フォルクスワーゲン
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「VW」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「VW (曖昧さ回避)」をご覧ください。

「ワーゲン」はこの項目へ転送されています。ドイツ語の意味については「」、「wikt:Wagen」、「wikt:de:wagen」、「wikt:en:wagen」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}フォルクスワーゲン・グループ > フォルクスワーゲン

フォルクスワーゲン
Volkswagen
ヴォルフスブルクの本社工場
所持会社フォルクスワーゲン AG
使用開始国 ドイツ
主要使用国世界中
使用開始1937年
旧使用会社ドイツ労働戦線
登録商標 ドイツ
ウェブサイトwww.vw.com
テンプレートを表示

フォルクスワーゲン(ドイツ語: Volkswagen)は、フォルクスワーゲンAGの旗艦ブランド。1937年にドイツ労働戦線によって設立され、象徴的なビートルで知られる。ドイツ語でフォルク(Volk)は「」と訳すことからフォルクスワーゲンとは「国民車」と訳されている。2020年には、フォルクスワーゲンブランドで約50車種が世界で生産された。
来歴
ヒトラーの国民車計画VWのロゴの変遷

アドルフ・ヒトラーが1934年のベルリンモーターショウで提唱した国民車(フォルクスワーゲン)計画に従い、著名な自動車設計者であるフェルディナント・ポルシェによって、後のフォルクスワーゲン・タイプ1となる、進歩的なメカニズムを備えた流線型のリアエンジン小型車が開発された。1935年に最初の試作車が完成、1938年に発表された。

当初ヒトラーはこの車を「フォルクスワーゲン(国民車)」と称していたが、最終的に1938年に、「KdF-Wagen(歓喜力行団の車、KdF車)」と命名した。歓喜力行団とは、ドイツ労働戦線の一部局で労働者の余暇活動を活性化させる組織を指し、文字通り「ナチス党政権下の車」としての意義を強調するものであった。

生産のために1937年5月28日、フォルクスワーゲン準備会社(Gesellschaft zur Vorbereitung des Deutschen Volkswagens GmbH )が創立され、1938年9月16日にフォルクスワーゲン製造会社(Volkswagenwerk GmbH )と名称変更。この国民車の大量生産を期し、歓喜力行団の車を生産するための街(Stadt des KdF-Wagens、KdF車市)も建設された。

しかし1939年9月に第二次世界大戦が始まると、フォルクスワーゲン製造会社は軍需生産に移行し、歓喜力行団の車をベースにしたキューベルワーゲン等の軍用車両を生産する。民需のKdF車は生産されず、歓喜力行団へ積立金を支払っていた購入希望者への納車はされなかった。
第二次世界大戦時中

第二次世界大戦時中のフォルクスワーゲン製造会社の生産ラインには、ポーランド、ウクライナ、ロシア、ベラルーシ、イスラエル、オランダ、フランス、オーストリアなど、ドイツが占領した近隣諸国からの約2万人の強制労働者や戦争捕虜、のちにはアウシュヴィッツ収容所の収容者が送り込まれ、過酷な労働を強いられ死に至る者もいた[1]

設計者のフェルディナント・ポルシェキューベルワーゲンシュビムワーゲン以外にティーガーI戦車を含めた軍用車輌開発に従事していた。そのような情勢でフォルクスワーゲン計画は立ち消えたかたちになった。
占領下の復興スプリットウインドウ時代のタイプ1(1949年)

第二次世界大戦の欧州戦がドイツの降伏によって終結すると、ドイツ全土は連合軍の占領下におかれた。KdF車工場はソ連に接収され、やがて撤去されようとしていたが、重要性に気づいたイギリス軍が最終的に管理下においた。工場所在地の「KdF車市」という地名も、近くにある城の名前に因んでヴォルフスブルクと改名された。

フォルクスワーゲンの工場管理者として、イギリス陸軍のアイヴァン・ハースト少佐(Ivan Hirst、1916年-2000年)が就任した。ハーストはKdF車の将来性と、ドイツ人労働者の高い資質を見抜き、リーダーシップを取って、戦禍によって廃墟同然となった工場を復興させた。その結果、1945年中にはフォルクスワーゲン社が改組され、KdF車も「フォルクスワーゲン・タイプ1」に車名を変更して生産を再開した。ハーストは品質管理や販売網・サービス網整備にまで意を払い、フォルクスワーゲンの礎を築いた。1947年からはオランダを皮切りに輸出も開始している。

