フエ
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フエ市
Thanh ph? Hu?

フオン川に架かるチャンティエン橋
位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}フエ市フエ市 (ベトナム)
地図
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯16度28分 東経107度36分 / 北緯16.467度 東経107.600度 / 16.467; 107.600
行政
 ベトナム
 省トゥアティエン=フエ省
フエ市
地理
面積 
  域83.3 km2
人口
人口(2012年現在)
  域344,581人
    人口密度  4,137人/km2
その他
等時帯UTC/GMT +7
公式ウェブサイト : ⇒http://www.huecity.gov.vn

フエ市(フエし、ベトナム語:Thanh ph? Hu? / .mw-parser-output .vi-nom{font-family:"Nom Na Tong","Han-Nom Gothic","Han-Nom Ming","HAN NOM A","HAN NOM B","TH-Khaai-TP0","TH-Khaai-TP2","TH-Khaai-PP0","TH-Khaai-PP2","TH-Sung-PP0","TH-Ming-JP0","TH-Ming-JP2","TH-Sung-PP2","TH-Sung-TP0","TH-Sung-TP2","TH-Sy-P0","TH-Sy-P2","Ming-Lt-HKSCS-UNI-H","Ming-Lt-HKSCS-ExtB","FZKaiT-Extended","FZKaiT-Extended(SIP)","FZKaiS-Extended","FZKaiS-Extended(SIP)","Sun-ExtA","Sun-ExtB","MingLiU","MingLiU-ExtB","MingLiU_HKSCS","MingLiU_HKSCS-ExtB","SimSun","SimSun-ExtB",sans-serif}.mw-parser-output .vi-nom .ext{font-family:"Han-Nom Gothic","Han-Nom Ming","Han-Nom Minh","TH-Khaai-TP2","TH-Khaai-PP2","TH-Ming-JP2","TH-Sung-PP2","TH-Sung-TP2","TH-Sy-P0","TH-Sy-P2","Sun-ExtB","MingLiU HKSCS-ExtB","Ming-Lt-HKSCS-ExtB","HanaMinB","Han-Nom Kai",sans-serif}城?化  発音[ヘルプ/ファイル])は、ベトナム中部の都市で、トゥアティエン=フエ省省都である。19世紀から20世紀にかけて存在していた阮朝の都に定められていた。

一部の歴史的建造物がユネスコ世界遺産文化遺産)に、また宮廷芸能であるニャーニャック(雅楽)無形文化遺産に登録されている。
呼称

フランス語風に「h」を発音しないユエと呼ばれることもあった[1]

フエの漢字名の「トゥアン・ホア(ベトナム語:Thu?n Hoa / 順化)」は、14世紀陳朝が設置した順州(中国語版)・化州(中国語版)に由来する[2]。二つの行政区画のうち、かつてフエが属していた化州の「化」の漢字音(hoa)が転訛して、町はフエと呼ばれるようになったと考えられている[1][3][4]。漢語では現在も順化と呼称される。

フランス植民地時代に順化を訪れた外国人は、町を「スェウナ」「スィネア」「シネア」と呼んでいた[5]
地理フオン川

標高15m、南シナ海に面する海岸から約16km離れた内陸部に位置する[1]アンナン山脈の支脈が町の背後を囲み、街は丘に囲まれた沖積地の上に建てられている[6]

街の中央をフオン川(英語版)(ベトナム語:H??ng Giang / 香江)が、北側にはボー川(ベトナム語版)(ベトナム語:B? Giang / 蒲江)が流れる。フエはフオン川を挟んで旧市街と新市街に分かれており、チャンティエン橋(チュオンティエン橋、場銭橋)、フースアン橋(富春橋)などの橋が新市街と旧市街を結んでいる。9月から11月にかけての雨季にはしばしばフオン川が増水し、新市街の家屋の一階部分が水没する[7]。1820年に旧市街を囲む城壁が、1904年にはチャンティエン橋が町を襲った洪水によって流された[8]

フエの郊外には宿泊施設を併設した温泉がいくつか存在する[9][10]

