フェンダー_(楽器メーカー)
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フェンダー・ミュージカル・インストゥルメンツ・コーポレーション
Fender Musical Instruments Corporation

種類株式会社
本社所在地 アメリカ合衆国
アリゾナ州スコッツデール
設立1945年
業種その他の製品
事業内容エレクトリックギター、ギターアンプ
代表者Andy Mooney (CEO)
売上高173,769,000ドル
総資産369,769,000ドル
従業員数2787人
主要株主サーブコ・パシフィック
主要子会社フェンダーメキシコ
KMC Music Inc.
SWR Sound Corporation
グレッチ
関係する人物レオ・フェンダー
外部リンクhttps://www.fender.com/
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フェンダー ミュージカル インストゥルメンツ コーポレーション(英語: Fender Musical Instruments Corporation、通称:フェンダー)は、アメリカ合衆国楽器メーカー。1946年創業。主にエレクトリック・ギターアンプの製造を行っている。2020年よりハワイのトヨタ自動車の販売会社Servcoグループ傘下企業になった。
概要

エレクトリックギター、エレクトリックベース、ギターアンプの製造販売を行う会社としては同じくアメリカ合衆国のギブソン社などと並んで世界でも屈指の企業として認識されている。また、ソリッドボディのエレクトリックギターを世界で初めて量産したことも知られている。本社はアメリカ合衆国アリゾナ州スコッツデールにあり、製造拠点としてカリフォルニア州コロナ工場、メキシコ合衆国バハ・カリフォルニア州エンセナーダ工場がある。カスタムショップの所在地や上位機種の製造はコロナ工場で行っており、その他、スクワイアやアーティストシグニチャーといった廉価版楽器の製造下請け会社としてサミックやサンハン、コルト、ダイナ楽器などが請け負っている。旧社名はFender Electric Instrument Manufacturing Company。なおフェンダー・アンプに関しては独立して別稿を設けているため、そちらを参照。
歴史フェンダーが試作したラップ・スティールギターのスケッチ(1944年)

前身は1938年レオ・フェンダーカリフォルニア州フラートンで創業した「フェンダー・ラジオ・サービス(Fender's Radio Service)」で、ラジオ受信機音響機器の修理を行っていた。1945年にレオはドク・カウフマンと共に「K&Fマニュファクチュアリング」を設立。スティール・ギターとアンプの製造を開始する。しかし1946年、カウマンとの共同経営は解消、1947年社名をフェンダー・エレクトリック・インストゥルメント・カンパニーに改名する。

エレクトリックギターは1920年代後半から数多くの製造業者によって作られていたが、それらの多くは胴体の部分が中空のホロウ・ボディと呼ばれる構造であった。また、ソリッド・ボディ(胴体部が中空でない構造)であってもリッケンバッカー社のハワイアン・ギターのように特殊な奏法向けであったり、ポール・ビグスビー製作の通称「ビグスビーギター」のようにオーダーメイドであったりしたため量産型のソリッドボディのエレクトリックギターは存在しなかった。ミュージシャン、発明家のレス・ポールもソリッドボディのギターの開発を進めていたがギブソン社からレスポールモデルが発売されたのは1952年からである。

フェンダーは1948年頃にソリッド・ボディのエレクトリックギターの試作品を完成させ、1949年エスクワイヤーとして発表。1950年にはブロードキャスターを発表、1951年テレキャスターに改称、その理由はグレッチ社のドラムに同音の商標(綴りは「Broadkaster」)のモデルが存在したからである。対応を迫られたフェンダー社は極短期間だがヘッドのデカールのモデル名を切り取って販売を続けた。これは通称「ノーキャスター」と呼ばれる。実質的にはテレキャスターが世界初の量産型のソリッドボディ仕様のエレクトリックギターと言える。同年世界初のエレクトリックベースであるプレシジョンベースを発表。フレットを採用し正確な音程を得ることができるプレシジョンベースは当時革命的であった。1954年にはストラトキャスターを発表。その後も1958年ジャズマスター1960年にはジャズベース1962年に当時の最高級機種であるジャガーを発表するなど、現在も多くのミュージシャンに愛用されている名器を生み出した。

フェンダーのギターやベースの特徴としてソリッドボディの量産以外にボルトオンによるデタッチャブル・ネック方式が挙げられる。従来のセットネック方式(膠での接着)に比べ格段に修理などが容易になり、この方式は現在多くのギターメーカーで採用されている。