1948年1月、戦前にドイツ最大の自動車メーカー・オペルの幹部であったハインリヒ・ノルトホフが、ハーストの後を受けて経営に携わるフォルクスワーゲン社長に任命された。就任にあたり、ノルトホフは工場の労働者に、「未来は過去と決別するときに始まる」と自身の信念を語っている。以降、ノルトホフに率いられたフォルクスワーゲン社は「タイプ1」を中心に、戦後の社業を拡大して行くことになった。

フォルクスワーゲン車は、戦後のアメリカ、イギリスの主要自動車メーカーからも調査の対象となったが、その進歩性・合理性を、保守的なデトロイトや英国の技術者たちは理解できなかった。英国メーカー各社の調査団は検討の結果「評価に値しない車」としてこれを看過した。フォードのトップであったヘンリー・フォード2世は、1948年末の連合国側関係者による検討会議で「フォルクスワーゲンは無価値と判断する」旨発言してこれを放擲する意見を表明し、連合国関係者はフォード2世の意見に同意した。このため、他国に設計・設備を収奪されるような事態に至らず、フォルクスワーゲンはドイツの民族系企業として存続が可能となった。
躍進

主力モデルのタイプ1は、その耐久性と経済性、そして優れたアフターサービス体制で世界の市場から支持を得、「ビートル」の愛称で広く親しまれた。タイプ1はアメリカをはじめ全世界に大量輸出され、貴重な外貨を獲得して西ドイツの戦後復興に貢献した。2003年のメキシコ工場における生産終了時点までに生産された台数は2,152万台以上に上り、モデルチェンジなしでの四輪自動車1車種としては未曾有の量産記録となっている。

タイプ1の設計をベースとして1950年に発表したキャブオーバー・ワンボックス車の「タイプ2」も、貨客搭載力と乗り心地を両立させた優秀な汎用車として人気を博した。

また、1953年には南アメリカ最大の経済規模を持ち、またドイツ系移民も多いブラジルに進出し、現地法人である「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」を設立した。その後タイプ1やタイプ2の現地生産や、独自モデルの開発、生産も行うとともに、南アメリカ各国やヨーロッパ、アフリカなど世界各国への輸出も行い、現在では世界最大の現地法人になった。

1960年までは西ドイツ政府の国営であったが、民営化にあたり「フォルクスワーゲン法」という特別な法律が制定された。この法律により、投資家はどんなに株を買っても議決権の20%までしか保有できないようになっていたほか、筆頭株主がニーダーザクセン州であったなど、通常の一般企業とは異なる面をもっていた。

1965年には、当時はダイムラー・ベンツ傘下にあり、今日のアウディAGの前身である大手自動車メーカーのアウトウニオンを生産体制と技術力強化のために買収した。
前輪駆動への移行ゴルフ 1

1960年代には、タイプ1のもつ空冷リアエンジン方式というレイアウトは既に陳腐化しており、フォルクスワーゲンは、傘下としたアウトウニオンの前輪駆動技術をも応用して、1970年以降の新型車について前輪駆動化への動きを進めた。

1974年に至り、スペース効率に優れた前輪駆動のハッチバック車「ゴルフ」を開発し、その機能性が市場に受け容れられてベストセラーとなり、タイプ1シリーズはドイツ本国での生産を1978年に終了した。以来、ゴルフの延長線上に各種の機能的な小型車を多数送り出し、フォルクスワーゲンはヨーロッパを代表する大衆車メーカーとしての地位を確立した。
規模拡大

1980年代以降は、それ以前の南米などへの工場展開のみならず、既存メーカーの買収をも進めるようになっている。1984年には、上海汽車との提携で中国市場へ参入。また1991年にはチェコの老舗メーカーであるシュコダ、1996年にはかつてフィアット系だったスペインセアトを傘下に入れ、東欧・南欧での拠点をも確保した。さらにその後ベントレーブガッティランボルギーニなどの高級車ブランドも傘下に入れている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:157 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef