フォレスト・J・アッカーマン
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フォーレスト・J・アッカーマン
Forrest J Ackerman
アッカーマンションにいるアッカーマン
ペンネームWeaver Wright, Spencer Strong, Walter Chinwell, Allis Villette, Alus Kerlay, Laurajean Ermayne, Alden Lorraine, J. Forrester Eckman, Fisher Trentworth, SF Balboa, Hubert G. Wells, Jacues De Forest Erman, Jone Lee Heard, Sgt. Ack-Ack, and Dr. Acula.
共同ペンネーム: Jacques de Forrest Erman (with Wilfred Owen Morley), Geoffrey Giles (with Walter Gillings)[1]
誕生 (1916-11-24) 1916年11月24日
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
死没2008年12月4日(2008-12-04)(92歳)
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
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フォーレスト[2]・J・アッカーマン(Forrest J Ackerman[3] 1916年11月24日 - 2008年12月4日)は、アメリカ人SF/ホラー関連の編集者、版権代理人、作家。

また、SF/ホラーに関連する本(英語圏外も含む)、映画グッズなどの膨大な数のコレクターであり[4]、彼の住居は「アッカーマンション」と呼ばれる個人ミュージアムとなっていた。

アッカーマンはまた、アメリカのSFファンダムの初期から長年に渡って活動したSFファンとしても非常に有名であり、フォーリー(Forry, 4e)、フォーレストJ(4SJ)、ミスターSFなどという愛称でも呼ばれた。1953年には、ヒューゴー賞のNumber 1 Fan Personality部門を受賞した[5]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日本のSF関係者とも交流が深く、矢野徹との交友の深さは伝説的である。また、後にはワールドコン常連となった柴野拓美の親友となったが、あまり酒を飲めない(柴野本人は「自分は下戸ではなく量が飲めないだけ」と主張していた)柴野に気を使って柴野の前では全く飲酒せず、柴野は死ぬまでアッカーマンをアルコール・アレルギーだと思い込んでいた。しかし、ワールドコンのジャパン・パーティーでは、柴野の前以外では日本酒を愛飲していた。この機微に関しては宇宙塵メンバーで、ワールドコンにも参加していた者達の証言がほぼ一致しているが、これを文献的に残した物は無い様である。[要出典]

言葉遊びが好きで新語も数々生み出しており、サイエンス・フィクションの略称として「SCI-FI(サイファイ)」を提唱した[6][7]

スティーブン・キングらが愛好したホラー映画専門雑誌『フェイマス・モンスターズ・オブ・フィルムランド』の編集者としても知られている。また、アッカーマン自身、SF小説も発表している。[要出典]

多くのSF映画/テレビにカメオ出演し、また脚本担当やプロデューサーも務めていた。ラス・メイヤーへのリスペクト映画であるダブルD・アベンジャー (英語版)にもゲスト出演している。[要出典]

映画ブレードランナーに登場したロサンゼルスの有名な建物「ブラッドベリー・ビル」を設計した、ジョージ・H・ワイマンは祖父。[要出典]

また、SF界でも有名なエスペラント支持者だった[4]
生涯

1916年11月24日、ロサンゼルスでフォーレスト・ジェームズ・アッカーマン (Forrest James Ackerman) として生まれる[8]。ただし本人は1930年代からミドルネームをピリオドなしのJで表している。父はニューヨーク出身、母はオハイオ出身で、母の方が父より7歳年上だった[9]カリフォルニア大学バークレー校に約1年(1934年-1935年)だけ通い、映写技師として働き、1942年8月15日から3年間アメリカ陸軍に勤務した[8][10]

教師で翻訳家の Wendayne (Wendy) Wahrman (1912?1990) と結婚し、死別するまで添い遂げている[4]

アッカーマンは国際補助語エスペラントを流暢に話し、かつて俳優のレオ・G・キャロルと腕を組み、ハリウッド大通りを歩きながらエスペラントの歌「ラ・エスペーロ」を歌ったことがあるという。
経歴とファンダム活動

1922年に映画 One Glorious Day[11] に出会って衝撃を受け、1926年に初めてSF雑誌アメージング・ストーリーズを買い、1930年には The Boys' Scientifiction Club を結成した(Boysとあるのは、当時女性SFファンはユニコーンの角よりも珍しかったため)。1932年には世界初と言われているSFファンジン The Time Traveller に関わり、後にスーパーマンで名声を勝ち取ることになるシーゲルとシャスターが創刊したファンジン Science Fiction にも関わった。アッカーマンの名は Science Fiction 第3号に掲載された "The Reign of the Super-Man の中にリポーターとして登場している[12]。彼はロサンゼルス・サイエンス・ファンタジー協会 (LASFS) の初期会員の1人でもあり、数十年に渡って同協会で活発に活動した。

1939年には第1回ワールドコンに参加し、世界初のコスプレ(アッカーマンは futuristicostume と名付けた)をした[13][14]。2回を除いて、アッカーマンは生涯全てのワールドコンに参加している。アッカーマンはロサンゼルスの繁華街のカフェテリアで毎週集まっていた Science Fiction League のロサンゼルス支部の集会にレイ・ブラッドベリを連れて行った。なお、この集まりが後にロサンゼルス・サイエンス・ファンタジー協会 (LASFS) となった。そこによく来ていた作家としては、ロバート・A・ハインラインフレドリック・ブラウンヘンリー・カットナーリイ・ブラケットジャック・ウィリアムスンらがいる。ブラッドベリは友人のレイ・ハリーハウゼンを伴って参加していた。1939年、ブラッドベリはアッカーマンから90ドルの資金援助を受け、Futuria Fantasia というファンジンを立ち上げている。

アッカーマンはSF映画、ファンタジー映画、ホラー映画などにゆかりのある品々を多数収集したコレクションを所有し、2002年までそれらを "Son of Ackermansion" と名付けた18部屋もある自宅兼博物館に収めていた(もともとの「アッカーマンション」は1950年代から1970年代まで住んでいた家で、現存しない)。この2代目アッカーマンションには30万冊の本と1951年から2002年まで収集した様々な映画とSF関連の品があった。アッカーマンはここで5万人ものファンを歓待し、ある夜などは186人のファンとプロの作家、さらには宇宙飛行士エドウィン・オルドリンまで訪れたことがある。


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