フォード・GT40
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フォード・GT40とは、アメリカフォード・モーターが開発した、スポーツカーである。

本稿ではGT40の試作車であるフォード・GTに関しても記述する。

フォード・GT
FAV・GT型
FAV・GT40P型
AMR・GT40PAM型
JWA・GT40P型
1968 / 69年ル・マン24時間優勝車 (69年時GT40)
1968 / 69年ル・マン24時間優勝車 (同上)
1966年ル・マン24時間出走車 (GTマークII)
概要
製造国 イギリス
販売期間1965年 - 1969年 (ロードスターとマークIIは非売)
設計統括ロイ・ラン
デザインエリック・ブロードレイ
ボディ
乗車定員2 名
ボディタイプ2ドア クーペ
2ドア ロードスター
エンジン位置リアミッドシップ
駆動方式後輪駆動
パワートレイン
エンジンプッシュロッド「インディアナポリス」GT 4,184 cc
289V8 4,728 cc/5,346 cc
427GT 6,988 cc/6,384 cc
289V8ガーニーウェズレイク (GW) 4,728 cc/4,942 cc
すべてV型8気筒 OHV
変速機4速MT コロッティ・T.37 (インディアナポリス/289V8)
5速MT ZF・5DS-25/1 (289V8/同GW)
4速MT カークラフト・T-44 (427GT)
4速MT ヒューランド・LG500 (427GT)
2速AT カークラフト・T43 (427GT)
サスペンション
ダブルウィッシュボーン
マルチリンク
車両寸法
ホイールベース2413 mm
その他
製造者 / 製造期間フォード・アドヴァンスド・ヴィークルズ = FAV / 1964年 - 1966年
アラン・マン・レーシング = AMR / 1966年
JWオートモーティヴ・エンジニアリング = JWA / 1967年 - 1969年
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開発の経緯

1960年代、フォードは企業イメージ向上のために、モータースポーツの分野で活躍することが有効であると結論付けた。その手段として、当時のル・マン24時間レースでは敵なしでその地位を確立していたフェラーリを買収する計画を立てた。これは最も手っ取り早い方法であったが、1963年5月にフェラーリとの交渉は決裂した[1]ローラ・マーク6

そこでフォードは、イギリスコンストラクターであるローラ・カーズのエリック・ブロードレイと提携し、ローラ・マーク6(ローラ・GT)(英語版)をベースとして、新たにイギリスに設立された開発拠点のフォード・アドバンスド・ビークルズ社 (FAV) と共に、新たなレーシングカーを開発する計画を立てた。これが、GT40の開発の始まりである[2]

初期の試作車両は単に「フォード・GT」と呼ばれており、シャーシナンバーGT-101からGT-112までの車両が製作された。量産車両であるマークIからマークVには、シャーシナンバーGT40P/1000からGT40P/1145までの番号が付けられ[3]、マークIの車名は正式に「GT40」となった[4]

プロトタイプのシャーシ製作はイギリスのアビー・パネルズ社、グラスファイバーのボディパネルはスペシャライズド・モールディング社により製作された[5]
レース活動

1964年にプロトタイプ車両が完成し、フォード・GTという名称で発表された。同年のニュルブルクリンク1000kmがGTのデビュー戦となったが、結果はリタイア。続いてル・マン24時間に3台が出走し、ラップレコードとル・マン初の300 km/hオーバーを記録するものの、最終的には全車リタイアに終わった。

その後はフォード・アドバンスド・ビークルズ社に代わって、シェルビー・デイトナでル・マンGTクラス優勝を経験していたシェルビー・アメリカンがレース活動を担当することになった。シェルビー・アメリカンは車両のサスペンション、ホイール、ブレーキ、冷却システムなど、多くの部分に改良を施した[6]。一方フォード・アドバンスド・ビークルズ社は、1966年からグループ4スポーツカー[脚注 1]として参戦するためのホモロゲーションモデルの製作を担当することになった[7]

1965年の開幕戦のデイトナ2000KmではシャシーナンバーGT-103が優勝し、初勝利を挙げる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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