フォルトゥナ・デュッセルドルフ
[Wikipedia|▼Menu]

フォルトゥナ・デュッセルドルフ

原語表記Dusseldorfer Turn- und Sportverein Fortuna 1895 e.V.
愛称F95
クラブカラー赤
創設年1895年
所属リーグブンデスリーガ
所属ディビジョン2部
ホームタウンデュッセルドルフ
ホームスタジアムデュッセルドルフ・アレーナ
収容人数51.500
代表者 ペーター・フリムト
監督 ダニエル・ティウネ
公式サイト ⇒公式サイト

ホームカラーアウェイカラーサードカラー

テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

デュッセルドルファー・トゥルン=ウント・シュポルトフェアアイン・フォルトゥナ1895エー・ファウ(Dusseldorfer Turn- und SportvereinFortuna 1895 e.V.)は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州デュッセルドルフを本拠地とするサッカークラブチーム。通称F95。2021-22シーズンはブンデスリーガ2部に所属する。
概要

1895年創立。1933年のドイツ選手権優勝など、ブンデスリーガ創設(1963年)前からの強豪クラブとして名を知られていた。ブンデスリーガへの初参加は1966-67シーズンである。昇格初年度こそ降格の憂き目に遭うものの、1971年に再昇格を果たした後は16シーズン連続で1部リーグの座を維持している。

1970年代はクラブが戦後もっとも成功を収めた時期であり、1972-73シーズン、および1973-74シーズンには2年連続でリーグ3位に躍進。DFBポカールにおいては1977-78シーズンに初の決勝進出を果たす。この決勝戦はライバルである1.FCケルンに敗れ準優勝に終わったが、翌1978-79シーズンに初優勝、さらに1979-80シーズンの決勝では2年前に敗れた1.FCケルンとの再戦で雪辱を果たし連覇を達成。この間、翌シーズンの準々決勝でヘルタ・ベルリンに敗れるまで3シーズンに亘り国内カップ戦18連勝という記録を樹立した。欧州の舞台では1979年のUEFAカップウィナーズカップで準優勝している。

1980年代以降、成績が低迷し2部リーグへの降格を繰り返す様になり、1996-97シーズンにブンデスリーガ1部から降格すると、そこからわずか5年でオーバーリーガ(4部相当)まで滑り落ちた。2004-05シーズンにはホームスタジアムをエスプリ・アレーナに移すものの、しばらくは最新鋭のスタジアムに見合わないレギオナルリーガ(3部相当)での戦いが続いた。2008-09シーズンには3. リーガの創設チームのひとつにもなっている。

2007-08シーズン途中にノルベルト・マイヤーが監督に就任するとチームは上向き、2008-09シーズンの3. リーガで準優勝の成績を残してブンデスリーガ2部へ昇格すると、2011-2012シーズンにはヘルタ・ベルリンとのプレーオフを制して15年ぶりのブンデスリーガ1部復帰を果たした。2012-13シーズンではシーズン序盤は健闘を見せたものの、年明け後の後半戦でわずか2勝と大きく調子を落として1年での2部降格となった。クラブはこの結果をもって5シーズン監督を務めたマイヤーを解任するものの、2部リーグにおいても成績は低空飛行を続け、その後の3年間で6人の監督が入れ替わるなど迷走。一時は3部リーグへの降格争いにも巻き込まれるほどの苦戦を強いられた。

2015-16シーズン途中に監督として5度の1部昇格経験をもつフリートヘルム・フンケルを招聘。3年目となる2017-18シーズンにチームは快進撃を見せ、首位に立った第5節以降1度も昇格圏(3位)内から落ちることなく6シーズンぶりのブンデスリーガ復帰を確定した。フンケルにとってはこれが6度目の1部リーグ昇格であり、リーグ記録の更新となった。最終節にはともに昇格を争った1.FCニュルンベルクとの首位決戦を試合終了間際の逆転ゴールで制し、2.ブンデスリーガ優勝のタイトルを手にして昇格に花を添えた。

