フォルカー・リューエ
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フォルカー・リューエ(2001年撮影)

フォルカー・リューエ(Volker Ruhe、1942年9月25日 ? )は、ドイツ政治家キリスト教民主同盟(CDU)所属。ヘルムート・コール内閣で1992年から1998年まで国防大臣を務めた。
経歴

ハンブルク出身。1962年にアビトゥーアに合格し、ハンブルク大学ドイツ語英語の教師教育を専攻。1970年に中等教育教員資格の国家試験に合格。1976年までハンブルクで教師として働いていた。妻との間に三児。

1963年にドイツキリスト教民主同盟(CDU)に入党。1970年、ハンブルク市議会議員に当選。1973年、議会会派副会長に就任し、CDUの青年団組織Junge Unionの全国組織執行部入り(‐1975年)。1976年ドイツ連邦議会議員に立候補し初当選。1982年、連邦議会議員会派副会長。1983年、党外交・安全保障政策委員会会長。1989年に党事務局長に就任。

1992年、第四次ヘルムート・コール内閣に国防相として入閣。国防相時代には、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大を支持し、ドイツの政治課題として浮上させた。コール首相後の首相候補として取りざたされたが、1998年の総選挙でCDUは敗北しコール内閣は退陣。1998年から2000年までリューエは党首代行を務めたが、この間総選挙敗北に追い打ちをかけるようにコール首相とCDUに不正政治資金問題が持ち上がった。2002年まで連邦議会議員会派副会長を兼任。

2000年、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州首相を目指し出馬するも、ドイツ社会民主党(SPD)の現職ハイデ・ジモーニスに敗北している。2002年から2005年まで連邦議会外交委員長。2004年6月にはトルコ欧州連合(EU)加盟にも賛成している。2005年の連邦議会選挙に出馬せず、政界を引退した。

現在はサーベラス・キャピタル・マネジメント顧問を務めている。
外部リンク

ドイツ連邦議会経歴紹介(ドイツ語)


先代
ゲルハルト・シュトルテンベルクドイツ連邦共和国国防大臣
1992年 - 1998年次代
ルドルフ・シャーピング










ドイツ連邦共和国国防大臣


テオドール・ブランク1955-1956

フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス1956-1962

カイ=ウヴェ・フォン・ハッセル1963-1966

ゲアハルト・シュレーダー1966-1969

ヘルムート・シュミット1969-1972

ゲオルク・レーバー1972-1978

ハンス・アーペル1978-1982

マンフレート・ヴェルナー1982-1988

ルパート・ショルツ1988-1989

ゲルハルト・シュトルテンベルク1989-1992

フォルカー・リューエ1992-1998

ルドルフ・シャーピング1998-2002

ペーター・シュトルック2002-2005

フランツ・ヨーゼフ・ユング2005-2009

カール=テオドール・ツー・グッテンベルク2009-2011

トーマス・デメジエール2011-2013

ウルズラ・フォン・デア・ライエン2013-2019

アンネグレート・クランプ=カレンバウアー2019-2021

クリスティーネ・ランブレヒト2021-2023

ボリス・ピストリウス2023-

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