フォード・GT40とは、アメリカのフォード・モーターが開発した、スポーツカーである。
本稿ではGT40の試作車であるフォード・GTに関しても記述する。
フォード・GT
FAV・GT型
FAV・GT40P型
AMR・GT40PAM型
JWA・GT40P型
1968 / 69年ル・マン24時間優勝車 (69年時GT40)
1968 / 69年ル・マン24時間優勝車 (同上)
1966年ル・マン24時間出走車 (GTマークII)
概要
製造国 イギリス
販売期間1965年 - 1969年 (ロードスターとマークIIは非売)
設計統括ロイ・ラン
1960年代、フォードは企業イメージ向上のために、モータースポーツの分野で活躍することが有効であると結論付けた。その手段として、当時のル・マン24時間レースでは敵なしでその地位を確立していたフェラーリを買収する計画を立てた。これは最も手っ取り早い方法であったが、1963年5月にフェラーリとの交渉は決裂した[1]。ローラ・マーク6
そこでフォードは、イギリスのコンストラクターであるローラ・カーズのエリック・ブロードレイと提携し、ローラ・マーク6(ローラ・GT)
(英語版)をベースとして、新たにイギリスに設立された開発拠点のフォード・アドバンスド・ビークルズ社 (FAV) と共に、新たなレーシングカーを開発する計画を立てた。これが、GT40の開発の始まりである[2]。初期の試作車両は単に「フォード・GT」と呼ばれており、シャーシナンバーGT-101からGT-112までの車両が製作された。量産車両であるマークIからマークVには、シャーシナンバーGT40P/1000からGT40P/1145までの番号が付けられ[3]、マークIの車名は正式に「GT40」となった[4]。
プロトタイプのシャーシ製作はイギリスのアビー・パネルズ社、グラスファイバーのボディパネルはスペシャライズド・モールディング社により製作された[5]。 1964年にプロトタイプ車両が完成し、フォード・GTという名称で発表された。同年のニュルブルクリンク1000kmがGTのデビュー戦となったが、結果はリタイア。続いてル・マン24時間に3台が出走し、ラップレコードとル・マン初の300 km/hオーバーを記録するものの、最終的には全車リタイアに終わった。 その後はフォード・アドバンスド・ビークルズ社に代わって、シェルビー・デイトナでル・マンGTクラス優勝を経験していたシェルビー・アメリカンがレース活動を担当することになった。シェルビー・アメリカンは車両のサスペンション、ホイール、ブレーキ、冷却システムなど、多くの部分に改良を施した[6]。一方フォード・アドバンスド・ビークルズ社は、1966年からグループ4スポーツカー[脚注 1]として参戦するためのホモロゲーションモデルの製作を担当することになった[7]。 1965年の開幕戦のデイトナ2000KmではシャシーナンバーGT-103が優勝し、初勝利を挙げる。
レース活動