フォースタス博士の悲劇
『フォースタス博士』1620年の印刷のための扉絵。メフィストフィリスを召喚するフォースタスが描かれている。「Histoy」という綴りは誤植であるとされている。[1]
脚本クリストファー・マーロウ
登場人物ジョン・フォースタス博士
口上役
ワグナー
善天使
悪天使
ヴァルディーズ
コーニーリアス
三人の学者
ルーシファー
メフィストフィリス
ロビン
ベルゼバブ
七つの大罪
ローマ教皇エードリアン
レーモンド、ハンガリー国王
ブルーノー
フランスの枢機卿
リームズ の 大司教
パデュアの枢機卿
修道士たち
酒場の主人
アレキサンダー大王
アレキサンダー大王の妃(英語版)
ヘレン
悪魔たち
笛吹き
初演日1592年頃
オリジナル言語初期近代英語
ジャンル悲劇
舞台設定16世紀ヨーロッパ
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『フォースタス博士』(フォースタスはかせ、The Tragical History of Doctor Faustus)は、クリストファー・マーロウの戯曲。ファウスト博士の伝説を下敷きにした悲劇である。1592年頃に初演され、1604年に出版された。『フォースタス博士』は1589年から1592年の間のいつ頃かに執筆され、おそらく1592年から、1593年のマーロウの死までの間に上演された。2つの異なるバージョンの戯曲が数年後、ジャコビアン時代に刊行された[2]。
『フォースタス博士』の初期の上演の強烈な上演効果は、「上演の最中に本物の悪魔達が舞台に現れて俳優と観客が非常に仰天したことがあり、その光景のせいで一部の観客が正気を失ったと言われている」という伝説が周囲でただちに発生したことが示唆している[3]。 学問に行き詰まったフォースタスは魔術を学ぶことにし、メフィストフェレスと、魂を引き渡す代わりに24年間メフィストがフォースタスの命に従うという契約を交わす。フォースタスを救おうとする善天使と、魔術に引き入れようとする悪天使との葛藤があった後、メフィストはフォースタスに見せ物として七大罪に対面させる。 まずローマ教皇庁に潜り込み、枢機卿に化けて一騒動を起こし、次に姿を消して教皇の食べ物や飲み物を奪い取り、はては教皇を殴打する。次に神聖ローマ皇帝にアレクサンドロス3世(大王)とその妃の姿を見せて、寵を得る。それを妬むものから不意打ちをかけられるが難なきを得、かえって彼らの頭に角を生えさせて復讐する。最後にトロイ戦争のきっかけとなったヘレンを愛人にする。 期限が切れると、契約を守り神に許しを乞うことなく、地獄に落ちてゆく。学者たちは、学生たちとともにフォースタスを手厚く葬ることにする。 海軍大臣一座
あらすじ
初演
『フォースタス博士』の初期の上演の強烈な上演効果は、ある伝説が周囲でただちに発生したことが示唆している。ウィリアム・プリンは1632に執筆した演劇批判『ヒストリオマスティクス(英語版)』の中で、「俳優と観客が非常に仰天したことには」本物の悪魔達が『フォースタス博士』の上演中に舞台に現れたことがあるという話を記録している。一部の人々は「その恐ろしい光景に取り乱し」正気を失ったと伝えられている。ジョン・オーブリーは、海軍大臣一座の主演俳優エドワード・アレン(英語版)はこの事件の責任を直接的に果たすため、晩年、ダリッジ・カレッジの設立といった慈善活動に専念したという、関連した伝説を記録している[3]。 関連する記録の混乱により、戯曲に対する権利をめぐる衝突が示唆されているものの、『フォースタス博士』はおそらく1592年の12月18日に書籍出版業組合記録に登録された。後の1601年1月7日付けの書籍出版組合記録の記載は『フォースタス博士』1604年の最初のバージョンの出版者である書店主、トーマス・ブッシュネルにこの劇の権利を帰している。1610年7月13日、ブッシュネルは劇に関する権利をジョン・ライトに移譲した[4]。 『フォースタス博士』には2つのバージョンが存在する:
テクスト
2つのバージョン
トーマス・ロウのためにヴァレンティン・シムズ
加筆修正を加え、ジョン・ライトによって出版された1616年の四つ折り版; 一般的にBテクストと呼ばれる。この二つ目のテキストは1619年、1620年、1624年、1631年、そして後年の1663年に増刷された。加筆と修正はマイナーな劇作家であり作家のサミュエル・ローリー(英語版)と、ウィリアム・ボーン(あるいはバード)によって行われ、マーロウ自身が加わった可能性もある[5]。
1604年のバージョンは単純により古いという理由で、マーロウの生前に最初に上演された劇により近いと考えられていたこともあった。1940年代、レオ・キルシュバウム[6]とW・W・グレッグ(英語版)[7] による重要な研究の後、1604年のバージョンは省略版であり、1616年のバージョンはマーロウのより完全なオリジナルに近いものとみなされるようになった。キルシュバウムとグレッグはAテクストを「バッド・クォート(英語版)[8]」(主にシェイクスピア作品の無許可版出版物を指す語)のようなものとみなし、Bテクストはマーロウ自身に関連づけられると考えていた。その後、学界の潮流は変化し、大多数の学者は現在、チャールズ・ニコル(英語版)によれば「短縮と改悪」がされているものであっても、Aテクストはより権威あるバージョンだと考えている[9]。
AテクストとBテクストの間の相違点の一つはフォースタスによって召喚される悪魔の名前である。Aテクストではたいてい「Mephistopheles」と書かれている[10]のに対し、Bテクストのバージョンでは普通「Mephostophilis」と書かれている[11] 。それぞれの場合においてこの悪魔の名前は、1588年頃に英語訳が出版された資料である『ファウストブーフ(英語版)』のメフィストフェレスを出典としている[12][13]。
テクスト同士の関係は定かではなく、多くの現代の版では両方を印刷している。エリザベス朝時代の劇作家の常として、マーロウは刊行に関与しておらず劇の上演に対する管理権限も持たなかったため、場面の削除や短縮、新しい場面の追加は起こりうることだった。そのため、成立した印刷物は元の原稿を修正したバージョンである可能性も存在する[14]。 過去には、『フォースタス博士』の喜劇的な場面は他の作家による加筆だと推量されてきた。しかし、今日ほとんどの研究者は、作者が誰であるかにかかわらず喜劇的な場面はこの劇に必須の部分であると考えているため、この部分はなお出版時に残されている。[15][16]。
喜劇的な場面