フェルナンド・バレンズエラ
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フェルナンド・バレンズエラ
Fernando Valenzuelaロサンゼルス・ドジャースでのバレンズエラ (1981年)
基本情報
国籍 メキシコ
出身地ソノラ州エッチョワキーラ
生年月日 (1960-11-01) 1960年11月1日(63歳)
身長
体重5' 11" =約180.3 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
初出場MLB / 1980年9月15日
最終出場MLB / 1997年7月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ロサンゼルス・ドジャース (1980 - 1990)

カリフォルニア・エンゼルス (1991)

ボルチモア・オリオールズ (1993)

フィラデルフィア・フィリーズ (1994)

サンディエゴ・パドレス (1995 - 1997)

セントルイス・カージナルス (1997)

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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

フェルナンド・バレンズエラ・アングアメア(Fernando Valenzuela Anguamea、1960年11月1日 - )は、メキシコ合衆国ソノラ州ナボホア出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

1980年代(1980年 - 1989年)の10年間で128勝をあげた。この記録はMLB全体でジャック・モリス(当時タイガース)の162勝、デーブ・スティーブ(当時ブルージェイズ)の140勝に次ぎ第3位だが、左腕投手としては第1位である。
経歴
現役時代

メキシコの農場を経営する一家の12人兄弟の末子として生まれる。生年月日は公式には1960年11月1日とされているが、1955年生まれともいわれる。リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルで投げている時にメジャーのスカウトから注目され、1979年ロサンゼルス・ドジャースと契約。しばらくマイナーリーグで過ごし、1980年9月15日にメジャーデビュー。1年目はリリーフで10試合に投げ2勝1セーブを挙げる。メジャーデビュー当時は「Food」、「Drink」、「Beer」しか英単語を知らない状態であった。

1981年、4月9日の開幕戦で登板予定だったジェリー・ロイスが怪我で回避となり、急遽開幕投手を務めるとヒューストン・アストロズ相手に5安打完封勝利を収め、そのまま先発ローテーション入りし、スクリューボールを武器に新人としてはMLB最長となる開幕8連勝を記録。オールスターにも出場し、新人ながらナショナルリーグの先発を務めた。その年は13勝7敗、防御率2.48で、新人王サイ・ヤング賞を史上初めてダブル受賞した。チームもワールドシリーズに進出し、ニューヨーク・ヤンキースを破りワールドシリーズ優勝を果たした。彼も第3戦で完投勝利を挙げ、勝利に貢献した。以降はオーレル・ハーシュハイザーとWエースを形成することになる。

1986年には21勝11敗で最多勝のタイトルを獲得。同年のオールスターでは、1934年カール・ハッベルニューヨーク・ジャイアンツ)以来の5者連続奪三振を記録した。1983年には史上初の100万ドルプレーヤーとなった。1990年6月29日セントルイス・カージナルス戦でノーヒットノーランを達成。彼の熱狂的なファンは『フェルナンド・マニア』と呼ばれた。

チームが7年ぶりにワールドシリーズを制した1988年以後は故障がちとなり、1991年のスプリング・トレーニング中にドジャースを解雇され、以降はジャーニーマンに落ち着く。カリフォルニア・エンゼルスに移籍するが、ここでも結果を残せず、シーズン途中に解雇され、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルに復帰。投手の他、登板しない試合では一塁を守り、1993年ボルチモア・オリオールズでメジャーに復帰。その後、フィラデルフィア・フィリーズを経て、サンディエゴ・パドレス在籍時の1996年には13勝を挙げ、ドジャースを追われて以降初の二桁勝利を挙げた。翌1997年途中にセントルイス・カージナルスに移籍し、メジャーでは同年が最後となった。その後もメキシコウィンターリーグ(リーガ・メヒカーナ・デル・パシフィコ)で投げ、正式に野球選手としての現役引退を表明したのは2006年12月だった。
現役引退後

2003年より古巣・ドジャースのスペイン語中継の解説者の一人として活動している[1]2007年

2006年第1回ワールド・ベースボール・クラシックメキシコ代表のコーチを務めた。

2017年リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルキンタナロー・タイガースを他の投資家とともに買収した[2]



人物バレンズエラのドジャース在籍時の背番号「34」。
ロサンゼルス・ドジャースの永久欠番2023年指定。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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