フォード島
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フォード島現地名:
ハワイ語: Mokuʻumeʻume (魅力の島)
ハワイ語: Poka ʻAilana (浅瀬の島)
ハワイ州オアフ島の真珠湾内にあるフォード島

地理
場所オアフ島, ハワイ州
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯21度21分50秒 西経157度57分37秒 / 北緯21.36389度 西経157.96028度 / 21.36389; -157.96028座標: 北緯21度21分50秒 西経157度57分37秒 / 北緯21.36389度 西経157.96028度 / 21.36389; -157.96028
隣接水域真珠湾、イースト・ロック
面積1.78 km2 (0.69 sq mi)
長さ2.4 km (1.49 mi)
幅1.2 km (0.75 mi)
行政
アメリカ合衆国
人口統計
人口368 [1](2000年時点)
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フォード島(フォードとう、英語: Ford Island、ハワイ語: Poka ʻAilana)は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島真珠湾の中央にある島嶼である。別名、ラビット島(Rabbit Island)あるいはマリンズ島(Marin's Island)、リトル・ゴーツ島(Little Goats Island)といい、現地語ではハワイ語: Mokuʻumeʻume という名称も用いられる。1825年の測量時には 135 ヘクタールだった島の面積は、1930年代に、真珠湾内に戦艦が進入できるよう、アメリカ海軍浚渫した際の残土で埋め立てた結果、178 ヘクタールまで拡大した。

古代ハワイ人にとって、この地は豊穣の儀式を執り行う聖地であったが、1830年代にキリスト教宣教師によって禁止されている。島は一度、カメハメハ1世からスペイン人脱走兵フランシスコ・デ・パウラ・マリン(英語版)に与えられたが、後に王国へ返還された。その後、島は公売にかけられ、ジェームズ・アイザック・ドーセットが落札した後、キャロライン・ジャクソンに転売された。その後、彼女と結婚したセス・ポーター・フォード(英語版)医師の所有となり、現在の名に改称された。フォードの死後、ジョン・パパ・イイ(英語版)が、フォードの息子から島を買い取り、サトウキビのプランテーションを拓いた。

1916年、フォード島の一角をアメリカ陸軍が購入し、飛行部隊の運用をハワイで行うために使用し始めた。その後1939年までに、アメリカ海軍が戦艦と潜水艦の整備基地とするため用地を順次取得していく。1910年代から1940年代にかけて、島はアメリカ海軍の太平洋における戦略上の中枢基地として拡張され続けた。1941年12月7日[訳注 1]、フォード島はアメリカ太平洋艦隊を目標とした日本艦隊による真珠湾攻撃の主戦場と化した。1964年には国定歴史建造物に指定され、2011年の段階で、歴史保存ナショナルトラスト(英語版)は、合衆国内で最も危機に瀕している歴史遺産として登録している[2][3]

1990年代末までに、数百万ドルが投じられ、架橋などのインフラ整備と不動産開発が行われた。フォード島は引き続き太平洋における活動の中心的な役割を果たしており、太平洋戦闘センターなどの軍事施設や、NOAA 太平洋津波監視センター等の民間施設が設けられている。また、この島は『トラ・トラ・トラ!』や『パール・ハーバー』などの映画で取り上げられ、アリゾナ記念館戦艦ミズーリ記念館には国内外から多くの観光客が訪れる。
地理

フォード島はハワイ諸島のオアフ島南部、真珠湾内に位置する[4]。真珠湾はウェスト・ロック、ミドル・ロック、イースト・ロックの3水域に分かれており、フォード島はそのイースト・ロックの中央に位置する。長さ 2.4 キロメートル、幅、1.2 キロメートルで、面積は、1930年から1940年までの間に 135ヘクタールから 178 ヘクタールにまで増えている。これは島の周囲の湾内を浚渫した際の残土で埋め立てたことによる[5][6]。 地形はほぼ平坦だが、標高は 1.5 メートルから 4.6 メートル まで差があり、真珠湾へ向けて傾斜している[5]。 この島の北側の端から真珠湾を越えて、より広いオアフ島のハラワへ繋がる、全長 1,424 メートルの東西に伸びる橋がかかっている[7]

島の土壌は火山起源の砂礫とラグーンの堆積物、珊瑚礁の残骸、そして浚渫砂泥から成っており[5]、そのうち火山起源のものは風食した火山灰土や風化した凝灰岩や玄武岩である[5]。 フォード島は元々珊瑚礁の露頭だった[5]。周囲にはモクヌイおよびモカイキという名の、2つの小島がある[8]
汚染

1991年、海軍が島内の土壌や地下水、周囲の海底堆積物を調査した結果、9種の金属、2種の準揮発性有機化合物、そして、ポリ塩化ビフェニルを検出した。汚染源として疑われたのは、1924年から1954年にかけて島東岸の中央にあった容量 85 万リットルの9基の燃料タンクと、1930年から1960年にかけて実施された南西部 1.8 ヘクタールの埋め立て、そして北東側にある弾薬庫だった[5]。 調査結果から汚染地域の新たな土砂による埋め込みが提案された[5]。1994年、海軍は汚染土の除去と、地下水を監視する6つの調査井戸の設置を検討したが、結局、1995年には当初の提言が採用され、汚染土の上にあらたに土砂を敷き詰め(ギョウギシバなどの)侵食を防ぐ植生を移植した[5]。封じ込め工事は1996年に完了した[5]
動植物

フォード島内の野生生物は、真珠湾海軍基地(英語版)内とほぼ同様である[9]。 野生動物はごく少なく、で、ハツカネズミマングースドブネズミクマネズミイエスズメブンチョウインドハッカといった外来種が優勢である[5]。絶滅危惧種のフクロウ(コミミズクの一種である)ハワイ固有種のプエオが島内で狩りをしているのが目撃されることがある[5]。 島内のほぼすべての植物が在来のものではなく[10]、その中にはカリフォルニアから持ち込まれた食用サボテンもあり、これは1700年代にフランシスコ・デ・パウラ・マリンが持ち込んだものである[11]。島内の入江は古代ハワイ人に重用され、ボラサバヒー、ハワイ周辺で取れるアンチョビーが水揚げされていた[5]合衆国国立公園局魚類野生生物局は、真珠湾内とフォード島にあるワールド・ウォー II バラー・イン・ザ・パシフィック・ナショナル・モニュメント(英語版)の戦跡を監視し管理している[12]
歴史「ハワイの歴史」も参照
古代ハワイ人

古代ハワイ(英語版)の人々は、この島を Moku?ume?ume (「魅力の島」もしくは「争いの島」の意)と呼ばれており[13][14][15][16]マカヒキ祭の間に行われた子供に恵まれない夫婦のために行われた儀式 (?ume) に由来する[13][17]


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