フェルッチョ・タリアヴィーニ
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Ferruccio Tagliavini
フェルッチョ・タリアヴィーニ

基本情報
生誕 (1913-08-14) 1913年8月14日
出身地 イタリア レッジョ・エミリア
死没 (1995-01-28) 1995年1月28日(81歳没)
イタリア レッジョ・エミリア
学歴パルマ音楽院
ジャンルクラシック音楽
職業声楽家テノール
オペラ歌手
著名使用楽器
声楽
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽

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フェルッチョ・タリアヴィーニ(イタリア語:Ferruccio Tagliavini、1913年8月14日 - 1995年1月28日[1]は、イタリア声楽家テノール)、オペラ歌手、俳優。主に1940年代と1950年代に活躍した。暖かく柔らかな声と説得力のあるフレージングを持つ、典型的に優雅なテノールで、ティート・スキーパベニャミーノ・ジーリの後を継ぎ、20世紀で最も人気のある、「甘美」とお墨付きされたトリオを成した。タリアビーニという表記もみられる。
経歴
若年期

レッジョ・エミリア郊外にあるヴィラ・カヴァッツォーリの生まれ。子供の頃、家族と一緒にバルコ(イタリア語版)に移り住み、歌が好きになり、職業訓練校に通った後、ヴァイオリンを習い始め、教会の聖歌隊で歌い、「小さなカルーソー」というニックネームで呼ばれるようになった。両親は彼に歌のレッスンを受けるように勧めた。彼は電気工学機械工学に惹かれていたが、父親の説得により、レッジョ・エミリアの「アキレ・ペリ」学院に入学し、1931年に指揮者のピエトロ・メローニから初めて歌のレッスンを受けた。1935年、第二次エチオピア戦争が勃発すると、志願してイタリア領東アフリカに出発し、1年間滞在した。
歌手としての経歴

24歳のとき、パルマの歌のコンクールに参加し、奨学金を得てアッリーゴ・ボーイト音楽院(パルマ音楽院)[2]に入学し、イターロ・ブランクッチ(英語版)[3]の指導を受けた。1938年には全国ドーポラヴォーロ事業団主催の「Concorso Nazionale di Canto Lirico」(全国叙情歌コンクール)で優勝し、フィレンツェコムナーレ劇場(フィレンツェ市立劇場)の専門コースに入所することができた。フィレンツェでの指揮者のマリオ・ラブロカの支援と助言、テノールのアメデオ・バッシ[3]の指導は彼にとって貴重なものとなった。1938年にフィレンツェ五月音楽祭のベルカント・コンクールで第1位を獲得し[4]、同年10月27日にフィレンツェでジャコモ・プッチーニラ・ボエーム』のロドルフォ役でデビューを飾り、大成功を収めた。同年にはマルティーニ&ロッシのコンサートでラジオデビューも果たしている。1942年1月29日にミラノスカラ座で、ジャンナ・ペデルツィーニ(英語版)、ジーノ・ベーキ、タンクレディ・パセロ(英語版)と共演したロッシーニセビリアの理髪師』で重要なデビューを果たした。1943年から1945年の間には、イタリア戦線においてアメリカとイギリスの連合軍のために数多くのコンサートで歌った。

1946年6月11日、ブエノスアイレステアトロ・コロンに、妻のピア・タシナーリを伴ってプッチーニトスカ』でデビューした。1947年1月10日にはプッチーニ『ラ・ボエーム』でニューヨークメトロポリタン歌劇場にデビューし、1954年まで定期的に公演を行った。1950年9月13日には、ロンドンロイヤル・オペラ・ハウスで同オペラに出演し、1951年7月1日にはパリ・オペラ座にヴェルディ仮面舞踏会』でデビューした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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