フェンディ
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フェンディS.r.l.
Fendi S.r.l.

種類S.r.l.(有限責任会社)
本社所在地 イタリア
00187
ローマ Via del Leoncino 5
設立1925年
業種繊維製品
事業内容服飾
主要株主LVMH
外部リンク ⇒http://www.fendi.com/
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フェンディ(FENDI)は、イタリアを代表する世界的ファッションブランドである。ローマを本拠地とし、フランスLVMHグループに属する。
概要

1925年ローマにて創業。当初毛皮工房であった。1990年代に一時経営難に陥るが、プラダとLVMHの合弁会社に買収されて再建。その後、プラダが保有した全株式をLVMHが取得し、LVMHグループの一員となった。ブランドアイコンとして、縦縞の<ペカン>や<F>を組み合わせた<ダブルFズッカ>、文字盤にカラージュエリーを埋めこんだ美しい時計、<クレイジーカラット>がよく知られている。

現在では、毛皮・バッグ・靴などのレザーグッズをはじめ、服飾、サングラス、宝飾品、時計など、広い分野をカバーしている。展開商品は女性向けのものが多数であったが、2000年代後半から男性向け商品についても展開を本格化させている。

婦人服、ファー製品は<シャネル>と同じドイツ人の<カール・ラガーフェルド>(Karl Lagerfeld)、紳士服は創業家のシルヴィア・フェンディがデザインしている。

2020年9月、キム・ジョーンズがフェンディのクチュールとウィメンズウェアのアーティスティック ディレクターに就任。
略歴

フェンディは、1925年にアデーレ・フェンディとエドアルド・フェンディがローマに創業したブランドです。

1926年には、ハンドバッグ店とファーの工房からなるフェンディ ブティックの第1号店がプレビシート通りにオープンし、瞬く間に成功をおさめました。

1932年、アデーレとエドアルドは、レザー用品とファーのアトリエを新たに併設したブティックをピアーヴェ通りに開店。ローマの馬具職人から受け継いだ技巧を駆使した、ハンドメイドバッグ「セレリア」の全コレクションを発表します。「クオイオ ローマ」と呼ばれる柔らかな上質のグレインレザーに、一つひとつ手作業で孔をあけてハンドステッチを施した、フェンディを代表するユニークなバッグが誕生しました。

1933年、フェンディは風合い豊かな素材「ペルガメーナ」を発表。アイコニックなフェンディのブランドカラーは、その鮮やかなイエローが起源となっています。メゾンの文化的ルーツに深いつながりを持つ「ペルガメーナ」は、トランクやスーツケースの素材として繰り返し用いられ、時の流れとともにフェンディを代表する素材の1つとなりました。

事業の成長とともに、ファーとレザー用品の工房を拡張。1930年代から1940年代にかけて、既にイタリアの首都で名声を誇っていたフェンディは、ローマの外でも知名度の高いブランドへと成長します。

1940年代末から1950年代末にかけて、エドアルドとアデーレの5人娘(カルラ、フランカ、アンナ、パオラ、アルダ)がフェンディで働き始め、姉妹の一人ひとりが新たなエネルギーとアイディアをメゾンにもたらします。

1950年、フェンディは「Amore」(愛)と名付けた初のハイエンド ファー カプセルコレクションをローマのグランドホテルで発表。また、長いストラップのついたエレガントな初のイブニングクラッチバッグ「エックスレイ」バッグが登場しました。

1964年、躍進するフェンディ姉妹は、ローマ中心地の洗練を極めるボルゴニョーナ通りに、ファーのアトリエを併設した新たなブティックをオープン。同店舗は、その後40年以上にわたり営業を続けることになります。 

1965年にはカール・ラガーフェルドとのコラボレーションがスタート。ラガーフェルドの手により、ファッション革命がもたらされます。ファーは姿を変え、型に入れて成形され、新たにデザインされ、再解釈を経て、柔らかく軽やかでファッション性の高いアイテムへと転生。素材にも変化が訪れ、もはや過去のものとして顧みられなくなっていたレザーの数々が復活し、再び使用されるようになりました。「Fun Furs」(楽しいファー)を意味するFFロゴは、この時期にカール・ラガーフェルドがデザインしています。

1968年、フェンディのレザーアイテム コレクションが複数の米国大手百貨店の目に留まり、ブランドの世界的な成功は決定的なものとなりました。中でも、ブルーミングデールズはニューヨーク5番街のショーウィンドー全体を飾るため、コレクションの全アイテムを買い付けています。

その翌年、フィレンツェの由緒ある「ピッティ宮殿」内にある名高い「Sala Bianca」(白の間)で、フェンディ初のプレタポルテ ファーコレクションが発表され、大成功をおさめました。

