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フェルディナン・ド・ソシュール
Ferdinand de Saussureフェルディナン・ド・ソシュール 1857?1913
生誕 (1857-11-26) 1857年11月26日
スイス・ジュネーヴ
死没 (1913-02-22) 1913年2月22日(55歳没)
スイス・ヴォー州
時代19世紀の哲学
20世紀の哲学
地域西洋哲学
学派構造主義
記号学
研究分野言語哲学
言語学
記号学
主な概念シニフィアンとシニフィエ
ラングとパロール
通時言語学と共時言語学
喉音理論
影響を受けた人物
エミール・デュルケーム
アウグスト・レスキーン
ハインリヒ・ジマー
ヘルマン・オルデンベルクなど
影響を与えた人物
ロラン・バルト
クロード・レヴィ=ストロース
ジャック・ラカン
ルイ・アルチュセール
ミシェル・フーコー
ジャック・デリダ
エルネスト・ラクラウ
レナード・ブルームフィールド
アントワーヌ・メイエ
エミール・バンヴェニスト
ロイ・ハリス(言語学者)
フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure、1857年11月26日 - 1913年2月22日[1])は、スイスの言語学者、記号学者、哲学者。「近代言語学の父」[注釈 1]といわれている。 記号論を基礎付け、後の構造主義思想[注釈 2]に影響を与えた。言語学者のルイス・イェルムスレウ、ロマーン・ヤーコブソンのほか、クロード・レヴィ=ストロース、モーリス・メルロー=ポンティ、ロラン・バルト、ジャック・ラカン、ジャン・ボードリヤール、ジュリア・クリステヴァ、ノーム・チョムスキーなど多くの思想家が、その影響を受けている。 スイスのジュネーブの名門であったソシュール家は、フェルディナン以前にも優れた学者を輩出してきた。ソシュール家はフランスロレーヌ地方のソシュール村にいたモンジャン・シュエル(1469-1543)に遡ることができる[注釈 3]。モンジャンの息子アントワーヌ(1514-1569)は新教に改宗しユグノーとなったが、宗教改革期の混乱に揉まれ、ローザンヌへ移住した。アントワーヌの曽孫エリ(1602-1662)がジュネーブにソシュール家を開いた[3]。 ソシュール家の学問的伝統は、ニコラ・ド・ソシュール(1709-1791)以来のものである。ニコラは農学者であり、百科全書の執筆にも携わっている。ニコラの息子オラス=ベネディクト(1740-1799)はソシュールの曽祖父にあたり、1787年のモンブランの初登頂で有名なほか、自然科学を始めとして様々な研究を行った[4]。22歳でジュネーブアカデミーの教授となるなど、当時のスイスにおいてルソーと肩を並べる知識人であったと言われる[5]。有機化学者・植物生理学者のニコラ・テオドール(1767-1845)はオラス・ベネディクトの息子である。 フェルディナンの父アンリ(1829-1905)はニコラ・テオドールの甥か息子にあたり、優れた昆虫学者であった。母ルイーズはジュネーブの伯爵の娘で、音楽家であった[6]。1857年11月26日、この2人の間にフェルディナンが生まれた。メイエはその家庭環境を「最高の知的教養が長い間伝統となっている」もの、と評している[5]。 ソシュールは幼くもドイツ語、英語、ラテン語、ギリシア語を習得した[7]。
人物
生涯
ソシュール家
学生時代
少年時代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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