フォークダンスDE成子坂
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メンバー
桶田敬太郎
村田渚
別名フォーク、フォークダンス、FDN、成子、成子坂
前みつ(別名義)
結成年1989年
解散年1999年
事務所ホリプロ
活動時期1991年3月 - 1999年12月31日
出会い関町立関中学校
現在の活動状況解散(共に逝去)
芸種コント漫才
ネタ作成者両者
過去の代表番組GAHAHAキング 爆笑王決定戦
電波結社バババ団
うるとら7:00
ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!?
ボキャブラ天国
お笑いダンクシュート など
同期ナインティナイン
よゐこ
宮川大輔
飯尾和樹ずん
日村勇紀バナナマン)など
公式サイト公式プロフィール(アーカイブ)
受賞歴
1993年 第14回高田文夫杯争奪OWARAIゴールドラッシュ 優勝
1994年 GAHAHAキング 2代目チャンピオン
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フォークダンスDE成子坂(フォークダンス デ なるこざか)は、かつてホリプロで活動していた桶田敬太郎と村田渚で構成されていたお笑いコンビ1989年結成。1991年3月にデビューし、1999年12月31日をもって解散。現在は共に逝去している。
メンバー詳細は「桶田敬太郎」および「村田渚」を参照

桶田 敬太郎(おけだ けいたろう、1971年10月4日 - (2019-11-23) 2019年11月23日(48歳没))[1]

村田 渚(むらた なぎさ、1971年7月29日 - (2006-11-11) 2006年11月11日(35歳没))[1]

概要

三重県鈴鹿郡関町(現・亀山市)立関中学校の同級生同士で組まれたお笑いコンビ。何かするようで何もしない、わざとハズしにかかるシュールな芸風と桶田の特異な発言、村田の鋭いツッコミが特徴。略称はフォーク、フォークダンス、FDN、成子、成子坂。ちなみに成子坂とは、新宿区にある坂。

1991年にホリプロのお笑いライブに出て以降、1992年に『新しい波』(『とぶくすり』・『めちゃ×2イケてるッ!』の前身番組)に出演し、1993年11月に『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』内にて開催された「第14回高田文夫杯争奪OWARAIゴールドラッシュ」にて優勝[2][3]1994年3月に『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』にて2代目チャンピオンとなり(初代は爆笑問題、3代目はますだおかだ)、1994年12月には単発コント特番『成子坂定食』が放送された。当時の若手芸人としては異例のスピードで頭角を現しており、コンビとして雑誌「JUNON」に掲載されるなど女性からの人気も絶大であった[4]

また、後に高視聴率の人気番組となっていった『ボキャブラ天国』シリーズに1994年から1998年にかけて出演。同番組のヒットパレードのコーナーにて、短い文章を長く、長い文章は短く強引にボキャブり、意味のない言葉をオチにするというシュールなネタを得意とした。特に港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカのメロディに乗せたネタは他の芸人とは一線を画し、コーナー黎明期に一世を風靡した。

1998年6月から1999年2月にかけ、新宿シアターモリエールにて単独イベント『自縛』を隔月開催し(足かけ9ヵ月で5回、全10公演)、1999年12月31日をもって解散。デビューから約8年半という短期間の活動であったが、太田光(爆笑問題)に「天才すぎて売れなかった」、上田晋也くりぃむしちゅー)に「僕ら世代のトップランナーだったし、センセーショナルだった」と言わしめ、伊達みきおサンドウィッチマン)から「偉大な先輩。めちゃくちゃ面白くて、めちゃくちゃ人気もあって、めちゃくちゃ格好良かった。若手時代、生であの衝撃的に面白いライブを観る事が出来たのは我々の糧になっている」と敬意を表されるなど、同世代や後進の芸人たちに広く影響を与えている[5][6][7]
来歴

桶田敬太郎が兵庫県、村田渚が大阪府より共に小学生時代の途中で三重県鈴鹿郡関町(現・亀山市)に引っ越し、小学校高学年の頃にとあるソフトボールの試合で二人は出会う。桶田曰く当時の村田は既に身長が167cmあり、剛腕ピッチャーとして名を轟かせていたという[8][9]。その後、共に町立関中学校へ行き同じクラスになった事をきっかけに親しくなり、高校生時代の1989年に村田から声を掛ける形でコンビ結成。高校在学中、ホリプロのネタ見せ勉強会に観客として通い始める。

1990年、高校卒業と同時に上京。東京都品川区西小山のアパートに住み、アルバイトをしながら毎週のホリプロネタ見せ勉強会に参加するようになる。ネタ見せの開始当初はコントと漫才をやっており、漫才をする際には「前みつ」(まえみつ)という名義を使っていたが、同年7月には正式にコンビ名が「フォークダンスDE成子坂」となる。

1991年3月、事務所ライブ『ホリプロお笑いライブ』にて初舞台。1992年11月、『演芸ひろば』にてテレビ初出演。

1993年、『第14回高田文夫争奪杯OWARAIゴールドラッシュ』で優勝。

1994年、『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』で2代目チャンピオンになる。また、同年より『ボキャブラ天国』シリーズにレギュラー出演。

1998年、単独イベント『自縛』を開催。約9ヵ月で5回、全10公演。「全コントが新作、または旧作のリメイク」というハードな条件だった。当時お笑いのVHS作品は販売のみが主流だったが、この『自縛』に関しては、TSUTAYAとの提携でレンタルコーナーに置かれた(未DVD化)。

しかし、その功績を生み出してくれたマネージャーが『自縛』の途中で新人に切り替えられる形で担当を離れたことによって事務所側への不満が生じ、桶田は『自縛』を最後までやり抜いたら引退しようと決意した。

1999年12月、解散を発表。末日をもって解散となり、共に所属事務所を退社。なお、解散の約半年前に『爆笑オンエアバトル』に1度だけ出場(1999年5月1日放送回)、オンエアを勝ち取っている(453KB・3位)。
解散後

桶田は兼ねてからお笑いと並行で活動していたロックバンド『The 3cm?』を本格的に始動し、計3枚のアルバムをリリース。その後、2004年よりかつての同僚からの後押しも機に放送作家構成作家として、バラエティ番組を中心にテレビイベント舞台CMなどの企画・構成を手掛けるようになる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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