フェリックス・ヘルナンデス
Felix Hernandez現役時代
(2011年5月11日)
基本情報
国籍 ベネズエラ
アメリカ合衆国[1]
(二重国籍)
出身地 ベネズエラ
カラボボ州バレンシア
生年月日 (1986-04-08) 1986年4月8日(38歳)
身長
体重6' 3" =約190.5 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2002年 アマチュアFA
初出場2005年8月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
シアトル・マリナーズ (2005 - 2019)
国際大会
代表チーム ベネズエラ
WBC2009年、2017年
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フェリックス・エイブラハム・ヘルナンデス・ガルシア(Felix Abraham Hernandez Garcia,[注 1] 1986年4月8日 - )は、ベネズエラのカラボボ州バレンシア出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。愛称は「キング・フェリックス」。ベースボール・ユナイテッドのドバイ・ウルブズの名誉GMを務める[4]。 14歳の時点で既に速球は145km/hを記録し、契約解禁年齢の16歳の誕生日までにシアトル・マリナーズ、アトランタ・ブレーブス、ニューヨーク・ヤンキース、ヒューストン・アストロズなどが獲得に乗り出した[5]。最終的に大ファンであるフレディ・ガルシアがエースとして活躍していたマリナーズを選択し[5]、2002年7月に契約。そのころから「将来のエース」、「10年に1人の逸材」と言われ続けた[6]。2003年にA級ウィスコンシン・ティンバーラトラーズ、2004年にA+級インランド・エンパイア・シックスティシクサーズ
経歴
プロ入りとマリナーズ時代
2005年8月4日のデトロイト・タイガース戦にて、19歳でメジャーデビューを果たす。初先発初勝利はならなかったものの、8月9日のミネソタ・ツインズ戦で2度目の先発登板で初勝利。同年は12試合に先発登板し4勝4敗・防御率2.67を記録した。
2006年6月11日に初完投、8月28日に初完封を記録(共にロサンゼルス・エンゼルス戦)。開幕から25試合目までに56の四球を与え、課題の制球難が顕著に現れたが、最後の6試合にはその数は4に抑えるなど、成長を見せた。首脳陣は肘や肩の故障を恐れ、同年シーズンの投球回数を春季キャンプを併せて200イニング程度に抑える決定を下し、スライダーを投げることを事実上禁止した[5]。夏場にはローテーションを飛ばし、他の投手に投げさせたり[5]、最後に登板予定だったスケジュールをキャンセルした[7]。
2008年6月23日のニューヨーク・メッツとの交流戦にて、2回表に2死満塁で打席に立ち、右中間に満塁本塁打を放った。満塁本塁打はアメリカンリーグの投手では37年ぶり、マリナーズの投手では球団史上初であった。
2009年はシーズン開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のベネズエラ代表に選出された[8]。同大会では2勝を挙げ、ベネズエラの決勝ラウンド進出に貢献。
シーズンでは自身初の開幕投手やオールスター選出を果たしたほか、リーグ最多タイの19勝(5敗)で球団史上初となる最多勝のタイトルを獲得。勝率や被打率でもリーグ1位の数字を残し、奪三振数は自身初めて200を超えた。そのほか、月間最優秀投手を2度受賞するなど1年通して安定した投球内容でチームを支えた。サイ・ヤング賞レースではザック・グレインキーに敗退し受賞はならなかったものの、ジャスティン・バーランダー、CC・サバシア、ロイ・ハラデイといった好投手を抑えて2位を記録した。
2010年8月25日のボストン・レッドソックスとのダブルヘッダー第2戦でデビッド・オルティーズから空振り三振を奪い、球団史上4人目、また史上3番目の若さでの通算1000奪三振を達成した[注 2][9][10]。最優秀防御率のタイトルを獲得。また、2年連続で最小被打率を記録したほか、先発登板数・投球回・クオリティ・スタート数でも1位、奪三振数・WHIPで2位、完投数・完封数で3位を記録。