フォルテピアノ
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この項目では、18?19世紀の様式の鍵盤楽器について説明しています。

現代の鍵盤楽器については「ピアノ」をご覧ください。

強弱記号については「強弱法#その音だけ強いことを表すもの」をご覧ください。

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ポール・マクナルティによるWalter & Sohnの1805年頃の楽器の復元楽器

フォルテピアノは18世紀から19世紀前半の様式のピアノを、20世紀以降のピアノと区別する際に用いられる呼称である[1]。これに対して現代のピアノを特に指す場合はモダンピアノという呼称が用いられる。
用語

ピアノという楽器の名称は、イタリア語のgravicembalo col piano e forte(優しく、また大きく鳴るチェンバロ)、もしくはその類似表現の省略形に由来している。したがって、現代のピアノ(モダンピアノ)のより正式な名称も「ピアノフォルテ」あるいは「フォルテピアノ」であるが、19世紀前半以前の様式のピアノを、モダンピアノと区別して特定する必要がある時に、古風な「フォルテピアノ」という用語が慣例的に用いられている。英語圏、イタリア語圏、日本語圏などでは「フォルテピアノ」が用いられるほか、フランス語圏では「フォルテピアノ(forte-piano)」および「ピアノフォルテ(piano-forte)」、ドイツ語圏では「ハンマークラヴィーア(Hammerklavier)」および「ハンマーフリューゲル(Hammerflugel)」が用いられる。一方、ロシア語「фортепиано」、ウクライナ語「фортеп?ано」、ポーランド語「fortepian」のように、現代のピアノを「フォルテピアノ」に相当する単語で呼ぶ言語もある。
構造

フォルテピアノは革で覆われたハンマーをもち、チェンバロに近い細い弦が張られている。ケースはモダンピアノよりかなり軽く、金属のフレームや支柱はモダンピアノに近づいた後期の物を除いては使用されていない。アクション、ハンマーはともに軽く、モダンピアノよりも軽いタッチで持ち上がり、優れた楽器では反応が極めてよい。

音域は、発明当初はおよそ4オクターヴであり、徐々に拡大した。モーツァルト(1756?1791)の作曲したピアノ曲は、約5オクターヴの楽器のために書かれている。ベートーベン(1770?1827)のピアノ曲は、当時の音域の漸増を反映しており、最末期のピアノ曲は約6オクターヴの楽器のために書かれている。

モダンピアノと似たペダル機構はフォルテピアノの発明当初より存在したが、足ペダルではなくハンドレバーや膝レバーを備えた楽器もある。

モダンピアノと同様、フォルテピアノは奏者のタッチによって音の強弱に変化を付けることが出来る。しかし音の響きはモダンピアノとかなり異なり、より軽快で、持続は短い。また音域ごとにかなり異なる音色を持つ場合が多く、おおまかにいって、低音域は優雅で、かすかにうなるような音色なのに対し、高音域ではきらめくような音色、中音域ではより丸い音色である[注釈 1]
歴史
クリストフォリの発明1720年製、現存する最古のピアノ(メトロポリタン美術館1722年製のピアノ(ローマ・イタリア国立楽器博物館)1726年製のピアノ(ライプツィヒ大学楽器博物館)

現在「フォルテピアノ」と呼ばれる楽器は、1700年頃にフィレンツェにてチェンバロ製作家のバルトロメオ・クリストフォリによって考案された。クリストフォリは1720年代までこの楽器の開発を続けた。現存する3台のクリストフォリの楽器はこの時期のものである。

現存最古の信頼できるフォルテピアノの記録は、クリストフォリのパトロンであったメディチ家の1700年の日付をもつ目録にみえる。目録中の記述は次のように始まっている。"Un Arpicembalo di Bartolomeo Cristofori di nuova inventione, che fa' il piano, e il forte, a' due registri principali unisoni, con fondo di cipresso senza rosa..." (「1台のアルピチェンバロ、バルトロメオ・クリストフォリによる新規発明、優しく、また大きく響くもの、ユニゾンに調律した2レジスター、ローズ無しのイトスギの響板…」)。

他の史料としてフェデリゴ・メッコリがジョゼッフォ・ツァルリーノの『ハルモニア教程』 (Le istitutioni harmoniche) の余白に記した記述がある。メッコリは次のように記している。「これらの方法によって "Arpicimbalo del piano e forte" を演奏することができる。(この楽器は)もっとも高貴なるフェルディナンド・トスカーナ大公子殿下のチェンバロ製作家、パドヴァのバルトロメオ・クリストファニ師(原文ママ)によって1700年に発明された」。

