フォードvsフェラーリ
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フォードvsフェラーリ
Ford v Ferrari
監督
ジェームズ・マンゴールド
脚本ジェズ・バターワース(英語版)
ジョン=ヘンリー・バターワース(英語版)
ジェイソン・ケラー(英語版)
製作ピーター・チャーニン
ジェンノ・トッピング
ジェームズ・マンゴールド
製作総指揮ダニ・バーンフェルド
ケヴィン・ハロラン
マイケル・マン
アダム・ソムナー
出演者マット・デイモン
クリスチャン・ベール
音楽マルコ・ベルトラミ
バック・サンダース(英語版)
撮影フェドン・パパマイケル
編集アンドリュー・バックランド
マイケル・マカスカー
製作会社20世紀フォックス
チャーニン・エンターテインメント(英語版)
TSGエンターテインメント
ターンパイク・フィルムズ
配給 20世紀フォックス
ウォルト・ディズニー・ジャパン
公開 2019年11月15日
2020年1月10日[1]
上映時間153分[2]
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
製作費$97,600,000[3]
興行収入 $206,992,402[3][4]
$110,879,605[3][4]
9億6000万円[5]
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『フォードvsフェラーリ』(原題:Ford v Ferrari、イギリスイタリアなど多くのヨーロッパ諸国ではLe Mans 66)は、2019年に公開されたアメリカ合衆国ドラマ映画。監督はジェームズ・マンゴールド、主演はマット・デイモンクリスチャン・ベールが務めた。

1960年代スポーツカー耐久レースの世界で繰り広げられたフォードフェラーリの覇権争いの実話を脚色した作品。本作は批評家から高く評価されており、特にベールの演技は称賛を集めている[6]
あらすじ

レーシングドライバーのキャロル・シェルビーは、1959年のル・マン24時間レースで優勝する栄光に輝いたが、そこからほどなく心臓病のためにキャリアを終える。引退後は自らの理想のスポーツカーを作るためにシェルビー・アメリカンを設立し、多数のセレブリティを顧客に抱え、経営者兼カーデザイナーとして成功したが、心の中ではレースを渇望していた。イギリス人レーサーのケン・マイルズは、第二次世界大戦の終結後イギリス軍を除隊すると、家族とともにアメリカへ移住し、自動車整備工場を経営しながらレースに参戦していた。レーサーのマイルズが整備する車は一般人には扱いにくい品質になり、マイルズ自身の偏屈な性格もあいまって経営はラクではなかったが、純粋に車を愛するマイルズは妻のモリーと息子のピーターから敬愛され睦まじい家庭を築いていた。

あるレースの現場でマイルズと出会ったシェルビーは、会話の流れからマイルズを挑発してしまい、怒ったマイルズからスパナを投げつけられる。しかしレースでは、マイルズは巧みなレース運びを見せ、そして冷静な判断と果敢な追い抜きで最終周回にトップを奪い優勝。シェルビーは、観戦している自分と同じタイミングで同じ判断をしたマイルズの優秀さを認め、投げつけられたスパナを持ち帰ると、オフィスにそれを飾った。一方、レースには優勝したマイルズだが、税金の滞納から整備工場を差し押さえられてしまう。レーサーとしてももう若くない40代半ばの年齢もあり、家の差し押さえまでは避けるために、レースをやめて地道に働くとモリーに告げる。

