フォーミダブル_(空母)
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フォーミダブル
HMS Formidable
基本情報
運用者 イギリス海軍
艦種航空母艦
級名イラストリアス級航空母艦
次級インプラカブル級航空母艦
愛称Old Formy
The Ship That Launched Herself
艦歴
起工1937年6月17日
進水1939年8月17日
就役1940年10月31日
退役1947年
除籍1953年
その後1956年にスクラップとして廃棄
要目
満載排水量28,661トン
全長743.75 ft (227 m)
最大幅95 ft (29 m)
吃水28 ft (8.5 m)
機関蒸気タービン
最大速力30.5ノット (56 km/h)
航続距離11,000カイリ/14ノット時
乗員1,200名
兵装4.5インチ砲8門、2ポンド砲48門
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フォーミダブル (HMS Formidable, R67) は、イギリス海軍第二次世界大戦で運用した航空母艦イラストリアス級航空母艦の3番艦[注釈 1]。formidableの艦名はイギリス海軍で何度か命名されており[注釈 2]、「恐るべき」の意。
設計詳細は「イラストリアス級航空母艦」を参照

搭載機変遷時期機数搭載機
1940年11月21機第826飛行隊(アルバコア×12)
第829飛行隊(アルバコア×9)
1941年2月33機第803飛行隊(フルマー×12)
第826飛行隊(アルバコア×12)
第829飛行隊(アルバコア×9)
1941年3月41機第803飛行隊(フルマー×12)
第806飛行隊(フルマー×8)
第826飛行隊(アルバコア×12)
第829飛行隊(アルバコア・ソードフィッシュ×9 ※混成)
1942年4月38機第820飛行隊(アルバコア×21+ソードフィッシュ×1)
第888飛行隊(マートレット×16)
1943年5月45機第820飛行隊(アルバコア×12)
第885飛行隊(シーファイアUC×5)
第888飛行隊(マートレットIV×14)
第893飛行隊(マートレットIV×14)
1943年9月30機第820飛行隊(アルバコア×12)
第885飛行隊(シーファイアUC×5 ※内2機未搭載)
第888飛行隊(マートレットIV×16 ※内9機未搭載)
第893飛行隊(マートレットIV×16 ※内8機未搭載)
1944年7月42機第827飛行隊(バラクーダ×12)
第830飛行隊(バラクーダ×12)
第1841飛行隊(コルセア×18)
1944年8月54機第826飛行隊(バラクーダII×12)
第828飛行隊(バラクーダU×12)
第1841飛行隊(コルセアU×18)
第1842飛行隊(コルセアII×12)
1945年3月54機第848飛行隊(アベンジャーII×18)
第1841飛行隊(コルセアW×18)
第1842飛行隊(コルセアW×18)
1945年7月54機第848飛行隊(アベンジャーII×12)
第1841飛行隊(コルセアW×18)
第1842飛行隊(コルセアW×18)
第1844飛行隊(ヘルキャットII×4+第ヘルキャットPRII×2)

艦歴

ベルファストハーランド・アンド・ウルフ社で建造[注釈 3]。1937年(昭和12年)6月17日に起工[3]。1939年(昭和14年)8月17日に進水[3]。なお進水式典の際、予定より早く船体が勝手に動き出して進水してしまう珍事が起きた[2]。船体に損傷はなかったものの、破片が見物席に飛び散り民間人を含め死者1名及び負傷者20数名を出す[注釈 4]。この不祥事により、艦名の「formidable(手に負えない)」から連想して「The Ship That Launched Herself(自身を打ち上げた船:式典から逃げ出した御令嬢の意)」とも呼ばれる事になった[5]

1940年(昭和15年)10月31日就役[3]。試験を行った後搭載機を載せ、12月12日にスカパ・フローに到着した[6]

この頃、大西洋ではドイツ海軍 (Kriegsmarine) のドイッチュラント級装甲艦(通称「ポケット戦艦」)アドミラル・シェーアがHX船団を襲撃し、さらに仮装巡洋艦の活躍も加わって、連合国シーレーンを脅かしていた[7]。イギリス海軍は敵通商破壊艦を撃滅するため特別機動部隊を編成することにした[7]。すなわち空母フォーミダブル、重巡洋艦ノーフォーク、重巡ベリックK部隊 (Force K) を再編したのである[注釈 5][注釈 6]。K部隊はアゾレス諸島南西の海域を捜索するよう命令された[8]

12月18日にフォーミダブルは2隻の巡洋艦を伴ってスカパ・フローを出港し、3隻は12月26日から船団護衛を行った[11][注釈 7]。重巡2隻(ドーセットシャー、ノーフォーク)などと共に船団護衛任務を続行する。途中シエラレオネに立ち寄り、1941年(昭和16年)1月22日にケープタウンに到着した[11]。フォーミダブルは1月26日に南アフリカを離れ、重巡洋艦ホーキンス(英語版)を伴ってインド洋を北上した[11]。2月2日、イタリア領ソマリランドモガディシュキスマヨに対する空襲を実施した[11]。2月13日と21日にはマッサワ空襲を行ったが、13日の攻撃の時は2機が失われた[12]

フォーミダブルは英領マルタ行きの輸送船団を護衛中にドイツ空軍 (Luftwaffe) の攻撃で損傷した空母イラストリアスの代艦として、地中海艦隊 (Mediterranean Fleet) に加わる予定であった[11][注釈 8]。そのために通過する必要のあるスエズ運河では、この時期問題が発生していた。それは機雷であった。2月初めに複数の船が運河内で触雷[15]。一度は運河の通行が再開されるも、2月18日と22日にまた機雷が敷設されてしまった[15] 。運河南部の機雷が処理されると3月7日にフォーミダブルは運河に入り、機雷で沈んだギリシャ商船の手前まで進んだ[12][16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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