クリストフォリの楽器は、優れたアクションで今日高く評価されており、ある面では後の楽器の多くよりも巧妙で優れた機構を持っている。また、ハンマーの打撃に耐えるためには弦に充分な張力が必要であるが、クリストフォリの楽器は、同時代のチェンバロよりも頑丈な構造を持ち、より太い弦が高い張力で張られている。弦は全音域で1音に2弦ずつ張られ、後のあらゆるピアノと同様、ハンマーが複数の弦を同時に叩くようになっている。さらに、クリストフォリの楽器には、現代のピアノのソフトペダルに相当する機構も備わっている。ソフトペダルはハンマーが叩く弦の数を減らすようにする機構で、クリストフォリの楽器ではハンドストップを使用している。ただし、モダンピアノのソフトペダルがクリストフォリの発明の直系なのか、独立に発明されたのかは明らかでない。クリストフォリのハンマーアクション機構
普及の開始

クリストフォリの楽器は、1711年にフランチェスコ・スキピオーネ(スキピオーネ・マッフェイ)によるヴェネツィアの Giornale de'letterati d'Italia 掲載記事によって有名になった。この記事には、クリストフォリの発明の要である、アクションの図解も掲載されていた。1719年にはスキピオーネの著書に再録され、更にヨハン・マッテゾンの『音楽評論』(Critica Musica)にドイツ語の翻訳が収められた(1725年)。恐らくこのマッテゾンの書を通じて、ドイツ語圏にフォルテピアノが普及していく。

クリストフォリの楽器の普及は、当初はかなりゆっくりであった。これはチェンバロよりも製作が難しく、極めて高価であったためと推測されている。しばらくの間、フォルテピアノは王族の楽器であり、クリストフォリ製作やクリストフォリ風の楽器は、ポルトガルやスペインの宮廷で演奏されていた。ドメニコ・スカルラッティの弟子でもあったスペイン王妃バルバラ・デ・ブラガンサは数台のフォルテピアノを所有していたことで知られており、スカルラッティ本人もフォルテピアノを演奏していた可能性がある。個人でフォルテピアノを所有した最初期の人物には、カストラートファリネッリがいるが、ファリネッリの楽器は、バルバラの死後譲り受けたものであった。

特にフォルテピアノのために書かれた最初の楽曲、ロドヴィコ・ジュスティーニの「ツィンバロ・ディ・ピアノのためのソナタ」(Sonate da cimbalo di piano, 1732年)が書かれたのもこの時期である。この作曲は単発的なものであり、ジェームス・パラキラスは、ジュスティーニの王族のパトロンたちはこのような楽曲の出版はジュスティーニにとって名誉となると考えていたと推測している(Parakilas, 1999)。楽器が高嶺の花であるうちは、フォルテピアノのための楽曲の市場はなかったと考えられる。

フォルテピアノが本格的に人気を得るのは1760年代になってからであったようだ。この時期から、公衆の前での演奏の記録があり、フォルテピアノのためと記された楽曲の出版も幅広く行われるようになった。「強い音と弱い音」を交互に出すことを作曲家が楽譜で頻繁に指示することも、目だって増えてくる。
ジルバーマンの楽器

ドイツ語圏でのフォルテピアノの製作を始めたのはゴットフリート・ジルバーマンであった。ジルバーマンはドイツのフライベルクで活動しており、1730年頃よりクリストフォリの設計に基づいてピアノの製作を始めた。クリストフォリが王室の保護を受けていたのと同様、ジルバーマンもプロイセンフリードリヒ大王の庇護を受け、フリードリヒはジルバーマンの楽器を数多く購入した。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハが1736年頃におこなったジルバーマンの楽器の批判は著名であるが、後の1747年にベルリン訪問中に触れたジルバーマンのピアノは、バッハにも評価されたようである。パラキラスの説によれば、ジルバーマンの楽器の向上は、スキピオーネの記事だけに頼っていたのを、実際にクリストフォリのピアノに接する機会を得たことによるものであった。スキピオーネの記事の図解は、現存するクリストフォリ・ピアノと一致しないが、これはスキピオーネが間違った(スキピオーネ自身が記憶に基づいて書いたとしている)ものか、クリストフォリがスキピオーネの記事後にアクションを改良したものと考えられる。


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