フォンテーヌブローの
宮殿と庭園
(フランス)
フォンテーヌブロー宮殿
英名Palace and Park of Fontainebleau
仏名Palais et parc de Fontainebleau
登録区分文化遺産
登録基準(2),(6)
登録年1981年
公式サイト世界遺産センター
フォンテーヌブロー宮殿(フォンテーヌブローきゅうでん、仏:Chateau de Fontainebleau)はセーヌ=エ=マルヌ県フォンテーヌブローにある、フランスで最も大きな宮殿。フォンテーヌブロー城(城館) (Chateau de Fontainebleau) とも呼ばれる。「フォンテンブロー宮殿」とも表記する[1][2]。宮殿の現在の姿は多くのフランス王による築城の結実であり、基本的な建築構造はフランソワ1世による。
建物は中庭を囲むように広がり、フォンテーヌブローの街がかつての王の狩猟場(フォンテーヌブローの森)跡を取り囲むように発展している。 宮殿の内装や庭は、フランスにイタリアのマニエリスム様式を導入しフランス風に解釈しなおしたものである。16世紀のフランスにおけるマニエリスム様式の室内装飾は「フォンテーヌブロー様式」として知られている。これは彫刻、金工、絵画、漆喰装飾、木工を組み合わせ、屋外庭園には図案化した花壇のパルテア
マニエリスム
フォンテーヌブローにおける女性美の表現は「マンネリ」である。小さくてこぎれいな顔と長い首、過度に長い胴や四肢、小さくて高い位置にある胸、といった類であり、後期ゴシックの美の表現へほぼ回帰している。
フォンテーヌブローにおける新しさは洗練された細かな彫刻の意匠にあり、これらは鑑定家や芸術家の間に広がっていった。フォンテーヌブロー派による彫刻を通して、この新しいスタイルは他のヨーロッパ中北部、アントウェルペンを筆頭に、ドイツ、ついにはロンドンにまで波及した。
建築と歴史サロンの内装マリー・アントワネットの寝室
12世紀後半にはすでにこの地はルイ7世のものであり、トマス・ベケットが彼のためにチャペルを捧げている。フォンテーヌブローはフィリップ2世やルイ9世のお気に入りの居城であった。現在の建築を作ったのはフランソワ1世であり、彼の元で建築家の「ブルターニュのジル」が南門「Porte Doree(黄金の門)」を含む「Cour Ovale(楕円宮廷)」の建物のほとんどを建築した。王は建築家のセバスティアーノ・セルリオとレオナルド・ダ・ヴィンチをもフランスに招いている。フランソワ1世のギャラリーのフレスコはロッソ・フィオレンティーノによるスタッコ(化粧漆喰)で仕上げられ、1522年から1540年にかけて作られて、フランスで最初の大きな装飾ギャラリーとなった。