この項目では、キューバのバレーボール選手について説明しています。その他の用法については「フェルナンド・ヘルナンデス」をご覧ください。
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はエルナンデス、第二姓(母方の姓)はラモスです。
フェルナンド・エルナンデス・ラモス
Fernando Hernandez Ramos
No.18
基本情報
国籍 キューバ
生年月日 (1989-09-11) 1989年9月11日(28歳)
出身地ハバナ州ハバナ
ラテン文字Fernando Hernandez Ramos
身長196cm
体重85kg
選手情報
所属 パラボロ・モルフェッタ
獲得メダル
フェルナンド・エルナンデス・ラモス(Fernando Hernandez Ramos、1989年9月11日 - )は、キューバの男子バレーボール選手。ハバナ出身。ポジションはオポジット。セリエA1のパラボロ・モルフェッタ(Pallavolo Molfetta)所属。 バレーボール選手だった父の影響を受けて8歳からバレーボールを始める[1][2]。11歳でEIDE(体育教育学校)に入学。15歳になるときに、セロ・ペラド(EIDEより一段上の体育学校)に入学した[2]。 16歳の時にユース代表に選ばれ、2006年北中米ユース選手権で銅メダルを獲得し、2007年世界ユース選手権に出場。2009年世界ジュニア選手権では銀メダルを獲得。同年、シニア代表デビューを果たし、ワールドグランドチャンピオンズカップで銀メダルを獲得。2010年世界選手権で銀メダルに輝いた。2011年ワールドカップではベストスコアラーに輝いた。このような実績を残しながらも、国外のリーグでプレーすることを目的に、2012年ワールドリーグを最後に22歳で代表を引退した[注釈 1][2]。 2013年にプレーの場を日本に移し、ジェイテクトSTINGSに入団する。しかし、キューババレーボール協会の規定により代表を引退してから2年間は海外リーグでプレー出来ないというルールがあり、2013/14V・プレミアリーグには出場出来ず、2013-14シーズンは天皇杯と黒鷲旗のみの出場を余儀なくされた[3]。しかし、平成25年度天皇杯では世界レベルのスパイクとサーブでV・プレミアリーグ昇格を果たしたばかりのチームを準優勝に導いた[2]。2014年、2014/15V・プレミアリーグには選手登録され、ようやくV・プレミアリーグにも出場可能となった[2]。シーズン中に脇腹を負傷し、出場が危ぶまれる状態になりながらも、「自分が入るとチームが元気づくから、チームのためにコートに立ちたい。」と話し、脇腹の激しい痛みを抱えながらも強行出場し続けて活躍し[3]、チームのファイナル6進出と最終成績5位に貢献した。 強烈なスパイクやサーブでチームに貢献し、抜群なパワーで際どいコースを正確に打ち抜く。相手ブロックの指を狙ってスパイクを打つのが巧い[3]。
目次
1 来歴
2 プレースタイル
3 人物・エピソード
4 所属チーム
5 球歴・受賞歴
6 注釈
7 出典
8 外部リンク
来歴
プレースタイル
人物・エピソード
子どもの頃から本当はサッカーがしたくて、今でも一番好きなスポーツはサッカーだと話している[2]。
海外でのプレーを選択したため2012に代表引退を余儀なくされたが、いつかはまた代表に戻ってプレーしたいと話している[注釈 1][2]。
初めての海外移籍先として日本を選んだのは、ディフェンス面を強化することと、速いバレーを経験することが目的だと話している[2]。
試合中に感情を表に出し、良いプレーをした選手にはハグするなど喜びの感情をそのまま出すが、味方選手のプレーに不満があるときも激しい口調でそのまま口に出す。ジェイテクトでは、最初はチームメイトに戸惑われ、「もう少しマイルドに言えないか」と注文を出されたが、「感情を全て出してチームを締めるのが俺の仕事だ」と折れなかった。試合外ではチームメイトから親しまれているのもあり、結局はチームメイトにその考え方が理解されていった。また、そのような強いプロ意識はチームメイトから認められていた[3]。
所属チーム
ハバナ
ジェイテクトSTINGS(2013年 - 2015年)
パラボロ・モルフェッタ
球歴・受賞歴