フェリックス・ユスポフ
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フェリックス・ユスポフ
Фе?ликс Юсупов
ユスポフ家
(英語版)
1914年

出生1887年3月23日
ロシア帝国 サンクトペテルブルク
死去 (1967-09-27) 1967年9月27日(80歳没)
フランス パリ
埋葬 フランス サント=ジュヌヴィエーヴ=デ=ボワ
サント=ジュヌヴィエーヴ=デ=ボワ・ロシア人墓地(英語版)
配偶者イリナ・アレクサンドロヴナ
子女イリナ
父親フェリクス・ニコラエヴィチ・スマローコフ=エルストン
母親ジナイダ・ユスポヴァ
宗教ロシア正教会
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フェリックス・フェリクソヴィッチ・ユスポフ公(ロシア語: Фе?ликс Фе?ликсович Юсу?пов, ラテン文字転写: Felix Feliksovich Youssoupov, 1887年3月23日 - 1967年9月27日)は、ロシア帝国の貴族。

ロマノフ朝に仕えたグリゴリー・ラスプーチンを殺害したことで知られる。
生涯
青年期ユスポフ一家(左からフェリックス、兄ニコライ、父フェリックス、母ジナイダ)

1887年にサンクトペテルブルクモイカ宮殿で生まれる。生家のユスポフ家(英語版)はモンゴル帝国ジョチ・ウルス重臣マンギト部に出自する14世紀タタールの雄エディゲ後裔ユスプ(ヨセフのアラビア語形ユースフに由来)を家祖とするロシア屈指の名門。サンクトペテルブルクに4つの宮殿、モスクワに3つの宮殿、クルスクヴォロネジポルタヴァカスピ海に合わせて37の鉱山・工場・油田を所有しており、ロマノフ家よりも金持ちだったと言われている[1]

ユスポフは女装の趣味があったとされ、自伝によると12歳の時には既に母ジナイダ・ユスポヴァの衣服を着て女装し、女性ジプシー歌手グループと交流していたという[2]。フェリックスには兄ニコライがいたが、1908年6月22日に浮気相手の夫との決闘で死去したためユスポフ家を継ぐことになった[3]。翌1909年から1913年にかけてオックスフォード大学に留学して美術を学び、同時に同大学内にオックスフォード大学ロシア協会(英語版)を設立した[4][5]。留学中はオックスフォードのキング・エドワード・ストリート(英語版)14番街地のアパートに住み、料理人、運転手、ボーイ、家政婦を雇い頻繁にパーティーを開いていた。アパートでは3羽のコンゴウインコと「パンチ」と名付けられたブルドッグを飼っていた[4]。また、美術商アルバート・ストップフォード(英語版)や後にイギリス秘密情報部工作員となるオズワルド・レイナー(英語版)と交流し、ハムステッドに住んでいたバレリーナのアンナ・パヴロワとも数回会っている。
第一次世界大戦ユスポフ夫妻


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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