フエの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)34
(93)36
(97)38
(100)40
(104)39
(102)40
(104)40
(104)40
(104)38
(100)35
(95)35
(95)32
(90)40
(104)
平均最高気温 °C (°F)23
(73)24
(75)27
(81)30
(86)33
(91)34
(93)34
(93)34
(93)31
(88)28
(82)26
(79)23
(73)28.9
(84)
日平均気温 °C (°F)20
(68)21
(70)23
(73)26
(79)28
(82)29
(84)29
(84)29
(84)27
(81)25
(77)23
(73)20
(68)25
(76.9)
平均最低気温 °C (°F)17
(63)18
(64)20
(68)22
(72)23
(73)25
(77)25
(77)24
(75)23
(73)22
(72)20
(68)18
(64)21.4
(70.5)
最低気温記録 °C (°F)8
(46)11
(52)12
(54)13
(55)17
(63)21
(70)20
(68)21
(70)18
(64)16
(61)12
(54)11
(52)8
(46)
降水量 mm (inch)180
(7.09)90
(3.54)60
(2.36)60
(2.36)80
(3.15)90
(3.54)50
(1.97)130
(5.12)500
(19.69)680
(26.77)640
(25.2)370
(14.57)2,930
(115.36)
湿度87878479746967707984848679.2
出典: ⇒Weatherbase

歴史テト攻勢時のフエ

紀元前111年前漢によって設置された日南郡の首府は、現在のフエ近郊に位置すると推定されている[11]

2世紀末に建国された林邑の都カンダプルプラ(ベトナム語版)もフエ付近に存在したと推定されている[3]。林邑時代のフエはインドシナ半島内陸部の物品を中国に出荷する積出港として機能していた[12]。漢文史料に現れるチャンパの地名「烏麗」「烏里」はフエに比定され[13]、烏里には多くのチャム族が住んでいた[1]。制氏、潘氏といった烏里のチャム貴族は土里人と呼ばれ、フエがキン族化された後も北部からの流民らを荘園に取り込むなどして、名門の地位を保ち続けた[1]

1307年陳朝大越とチャンパの間に結ばれた協定によって、烏里は大越に割譲されて化州と改称された。1401年から1402年にかけて、胡朝は北部・紅河デルタ地帯の流民を化州に移住させた[2]1407年に胡朝を滅ぼしたが安南を支配下に置いた後、陳朝皇族の生き残りは陳朝に忠誠を誓う土里人土豪に依拠して、1413年まで明に抵抗を続けた[14]1558年阮潢(グエン・ホアン)の入城までに土里人を含むフエ住民のキン族化はほぼ完了していた[1]

15世紀末までのフエは大越とチャンパの国境に位置する都市に過ぎなかった[15] が、16世紀から始まる南北抗争時代(英語版)にフエは広南阮氏の本拠地とされ、1636年に富春(英語版)(フースアン)都城が完成する。広南阮氏の時代の富春は南シナ海貿易の中心地として繁栄していた[16]西山党の乱の時代、1774年鄭氏1786年に西山朝の阮恵(阮文恵)が富春を占領した。富春を本拠地とした阮恵は北平王を称し、広平から海雲峠に至る地域を支配した[17]

1801年に阮朝の創始者である嘉隆帝(ザーロン帝、在位:1802年 - 1819年)は富春を制圧し、阮朝の都に定めた。嘉隆帝はヴォーバン様式に基づいた星型の城郭を持つ皇城の建設を計画し[1]、嘉定(中国語版)に置かれていた太和殿(中国語版)が1805年に順化に移されて順化皇城の建設が開始された[18]。阮朝時代の順化は、中国の影響を受けたキン族文化にチャム文化を取り入れて発展していった[19]。第4代皇帝嗣徳帝(トゥドゥク帝、在位:1847年 - 1883年)は広南阮氏の正史『大南寔録』正編を編纂させたことで知られるが、建築事業も大々的に行い、現存する市内の王宮及び郊外の帝陵は嗣徳年間に整備された。