1部リーグ再挑戦となる2018-19シーズン前半戦は極度の不振に喘ぎ、7-1での大敗を喫したアイントラハト・フランクフルト戦を含む6連敗で1部の洗礼を受ける形となる。第8節終了時点で最下位に転落するものの、バイエルン・ミュンヘンを相手に敵地で引き分けに持ち込むなど徐々に調子を上げ、前半戦終了間際には開幕から15戦無敗を続けていたボルシア・ドルトムントに土を着ける番狂わせを起こし、ウィンターブレイクを挟んで4連勝を記録する。後半戦もこの勢いを持続したまま着実に順位を上げ、第28節終了時点で6試合を残して久々の1部残留を確定。10位でシーズンを終えた。

2019-2020シーズンは、2018-2019シーズンに10得点を決めたベニト・ラマンシャルケ04へ移籍[1]し、ドディ・ルケバキオはレンタル期間満了で退団[2]となり、得点源を失ったダメージは大きく、シーズン中盤からは降格圏内が定位置となり、シーズン最終戦のウニオン・ベルリン戦に敗れ、一方他会場で同時進行している残留争いのライバルのブレーメンが勝利という結果になった為、17位に終わり2部降格となった。

降格を喫したものの、ウーヴェ・レスラーが続投となった2020-2021シーズンはシーズンを通して一度も昇格圏内に浮上することはなく、5位でシーズンを終えた。シーズン終了後レスラーは退任となった[3][4]

フライブルクのセカンドチームを指揮していたクリスチャン・プロイサーを招聘[5][6]し、シーズンをスタートした2021-2022シーズンは、開幕からシーズンを通して下位に低迷し、シーズン途中でプロイサーは解任された[7]。後任としてダニエル・ティウネを招聘した[8][9]

ホームスタジアムはライン川のほど近くに位置するメルクール・シュピール・アレーナである。それ以前は戦後長らく1974 FIFAワールドカップでも使用された多目的スタジアムであるラインシュタディオンを本拠地としていた。近隣クラブの1.FCケルンバイエル・レバークーゼンボルシア・メンヒェングラートバッハなどとの対戦はラインダービーと呼ばれ、特に1.FCケルンとは伝統的に強烈なライバル関係にある。
略歴

1895年: 前身の体操クラブTurnverein Flingern1895創立。

1908年: Dusseldorf Fussballklub Spielverein創立。

1911年: Fusballklub Alemania 1911 創立。

1912年: Fusballklub Alemania 1911 から Fusballklub Fortuna 1911に改称。

1913年: Dusseldorf Fussballklub Spielverein と Fusballklub Fortuna 1911が合併。

Dusseldorfer Fusballklub Fortuna 1911に改称。 

1944年: KSG TSV Fortuna/SC 99 Dusseldorf に改称。

1945年: 戦後、現在のDusseldorfer Turn- und Sportverein Fortuna 1895 e.V. に改称。

1979年: ドイツカップ(
DFBポカール)優勝。翌1980年も連覇。

1979年: 5月16日、スイスバーゼルで行われたUEFAカップウィナーズカップ決勝戦においてFCバルセロナに3-4で敗れ準優勝。

タイトル
国内タイトル

ドイツ選手権: 1回

1933


Gauliga Niederrhein champions: 5回

1936, 1937, 1938, 1939, 1940


ドイツアマチュア選手権: 1回

1977


ドイツカップ(DFBポカール): 2回

1979, 1980


ツヴァイテリーガ (ドイツ2部): 2回

1989, 2018


オーバーリーガ北部 (ドイツ4部): 1回

1994


国際タイトル

インタートトカップ: 3回

1967, 1984, 1986


過去の成績

シーズンディビジョンDFBポカール
リーグ試勝分敗得失点順位


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:72 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef