フォレスタル級航空母艦
就役間近のCVA-59 フォレスタル
基本情報
艦種航空母艦
(大型空母(CVB)→攻撃空母(CVA)→空母(CV))
命名基準1番艦はジェームズ・フォレスタル初代国防長官に因む。
建造所ニューポート・ニューズ造船所
ブルックリン海軍工廠
運用者 アメリカ海軍
建造期間1952年 - 1959年
就役期間1955年 - 1998年
建造数4隻
前級ミッドウェイ級
次級キティホーク級
要目
基準排水量59,650?60,000トン[注 1]
満載排水量76,000トン[注 1]
全長316.7 m
最大幅76.8 m
水線幅38.5 m
吃水10.3 m
ボイラーB&W式ボイラー×8缶
主機蒸気タービン
推進器スクリュープロペラ×4軸
出力280,000馬力[注 1]
速力最大34ノット[注 1]
航続距離12,000海里 (20kt巡航時)
乗員
個艦要員2,764名
航空要員1,912名
兵装後述
搭載機
CTOL機 + ヘリコプター
冷戦期:90機、通常:70機前後
FJ-1、F9F、F3D、F3H、F4D、F-11、F-8、F-4、F-14、F/A-18A-D、A-1、A-3、A-4、A-5、A-6、A-7、OV-10、E-1、E-2、EA-6、S-3、C-2、SH-3、SH-60等
レーダー後述
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フォレスタル級航空母艦(フォレスタルきゅうこうくうぼかん、英語: Forrestal-class aircraft carrier)は、アメリカ海軍の航空母艦の艦級[1][3]。同海軍が第二次世界大戦後初めて計画・建造した大型空母であり、アングルド・デッキなどの新機軸を盛り込んだ超大型空母の端緒として[注 2]、以後の米大型空母の規範となった[2]。
基本計画番号は、ネームシップはSCB-80、2?4番艦はSCB-80M[5]。建造費は、ネームシップでは1億8,890万ドル、4番艦では2億2,530万ドルであった[6]。 第二次世界大戦において、アメリカ海軍の艦隊空母は、艦隊決戦や戦略攻撃を含めた対地攻撃で多大な戦果を収め、対日戦の勝利に大きく貢献し、艦隊の主力艦であることを示した。一方で、実戦経験を通じて改善すべき点も判明したことから、1945年5月には、エセックス級・ミッドウェイ級に続く次世代の艦隊空母の検討が開始された[4][7]。 当初、この計画は、ミッドウェー級よりも安価な35,000トン級の艦として検討されていた。しかし戦後には、仮想敵としての大日本帝国海軍の消滅、そして核兵器の台頭とともに大幅な方針変更を余儀なくされ、核戦略の一翼を担いうるように大型の艦上攻撃機を運用可能なCVB-X計画艦(基準排水量70,000トン)に発展した。1番艦「ユナイテッド・ステーツ」は1948年度計画で建造が開始されたが[4]、戦略爆撃機の優位性と大型空母の非効率性を主張する陸・空軍の意向を受けて、ジョンソン
来歴
しかし海軍は、「ユナイテッド・ステーツ」の挫折の後でも、大型空母の建造を諦めてはいなかった。そして同艦の建造中止を巡る「提督たちの反乱」に関連して開かれた公聴会を通じて、議会でも、艦上機は陸上機に取って代わられるというよりは相補的な存在意義があることが認められており、大型空母の復活を後押しする機運が高まっていた[9]。また1950年6月に勃発した朝鮮戦争も、大きな追い風となった。核戦争だけではなく通常兵器による地域紛争も依然として発生しうることが改めて意識され、そして空母とその航空団は再び多大な戦果を収め、その存在価値を示した。この情勢変化を受けて、エセックス級の近代化改装がいっそう推進されるとともに、大型空母の計画も復活することになった[4][5]。
1952年度予算の原案には含まれていなかったが、同年10月28日にはSCB-80計画艦として大型空母1隻の建造が盛り込まれた。これによって建造されたのが「フォレスタル」である。また1953年から1955年度計画では、設計を改訂したSCB-80M計画艦として、毎年1隻ずつが建造されていった[5][3]。