これを機に、フェンディは1960年代末から長期にわたって映画界と強い結びつきを持つようになり、当時の重鎮であったルキーノ・ヴィスコンティ、フェデリコ・フェリーニ、フランコ・ゼッフィレッリ、マウロ・ボロニーニなどの映画監督とコラボレーションを実現。また、世界的なセレブリティとも強いコネクションを築き始め、シルヴァーナ・マンガーノ、ダイアナ・ロス、ソフィア・ローレン、ジャクリーン・ケネディ・オナシス、ソラヤー王妃、ライザ・ミネリ、モニカ・ヴィッティをはじめとする数多くの著名人が、重要なイベントでフェンディをまとうようになりました。映画界とフェンディの関係は、1974年に最高潮に達します。ルキーノ・ヴィスコンティの名作『Gruppo di Famiglia in un Interno』(邦題『家族の肖像』)の中でシルヴァーナ・マンガーノがまとうファーをフェンディが手掛けたのです。

時代とともにフェンディのバッグも変遷をたどり、新たなエレガンスと機能性をたたえる、革新的でスタイリッシュなデザインへと姿を変えていきます。従来のかっちりとしたハンドバッグに相対する、柔らかなアンコン仕立ての革新的なバッグが誕生しました。レザーはプリントを施され、編み込まれ、染色され、なめされて、より柔らかく魅力的に仕上げられ、フェンディの新世代バッグは新たなストーリーの幕開けを迎えます。 ファーとバッグの成功に続き、フェンディはブランドイメージをより完全なものとして演出していきます。

1977年、ファッション史上初の映画とされるジャック・ド・バシェール監督の短編映画『Histoire d'Eau』(水の物語)を媒体として、フェンディ初となるレディ・トゥ・ウェア コレクションが画期的な方法で発表されました。 同年フェンディは、メゾンにとって尽きることのないインスピレーションの源である街、ローマとの強い絆を再確認します。自らとローマの深いつながりを強く打ち出し、「I Muri e le Strade di Roma」(ローマの壁と道)と題した1977-1978年秋冬ファーコレクションを発表。ローマの文化遺産や伝統をインスピレーションに、独特のスタイル、カラー、素材で彩りました。

1982年、フェンディは、ローマ近郊のカスペーリアにある「サルトリア マッソーリ」とコラボレーションをスタート。ドレス職人のマリア・アントニエッタ・マッソーリが開業した同アトリエとの提携は、今日もなお続いています。

1983年、カール・ラガーフェルドとフェンディ姉妹は、フェンディの「ロゴでないロゴ」とされる「ペカン」モチーフを考案。ダークブラウンとブラウンの縞模様は、主張を抑えたブランドのトレードマークとして何年にもわたって使用されています。

フェンディの初期ファッションショーの1つは、映画界との強い結びつきを記念してローマの映画撮影所「チネチッタ」内にある著名な「第5スタジオ」で撮影されました。同スタジオをファッションブランドが使用したのは史上初。撮影にはリチャード・ドナー監督の映画『Ladyhawke』(邦題『レディホーク』)のセットが用いられました。

1984年、ブランドの評判が高まる中、そのコレクションはスカーフ、ネクタイ、手袋、サングラスへと拡大します。

翌1985年は、メゾンにとって重要なマイルストーンとなります。ローマ国立近代美術館がフェンディとカール・ラガーフェルドのコラボレーション20周年を祝うために、初めてその扉を開けたのです。

同年、フェンディ初のフレグランスが発表され、さらに1987年には初のフェンディ カーサ コレクションが誕生。また、フェンディはローマの街との深いつながりを再確認すべく、アイコンモチーフ「ジャーノ ビフロンテ」(双面神ヤヌス)を考案しました。頭の前後に顔を持つローマ神話の神は、前の顔で未来と革新を、後ろの顔で過去と伝統を見つめています。

1988年、フェンディはハイエンドウォッチの世界に参入。時計コレクションとともに初のメンズフレグランスを発表し、1990年のメンズウェア市場参入への布石としました。テーラーメードのような細部へのこだわりが光る、クラシックでありながらモダンなメンズウェアが1990-1991年秋冬コレクションで初めて発表され、フェンディの哲学は完成を遂げます。

世界的な成功が続く中、1988年にハロッズの26のショーウィンドーすべてを1つのファッションブランド、フェンディが飾るという史上初の快挙を達成。続く1989年には、米国初となるフェンディ ブティックをニューヨークの5番街にオープンしました。