1963年、アメリカの巨大自動車メーカーであるフォード・モーターを率いるヘンリー・フォード2世会長は、会社の現状に飽き足らずさらなる成長のアイディアを募る。30代にして早くもフォードの副社長兼総支配人にまで昇ったリー・アイアコッカは、これから自動車を新たに買い始めることになるベビーブーマー層に訴求するため、従来のフォードのブランドイメージを一新することを考える。そして導いた策は、ル・マン24時間レースを4連覇し全世界的なあこがれのブランドとなっているにもかかわらず、経営危機に陥っていたイタリアの自動車メーカー、フェラーリの買収であった[7]。意気揚々とマラネッロのフェラーリ本社を訪れたアイアコッカを出迎えた創業者のエンツォ・フェラーリは、「市販車部門はフォードが株の過半数を持つが、レース部門のスクーデリア・フェラーリはフェラーリが支配する」という条件を吟味し検討する。しかし、「仮にフォードがレース参戦に反対の立場となった場合はレースから撤退する」という内容は、スポーツカー生産よりもレースへの参加に至上の価値を置くエンツォにとって論外であり、土壇場でフォードの提案を破談にしたばかりか、その裏では同時にフィアットジャンニ・アニェッリに対してフォードをダシに使った売却話を進めていたのだった。エンツォはアイアコッカに対し、「醜い車を量産してろ!重役たちは間抜け!ヘンリー二世は所詮二世。偉大な祖父には遠く及ばない」と言い放つ。

フェラーリの買収には失敗したアイアコッカだが、ヘンリー二世への報告では悪びれずにエンツォの言葉をそのまま伝え、激怒したヘンリー二世は「フォードの優秀なエンジニアを結集し、社の総力をあげて1964年のル・マンでフェラーリを打ち負かしてやる」と決意する。ヨーロッパのレースをブランドイメージ向上に利用することに必ずしも乗り気でなかったヘンリー二世を心変わりさせたのはアイアコッカにとって目論見通りであった。レースに勝つためには経験豊かな監督とドライバーが必要になると心得ているアイアコッカは、ビジネスを通して関係の深いシェルビーに、レースに参戦するためのマシン開発を依頼し、レースへの情熱の冷めないシェルビーはこれを快諾。シェルビーは開発を担当するテストドライバーとして迷わずマイルズに誘いの声をかける。すでにレースから身を引くことを決めていたマイルズは、「わずか90日で王者フェラーリを負かすマシンを作る」という野心的プロジェクトには大いに気を惹かれるが、フォードのような巨大組織が自らレースに参加すれば、会社のあちこちから要らぬ横槍が入ってうまくいかないだろうと懐疑を抱く。

シェルビーはル・マン参戦の発表会にマイルズを招待しそこで参加するかどうか決めてくれと言うが、そこは着飾ったフォードの重役が居並び、ル・マン参戦と並ぶフォードの新機軸の目玉であるフォード・マスタングの発表会を兼ねる、マイルズにとっては居心地の悪い場所だった。展示されている自動車に興味津々で乗り込もうとしたピーターに「手を触れないように」と注意した上級副社長のレオ・ビーブに対し、マイルズはフォード車に対するありったけの悪罵を浴びせると、シェルビーのスピーチの途中で帰宅してしまう。それでもマイルズを諦められないシェルビーは、イギリスから空輸されてきたばかりのフォード・GT40の試乗にマイルズを誘い出す。ハンドルを握ったマイルズは、解決すべき問題を山のように抱えているが速さは間違いないマシンの素質に心を動かされる。フォードから提案された報酬の額も経済的に苦しいマイルズには魅力的であった。そして、レーサーとしての自分を何より愛している妻と息子の存在が後押しとなり、マイルズはシェルビーと手を組みレースの世界に戻ることを決めた。

2人を中心としてGT40の開発は進むが、24時間壊れずに走り切るレースカーを準備するにはあまりに時間が足りなかった。そのような状況であればこそ、マシンのことを最も良く知るマイルズをレース本番で走らせるのは当然とシェルビーは考えていたが、フォードは「ル・マンではマイルズを走らせない」と決定する。若年層に清新な格好良さをアピールしたいフォードにとって、レースの花形であるドライバーが粗野な40代のマイルズというのは全くそのイメージに合致しないものであった。純粋にレースに優勝するためには無用の判断が降りてくるというマイルズの心配が最悪のかたちで的中してしまったが、自らの無力を詫びるシェルビーにマイルズは「最大の不安要素であるギアボックスに十分注意しろ」と告げ、アメリカの工場でモリーとともにラジオでレースの様子を聞く。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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