エレクトリックギター産業の先駆者として多くの楽器を発表したフェンダーだが、1965年CBS社に売却され法人としての「フェンダー社」は無くなる。また、同年V.C Squier社を買収する。同時にレオは経営者から技術顧問として同社に残るものの、僅か数年で退社している。健康上の理由と新たに開発した技術を新体制のフェンダー社が積極的に採用しなかったためとも言われている。その後は楽器業界の低迷による売り上げの低下による業績不振、さらにフェンダー社製品の品質低下に加え、廉価なコピーモデルの横溢によって自社の市場が脅かされるなど企業として弱体化が進む事態を迎え、1980年代初め頃にはストラトキャスターなど看板商品が一時生産を終了するにまで至った。1982年日本での販売拠点として、フェンダーとフジゲンを筆頭株主とし、山野楽器や神田商会などが出資した株式会社フェンダージャパンを設立する。1985年、CBS社の楽器部門の撤退により、ヤマハなどに在籍していたビル・シュルツを最高経営責任者に迎えてフェンダー社が再興される。同年に製造拠点を失っていたため、フジゲンの技術支援のもとコロナ工場を建設。1987年に新たな工場拠点としてフェンダーとフジゲンでそれぞれ4800万円を共同出資し、メキシコ法人のフェンダーメキシコを設立する。同年にオーダーメイド部門のフェンダー・カスタム・ショップを設立した。1997年にバブル崩壊後、多大な負債を抱えていたフジゲンがフェンダージャパンとフェンダーメキシコの株式を売却し、フェンダージャパンは吸収合併され消滅、フェンダーメキシコは完全子会社となる。

2012年に、新規株式公開(IPO)を申請。同社は2.4億ドルの長期負債を抱えており、IPOで調達した資金は負債の返済に充てると見られている。IPO申請時の株式保有率は、米ウエストン・プレシディオが42.92%、山野楽器が14.28%、神田商会が12.85%となっている。その後の同年12月、ハワイの自動車販売を主をするサーブコ・パシフィックが米投資会社TDP Growth共同でウエストン・プレシディオの株式を取得し経営権を得た。

2015年3月20日、山野楽器との販売代理店契約を終了し、フェンダーが日本に現地法人を立ち上げることを発表した。4月1日より新たに立ち上げられたフェンダーミュージックジャパン株式会社が業務を引き継ぐ。

2020年1月、TDP Growth所有の株式をサーブコ・パシフィックが取得した事により株式の過半数の得て、経営権を掌握したことがプレスリリースされた。[1]

2023年6月30日、世界初となる旗艦店「FENDER FLAGSHIP TOKYO」(読み:フェンダー フラッグシップ トウキョウ)を東京・原宿の商業ビル「THE ICE CUBES」にオープンした。店内は地下一階、地上三階の構成になっており、地下一階には、アコースティック・ギターやウクレレの展示、イベント・スペースや米・カリフォルニアのブランド「ヴァーヴ・コーヒー・ロースターズ(英語版)」とのコラボカフェ「FENDER CAFE powered by VERVE COFFEE ROASTERS」を設営。地上一階には新製品やアーティストのシグネチャ・モデル、FENDER FLAGSHIP TOKYO限定モデルと限定グッズ、フェンダーのアパレル・ブランド「F IS FOR FENDER」の商品を展示。地上二階にはフェンダーUSAやフェンダー・ジャパンのアンプを展示。また試奏用の防音ルームを完備。地上三階はフェンダー・カスタム・ショップ専用フロアで、アメリカから取り寄せた素材でオーダーメイド・ギターが製作できる「ドリームファクトリールーム」が設置されている。店内の内装設計は建築家ユニット「KDa」が手掛けている[2]
フェンダー・カスタムショップ

フェンダー・カスタム・ショップはカリフォルニア州のコロナ工場の一角に構え、顧客からギター/ベースのカスタムオーダーを受注し製作する部署である。レオ・フェンダーが去った後、楽器制作に精通したスタッフが乏しく技術力が低下していたため、1987年にフジゲンから杉本眞(現Sugi Guitars)らの技術指導チームを招き、ハイエンドを製造する前身の部署が設立された。


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