1992年、アンナ・フェンディの娘であり、フェンディ一族の3代目となるシルヴィア・フェンディがメゾンへ入社。シルヴィアはクリエイティブディレクターであるカール・ラガーフェルドのアシスタントを務め、1994年にはアクセサリーの主任デザイナーに就任。アイコニックな「セレリア」シリーズを再解釈し、瞬く間に話題をさらいます。シルヴィアがデザインを再解釈して発表した新作の「セレリア」シリーズ、ハンドバッグ、トラベルバッグ、レザー小物は、ローマの馬具職人がすべて手作業で作り上げる「クオイオ ローマ」製の限定版シリーズでした。

1997年にはシルヴィア・フェンディの創造性が実を結び、「バゲット」バッグが誕生。同じ名を持つフランスパン(バゲット)のごとく小脇に抱えて携帯する小型バッグは、瞬く間に成功をおさめます。さまざまな珍しい素材から何千ものバリエーションが生まれ、世界各地でたちまち人気を博すとともに、あっという間にマストアイテムやコレクターズアイテムとなりました。「バゲット」バッグにより、フェンディは2000年にファッション グループ インターナショナルのアクセサリー賞を受賞しています。

新たなミレニアムは、フェンディにとって大きな飛躍の時代となります。2000年にLVMHグループがフェンディに出資し、翌2001年にフェンディの主要株主となったのです。

2005年、フェンディは自らのルーツであるローマをたたえるべく、イタリアの首都に「パラッツォ フェンディ」をオープン。街の中心地に構えた新本社はスタジオ、ファーのアトリエ、世界最大規模となるフェンディ ブティックを擁し、ブランドのクリエイティブな精神に満ちています。

2007年10月19日、中国の万里の長城を舞台にファッションショーを開催するという比類ないイベントを開き、世界の注目を集めます。

2008年からはDesign Miami/と提携し、限定版デザインに力を入れるとともに新進の若手アーティストの支援を実施。デザイン業界とのユニークなコラボレーションは現在も継続しています。

2009年、シルヴィア・フェンディが「ピーカブー」バッグを考案。2009年春夏コレクションのキャットウォークでバッグが発表されるやいなや、世界中のセレブリティやスタイリッシュな女性の間で人気を博し、アイコンアイテムとなりました。

2012年にはアイコンバッグ「バゲット」の15周年を祝い、特別ポップアップストアの出店、リッツォーリ社からの書籍出版、最も人気を博した6モデルの復刻版の発売など、多彩なプロジェクトを展開しました。

ローマの高級ファッションハウスとして、フェンディは2013年にイタリアの歴史遺産と文化財を守り、その価値を後世に伝えていくとの決意を表明。「FENDI for Fountains」と名付けたプロジェクトを通し、単独スポンサーとして「トレビの泉」の修復を行います。同プロジェクトの目的は、ローマを代表する壮麗な泉の数々を修復し、街に受け継がれている遺産を守ること。シンボリックな「トレビの泉」を皮切りに、4つの泉からなる「クワトロ フォンターネ」の修復が続きました。また、メゾンはFENDI for Fountainsプロジェクトを記念し、展覧会「The Glory Of Water」を開催するとともに同名の写真集を出版。カール・ラガーフェルドが撮影したローマの泉の写真を一堂に集めた展覧会がパリ、そしてミュンヘンで開かれました。

同年、フェンディは映画界との強い絆を称え、ミラノのマンツォーニ劇場で華やかな展覧会「Making Dreams: FENDI and the Cinema」を開催。また、ルキーノ・ヴィスコンティが1974年に監督し、シルヴァーナ・マンガーノがフェンディのユニークなファーをまとった、ブランドを象徴する映画『Gruppo di Famiglia in un Interno』(邦題:『家族の肖像』)の修復を行います。

2013年9月、同様の熱意を胸にフェンディはソラーリ通り35番にミラノ本社を設立。かつて「アルナルド・ポモドーロ財団」のあったミラノ本社ビルは、芸術および創作活動の地として多くのアーティストが集うユニークな地区に位置しています。

ファッションブランドとデザイナーのコラボレーションとして史上最長となる、フェンディとカール・ラガーフェルドのコラボレーション50周年を記念して、フェンディは史上初の「オートフリュール」ファッションショーをパリのシャンゼリゼ劇場で開催。オートクチュール界への第一歩として、ブランド初となるファーのオートクチュールを発表しました。また、フェンディはこの50周年を記念して『フェンディ by カール・ラガーフェルド』を上梓し、カール・ラガーフェルドにオマージュを捧げました。伝統、創造性、現代性をテーマにした素晴らしい物語を紡ぐ、オリジナリティあふれる書籍です。

2015年10月、「イタリア文明宮」にフェンディの新本社が落成し、展覧会「Una Nuova Roma. L’Eur e il Palazzo della Civilta Italiana」が開かれます。


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