1883年に順化はフランスによって占領され、この地で条約(英語版)が締結された。第二次フエ条約(パトノートル条約)(英語版)によって大南がフランスの保護国とされた後も、阮朝の皇帝は第二次世界大戦末期まで順化の宮殿に住み続けた[1]1945年8月24日に皇帝保大帝(バオダイ帝、在位:1925年 - 1945年)は退位を宣言して順化を去り、阮朝は滅亡した(ベトナム八月革命)。

1963年、民主化・伝統的仏教への弾圧を行うゴ・ディン・ジエム政権に抗議してティエンムー寺(英語版)(ベトナム語:Chua Thien M? / ?天姥)のティック・クアン・ドック、トゥーダム寺(英語版)(ベトナム語:Chua T? ?am / ?慈曇)のティック・ティウ・ディウらの僧侶が焼身自殺を行った[20]1968年テト攻勢では1月31日から2月24日にかけてフエで戦闘が展開され、街は多大な被害を被った[21]。テト包囲戦の中で、およそ2,800人の官吏、警官、教師、学生が南ベトナム解放民族戦線の兵士によって殺害された(フエ虐殺(英語版))[22]
人口

1956年1968年1989年1994年1996年2005年
人口95,000
[3]156,000[6]211,000[23]274,102[19]286,000[4]305,000[1]

行政区画

以下の27坊から構成される。

アンクウ坊(An C?u / 安舊)

アンドン坊(An ?ong / 安東)

アンホア坊(An Hoa / 安和)

アンテイ坊(An Tay / 安西)

フオンロン坊(H??ng Long / 香龍)

フオンソー坊(H??ng S? / 香初)

キムロン坊(Kim Long / 金龍)

フービン坊(Phu Binh / 富平)

フーカット坊(Phu Cat / 富吉)

フーハウ坊(Phu H?u / 富厚)

フーヒエップ坊(Phu Hi?p / 富協)

フーホア坊(Phu Hoa / 富和)

フーホイ坊(Phu H?i / 富会)

フーニュアン坊(Phu Nhu?n / 富潤)

フートゥアン坊(Phu Thu?n / 富順)

フオックヴィン坊(Ph??c V?nh / 福永)

フオンドゥク坊(Ph??ng ?uc / 坊コ)

テイロック坊(Tay L?c / 西祿)

トゥアンホア坊(Thu?n Hoa / 順和)

トゥアンロック坊(Thu?n L?c / 順祿)

トゥアンタイン坊(Thu?n Thanh / 順城)

トゥイビエウ坊(Thu? Bi?u / 水瓢)

トゥイスアン坊(Thu? Xuan / 水春)

チュオンアン坊(Tr??ng An / 長安)

ヴィンニン坊(V?nh Ninh / 永寧)

ヴィーザ坊(V? D? / 葦野)

スアンフー坊(Xuan Phu / 春富)

経済

象牙細工、ガラス細工がフエの特産品となっている[3]。ほか、町では精米、製材、繊維、セメント工業が行われている[24]

フエの台所として知られているドンバ市場はコンクリート造りの2階建てのビルで、1階では雑貨や生鮮食品、2階では衣服が販売されている[25]1986年の台風でドンバ市場は一度は崩壊したが、後に再建された[25]。ドンバ市場の前のチャンフンダオ通りには、飲食店、電化製品店、雑貨屋などの商店が軒を連ねている[26]
建築物

フエの建造物群
ベトナム

午門
英名Complex of Hue Monuments
仏名Ensemble de monuments de Hue
登録区分文化遺産
登録基準(4)
登録年1993年
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図
フエの地図を表示ベトナムの地図を表示
使用方法表示

フエの市街地と郊外には阮朝時代の皇宮、皇帝廟、仏寺および遺跡が多数残されており、その中の一部は「フエの建造物群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
旧市街

かつてフオン川北岸(左岸)の旧市街(京師)に官僚と庶民が住み、南岸(右岸)の新市街にはフランス人居住区が置かれていた[1]


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