フォード・スターリング
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フォード・スターリング
Ford Sterling
The Fall of Eve にて(1929年)
本名George Ford Stich
生年月日 (1882-11-03) 1882年11月3日
没年月日 (1939-10-13) 1939年10月13日(56歳没)
出生地 アメリカ合衆国 ウィスコンシン州ラクロス
死没地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
国籍 アメリカ合衆国
職業俳優コメディアン
ジャンル映画ヴォードヴィル
活動期間1911年 - 1935年
配偶者テディ・サンプソン(1914年 - 1939年)
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フォード・スターリング(Ford Sterling, 1882年11月3日 - 1939年10月13日)はアメリカ合衆国俳優コメディアンキーストン社を代表する俳優の一人であり、「キーストン・コップス」で警察署長役を演じたいわゆる「ビッグ4」の一人でもあった。
生涯

フォード・スターリング、本名ジョージ・フォード・スティックは1882年11月2日[1]ウィスコンシン州ラクロスに生まれる。子供のころにジョン・ロビンソン主宰のサーカス「ビッグ・トップ」にあこがれて家出をし、入団後は少年道化師キーノとして活躍する[2][3]。成長して証券会社に就職するが、その傍らで舞台にも出続け、午前に証券会社の仕事、午後に「アンクル・トムの小屋」の舞台、夜に「ジュリアス・シーザー」の舞台と掛け持ちをする生活を長く続けた[2]。やがて実力をつけたフォードは、劇団、ヴォードヴィルを経て「サイドウォーク・チャッター」と呼ばれるショーを引っ提げてブロードウェイに進出するまでになった[2][3]

1911年、フォードは映画監督D・W・グリフィスが率いるバイオグラフ社(英語版)に入社[4]。バイオグラフ社でコメディを担当していたマック・セネットや、セネットのもとで一派を形成していたメーベル・ノーマンドらと行動を共にして1912年夏のキーストン社の旗揚げに加わった[4][5]。旗揚げしたばかりのキーストン社は、ハンク・マンが考案した追いかけっこを主軸とした、スラップスティック・コメディ映画の「キーストン・コップス」シリーズが大当たりし、フォードはマンに代わって警察署長の役を演じることとなった[2]。1913年春、フォードとともにキーストン社で巨漢で人気を博していたフレッド・メイス(英語版)が退社し、フォードはメイスに代わるスターの座に就き、少なくとも1913年中はその地位は安泰であった[6]。これと相前後して、「メイスが抜けた穴を埋めてほしい」と誘われてキーストン社に入社してきたのは、フレッド・カーノー(英語版)劇団の一員としてアメリカを巡業中のチャールズ・チャップリンであった[6]。チャップリンのキーストン社入りの顛末に関しては、セネットの自伝では、人気が出たフォードが引き抜かれて退社することを警戒して「保険」で入れたとあり、これが転じて「フォードの後継者として入った」というのが一般の説として流布している[6][7]。しかし、チャップリンの伝記を著した映画史家のデイヴィッド・ロビンソン(英語版)はこれに異を唱えており、「保険」として入ってほしいというより、「辞めたスターの代わり」と言って話を持ちかけた方が説得力があったのではないかとの見解を示している[6]

チャップリンはさておいても、この時期のフォードは「左右反対にはいていたサイズ一四のデカ靴」[8]をトレードマークとし、「大仰な飛んだりはねたり」[9]な演技でスターの地位を固め、フォード流の喜劇を確立していた。その影響力は、「ファッティ」ロスコー・アーバックルをはじめとしてキーストン社のほとんどの俳優連中が模倣するほどであり、映画デビューまでの間に撮影の様子を見学していたチャップリンは、その光景に辟易していた[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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