フェルデン郡
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:ニーダーザクセン州
郡庁所在地:フェルデン (アラー)
面積:787.7 km2
人口:

136,590人(2017年12月31日現在)[1]
人口密度:173 人/km2
ナンバープレート:VER
自治体コード:03 3 61
郡の構成:11 市町村
郡庁舎の住所:Lindhooper Strase 67
27283 Verden (Aller)
ウェブサイト: ⇒www.landkreis-verden.de
郡長:ペーター・ボールマン (Peter Bohlmann)
州内の位置

フェルデン郡 (Landkreis Verden) は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州に属す郡で、同州の中央、ブレーメン周辺南東に位置する。隣接する郡および市は、西がディープホルツ郡とブレーメンブレーメン州)、北がオスターホルツ郡、北東がローテンブルク(ヴュンメ)郡、東がハイデクライス郡、南がニーンブルク/ヴェーザー郡である。郡庁所在地はフェルデン (アラー)、最大の都市はブレーメンに隣接するアヒムである。
目次

1 地理

2 歴史

3 行政

3.1 紋章

3.2 地域連盟


4 文化と見所

4.1 ユダヤ人墓地

4.2 城館

4.3 フィッシャーフーデ

4.4 宗教


5 経済と社会資本

5.1 主な雇用主

5.2 構造的経済政策

5.3 観光業

5.4 交通

5.4.1 鉄道

5.4.1.1 郡域の鉄道史


5.4.2 道路

5.4.3 内陸水路

5.4.4 航空路


5.5 教育


6 市町村

7 参考文献

8 引用

9 外部リンク

地理

フェルデン郡はニーダーザクセン州の中央に位置し、同州の典型的な地理上の特色を示す地域に属す。地理上あるいは自然環境上、郡域の大部分がヴェーザー川中流域に属し、そのため幅広い河原を持つ、わずかに波打つ平野となっている。郡域の地形は主にアラー川とヴェーザー川によって形成されたものである。郡の周辺部はそれとは異なった地形空間である。最も北のオッタースベルクはヴュンメ湿地に位置する。また、郡の南東に位置するキルヒリンテルンはアラー川の氷河谷およびリンテルナー・ゲーストに位置しており、後者はリューネベルガー・ハイデに連なっている。
歴史

中世および近世初期には、郡域はフェルデン公領およびブレーメン公領に属した。三十年戦争後、この地域はシュターデを首都とするスウェーデンのブレーメン=フェルデン領の一部となった。1714年にスウェーデンはこの地域をデンマークに奪取された。この地域は、そのわずか1年後にブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯(1814年からはハノーファー王国となる)に売却された。何度も行政組織の変更がなされた後、1852年および1859年にフェルデン管区 (Amt) とアヒム管区が設けられた。これらは1867年にその一部がフェルデン市と統合された。1866年普墺戦争後すぐにハノーファー王国はプロイセンに併合され、1946年までプロイセンのハノーファー州となった。フェルデンとアヒムの両郡は1885年に再び新設された。1932年に両郡はフェルデン郡として統合された。このフェルデン郡は1939年にヘーメリンゲンとマーンドルフをブレーメンに譲渡しなければならなかった。第三帝国時代、現在の郡域内にはバルメ(現在はデルフェルデン内)のアイビア弾薬製造所をはじめ、様々な強制労働施設があった。帝国内のどこでもがそうであったように、ユダヤ系住民は迫害され、追放され、殺害された。そしてシナゴーグは破壊された。第二次世界大戦中は特に郡内を通る鉄道路線を巡って退却するドイツ国防軍と進軍してくるイギリス軍との間で激しい戦闘が行われた。戦後、プロイセンのハノーファー州はドイツのハノーファー州、さらに最終的にはニーダーザクセン州を形成することとなり、フェルデン郡もこれに従った。1972年7月1日、それまでブラウンシュヴァイク郡に属す飛び地であったテディングハウゼンとファリングボステル郡に属していたヒュルゼン(現在はデルフェルデン内)が合併した。これにより現在の郡域となった。フェルデン郡は1955年から1993年まで東プロイセンの旧プロイシシュ・アイラウ郡に対する援助協力関係を結んでいた。この関係は現在、ロシアバグラティオノフスクおよびポーランドの en:Gorowo I?aweckieとの姉妹関係に発展している。
行政

この郡は1932年に旧アヒム郡と旧フェルデン郡が合併したものである。その大部分は歴史的にはフェルデン公領とブレーメン公領からなる。1939年にヘーメリンゲン、アルベルゲン、マーンドルフがブレーメンの管理下となった。1970年代にヒュルゼンと現在のザムトゲマインデ・テディングハウゼンが合併した。

行政上、2005年まで行政官庁を統轄するオーバークライスディレクターと郡議会の業務を代表する名誉郡長による2トップ体制で運営されていた。最後のオーバークライスディレクターはヴェルン・ヤーン、名誉郡長はハンス=ユルゲン・ヴェヒターであった[2]。行政改革によって各市町村が一頭体制になった後、2005年から郡行政も一頭体制となり、トップは「官庁を主管する郡長」と呼ばれることとなった。この改革はニーダーザクセン州の自治体中最後のものであった。

郡議会の2011年時点の政党別議席数は以下の通りである:

SPDCDUDie GrunenFDPDie Linke/NOLNPDWGA-LV無所属Landrat計
2011年[3]1918911101151
2006年[4]2019531110151

紋章

図柄: 青地で中央を左右に貫く金の波帯。その上部は跳ねる銀の馬。下部は盾の下端から伸びる3本の金の穂で、両側の穂にはそれぞれ1枚の葉がついている。

この紋章の主役は、ニーダーザクセン州の紋章にも描かれている(「ザクセンロス」、すなわち「ザクセンの馬」)で、この地域が馬の産地として重要であったことを示している。金の穂は農業との結びつきを、金の帯は川(ヴェーザー川アラー川)を示している。青の背景色も川の水を表現している。
地域連盟

文化財の保護を目的にシュターデ地域連盟が組織されている。
文化と見所
ユダヤ人墓地

フェルデン郡には、アヒム、オッターシュテット、フェルデンの3つのユダヤ人墓地がある[5]。これらの墓地は保護記念文化財である。これらは、かつてここにユダヤ人コミュニティが存在し、1930年代まで活発なユダヤ人生活が営まれていたことを示す石造りの証左である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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