フォリー・ベルジェールのバー
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『フォリー・ベルジェールのバー』フランス語: Un bar aux Folies Bergere

作者エドゥアール・マネ
製作年1882年
種類油彩
寸法92 cm × 130 cm (36 in × 51 in)
所蔵コートールド・ギャラリーロンドン

『フォリー・ベルジェールのバー』(Un bar aux Folies Bergere)は、エドゥアール・マネ油絵である。マネが完成させた最後の主要作品でもある。1882年に、サロン・ド・パリに出品された[1]

ミュージックホールフォリー・ベルジェール』にあるバーが描かれている。中央に描かれたバーメイドの後ろに鏡があり、そこに写るミュージックホールの様子が描かれている。ベラスケスの「ラス・メニーナス」を意識したとされる[2]

当時、フォリー・ベルジェールではバレエや曲芸などが行われており、絵の左上には空中ブランコに乗った人物の足が見える。うつろな表情のバーメイド娼婦であることを、カウンターにあるオレンジの入った皿が暗示する。実際、フォリー・ベルジェールが娼婦を抱える施設であることは広く知られており、モーパッサンはバーメイドを「酒と愛の売り子」[3]と表現している。当時の風俗が写実的に描かれ、上流階級から下層階級まで、時代の明と暗を表現した作品である。マネは何度もフォリー・ベルジェールへ足を運び、最終的には、シュゾンという名のバーメイドを自宅へ招き、カウンターの一部を再現して、絵を完成させた。

この絵は、発表直後から、多くの批評家を困惑させた。鏡の位置の不確かさ、バーメイドの後姿が右へずれていること、バーメイドが応対している紳士が手前には存在しないこと、カウンターに置かれたビンの位置と数に相違がある、等である[4]。だが、2000年に復元された劇場で撮影された写真により、この絵が不自然ではないことが判明している。バーメイドは紳士とは向き合っておらず、紳士は画面の左側にいるために描かれていない。鑑賞者はバーメイドの正面ではなく、すこし離れた右側に立っている。したがって、バーメイドは少し左を向いている[5]

背中姿が描かれていない紳士の視線の先にいるのは、左から二人目のひときわ目立つ白い服の女性、すなわち、メリー・ローラン(フランス語版)である。メリー・ローランの右側の紳士が、視線の主と似ているのは偶然ではない。マネはメリー・ローランをモデルとする『秋』を前年に描いている。

左端の瓶のラベルにマネの署名(「Manet 1882」)が書かれており、こちら側と向こう側を混同する意図が感じられる。

この絵はマネの隣人の作曲家エマニュエル・シャブリエが所有していたが、現在はロンドンのコートールド・ギャラリーが所蔵している[6]
脚注^ “謎めく瞳、都市の「モナリザ」 「コートールド美術館展 魅惑の印象派」”. 2019年10月14日閲覧。
^ “謎フォリー・ベルジェールのバー / A Bar at the Folies-Bergere”. 2019年10月14日閲覧。
^ モーパッサン『ベラミ
^ “ ⇒マネ作《フォリー・ベルジェールのバー》と絵の中の鏡”. 2019年10月14日閲覧。
^ “A BAR AT THE FOLIES-BERGERE”. 2019年10月14日閲覧。
^ “コートールド美術館展 魅惑の印象派”. 朝日新聞デジタルマガジン&[and]. 2021年5月30日閲覧。

外部リンク

THE COURTAULD INSTITUTE OF ART GALLERY










エドゥアール・マネ
絵画

老音楽師』(1862年)

草上の昼食』(1863年)

オランピア』(1863年)

笛を吹く少年』(1866年)

エミール・ゾラの肖像』(1868年)

バルコニー』(1868-69年)

皇帝マキシミリアンの処刑』(1869年)

すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』(1872年)

鉄道』(1873年)

』(1881年)

』(1882年)

『フォリー・ベルジェールのバー』(1882年)

モデル

ヴィクトリーヌ・ムーラン


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