多くのエンジンメーカーが参加しやすいレギュレーションを確立する

現状の音量規制を遵守し、且つ、より魅力のある音を追求する

目標出力600hp以上

3.4L、V型8気筒

最低重量120kg

3レースで使用できるエンジンは1基とする

オーバーテイクボタンの搭載

エンジン新旧比較新型エンジン現行エンジン備考
排気量3,400cc3,000cc
出力600/hp+α550/hp
気筒数V型8気筒V型8気筒バンク角90°
吸気自然吸気自然吸気
重量120kg127kgエアボックス、エアフィルター込み
回転数制限10,700rpm10,300rpm
回転数制限方式ECUECU

上記の2009年シャシー及びエンジンのスペックから、ハード面での大幅なパフォーマンスアップが期待された。また、エンジンに関しては2009年からのSUPER GTのGT500クラスと基本設計は同じものを使用した。
2012年

本来であれば、FN09の導入から3年が経過する2012年は新型シャシーの導入時期となり、それに併せて新しい中期計画が発表されるのが通例であったが、2011年のシーズン開幕前記者会見でJRP社長の白井裕は、新型シャシー導入について「昨今の経済情勢を踏まえると難しいだろう」と語り、非公式ながら当面の間従来のFN09をアップデートしながら継続使用する考えを示した[4]。その後2012年3月に、FN09は2013年まで使用し、2014年から新シャシーに切り替えるスケジュールが明らかにされている[5]

なお将来的には、新たにハイブリッドシステム「System-E(仮称)」を導入する方針である。当初はエネルギー回生を行わないシステムとなる予定だったが、2011年9月に行われたテストではF1における運動エネルギー回生システム(KERS)相当のシステムとなった[6]。基本システムは共通とするもののバッテリーについては自由競争とすることで、バッテリーメーカー間の開発競争が起きることを期待している[4]。ただ当初は2012年からの導入を予定していたが、その後導入時期が2014年[5]→2015年と延期されている。

それ以外に、2012年からはシンガポールでのレース(現在のシンガポール市街地コースではなく、新設するサーキットでのレースを予定)を行う方針で調整が進められていたが[4]、運営会社が入札時に不正を行ったことが明るみに出たこともあり工事は中断し、結局「開催の話は白紙に戻った」という形になった[5]

2012年3月26日の開催概要発表会にて「フォーミュラ・ニッポン」の名称はこの年限りとし、一般公募で選ばれた新名称を2013年より使用することが発表され[7]、8月5日に新名称を「全日本選手権スーパーフォーミュラシリーズ」に決定したことが発表された[8]
歴代チャンピオン

エンジンチューナー部門は2004年までの開催

年ドライバー
(所属チーム/マシン)チーム
(マシン)エンジンチューナー
1996年 ラルフ・シューマッハ
X-JAPAN Racing Team Le Mans/レイナード無限東名)X-JAPAN Racing Team Le Mans
(レイナード・無限・東名)東名エンジン
1997年 ペドロ・デ・ラ・ロサ
SHIONOGI TEAM NOVA/ローラ・無限・尾川)SHIONOGI TEAM NOVA
(ローラ・無限・尾川)尾川自動車
1998年 本山哲


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