フェリックス・ヴァロットン
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フェリックス・ヴァロットン
Felix Vallotton

『自画像 Mon Portrait 』(1897年)油彩、カンヴァス/私蔵
本名Felix Vallotton
誕生日 (1865-12-28) 1865年12月28日
出生地ローザンヌ
死没年1925年12月29日(1925-12-29)(60歳)
死没地パリ
国籍 スイス
芸術分野油彩/木版画/グラフィック・アート
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フェリックス・ヴァロットン(Felix Edouard Vallotton, 1865年12月28日 - 1925年12月29日)は、スイス画家、グラフィック・アーティスト、現代木版画発展期の重要な人物。
経歴

ヴァロットンはローザンヌの保守的な中流の家庭に生まれた。ローザンヌ・カントナル大学に進み、1882年、古典研究の単位を取得。同年、アカデミー・ジュリアンジュール・ジョゼフ・ルフェーブルギュスターヴ・ブーランジェの下で学ぶため、パリに移った。ルーヴル美術館に入り浸って、ホルバインデューラーアングルに魅せられた。これらの画家たちは、ヴァロットンの一生涯の手本ともなった。ヴァロットンの初期の絵は、たとえばアングル風の『Portrait de Mr Ursenbach(ウルゼンバッハ氏の肖像)』(1885年)がそうだが、アカデミックな伝統にしっかりと根付いている。1886年には『Autoportrait(自画像)』がサロンから名誉賞を与えられた。

続く10年間、ヴァロットンは絵を描き、美術批評を書き、多数の木版画を作った。彼の最初の木版画は1891年ポール・ヴェルレーヌの肖像。1890年代に作った多くの木版画は新聞や本に載って、ヨーロッパのみならずアメリカまで、広く普及し、版画を革新したとまで言われている[1]。ヴァロットンは芸術表現としての木版画をリヴァイヴァルさせ、そのリーダーとしての評価を得た。それまでの西洋の版画印刷(木口木版)は、素描画、彩画、後には写真の絵柄の再生産に、何の独創性もないまま、長く利用されてきたのだった。

ヴァロットンの飾り気のない木版画のスタイルは、むらのない黒の大きなかたまりと階調のない白の面画が特徴的である。輪郭とフラットなパターンを重要視する一方で、グラデーションや、ハッチング(陰影線)による伝統的な立体感表現をほとんど使わなかった。ポスト印象派象徴主義、そして日本の版画の影響があったことは明らかである。浮世絵の大々的な展覧会がエコール・デ・ボザールで開かれたのは1890年のことで、ジャポニスムのファンである当時の多くの芸術家と同様に、ヴァロットンも浮世絵をコレクションしていた[2]。彼は街の群衆や街頭デモの風景(警察がアナキストに突入する場面もある)、入浴する女性、頭肖像、その他、彼が嘲笑的なユーモアで扱った主題などを描写した。ヴァロットンのグラフィック・アートは、1898年にルヴュ・ブランシュから出版された、10枚からなる『Intimites(親交)』シリーズで頂点に達した。それらには男と女が緊張感を持って描かれている[3]。ヴァロットンの版画はムンクビアズリーキルヒナーのグラフィック・アートの少なからぬ影響があるとも言われている[4]。彼の最後の木版画は1915年の『C'est la guerre(これが戦争だ)』シリーズだった。

ヴァロットンは1892年の時点で既にナビ派に参加していた。若い美術家たちのグループで、メンバーのピエール・ボナールケル・グザヴィエ・ルーセルモーリス・ドニエドゥアール・ヴュイヤールらは、彼の生涯の友となった。1890年代、ヴァロットンがアヴァンギャルドと密接な関係を持っていた時、彼の彩画はフラットな色面、ハード・エッジ、ディテールの簡素化など、木版画のスタイルを反映していた。風俗画、肖像画、裸体像などを主題にした。ヴァロットンのナビ・スタイルの例としては、意図的に下手に描いた『夏の夕べの水浴』(1892年 - 1893年。チューリヒ美術館所蔵)や象徴主義的な『月の光』(1895年。オルセー美術館所蔵)がある。

1899年頃は、木版画の仕事は減っていた。彩画と、当時の主流に関係なく、まじめな、時には辛辣な写実主義の開発に専念していたからである。彼の『ガートルード・スタインの肖像』(1907年)は、前年にピカソが描いた肖像画への返答として描かれたことは明らかである。ところで、ガートルード・スタインは後に『アリス・B・トクラスの自伝』(1933年)(アリス・B・トクラスはスタインの終生の恋人)という本を書いたが、そこで用いた非常に整然とした方法は、ヴァロットンの、あたかもカンヴァスにカーテンを降ろすように上から下に向かって描く方法と同じものだった。

ポスト=ナビ期のヴァロットンの絵はファンを獲得、その誠実さ、その技術的クオリティは尊敬を受けたものの、スタイルの地味さはたびたび批判の対象となった[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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