フェリックス・パパラルディ
出生名Felix A. Pappalardi Jr.
生誕1939年12月30日[1]
出身地 アメリカ合衆国 ニューヨーク ブロンクス区[1]
死没 (1983-04-17) 1983年4月17日(43歳没)[1]
学歴ミシガン大学[1]
ジャンルハードロック、ブルースロック
職業ミュージシャン、歌手、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー
担当楽器エレクトリックベース、ボーカル、ヴィオラ、ピアノ、ハモンドオルガン、メロトロン
活動期間1960年代 - 1983年
レーベルA&Mレコード
共同作業者ヤングブラッズ
クリーム
マウンテン
クリエイション
フェリックス・パパラルディ[注釈 1](Felix Pappalardi、1939年12月30日 - 1983年4月17日[1])は、アメリカ合衆国のロック・ミュージシャン、音楽プロデューサー。
1960年代にクリームを初め様々なバンドやミュージシャンのアルバム制作に参加してアレンジャーや音楽プロデューサーを務めた。1960年代末から70年代半ばにかけて、創生期のアメリカン・ハードロックの代表格の一つであるマウンテンのベーシスト兼ヴォ―カリストとして活動した[1]。 マンハッタンのハイ・スクール・オブ・ミュージック・アンド・アート 大学卒業後、ニューヨークに戻ってアレンジャーや音楽プロデューサーとして仕事を行うようになった[1]。1960年代前半にはグリニッジ・ヴィレッジのフォーク・ミュージシャン達と旧交を温め、トム・パクストン
来歴
プロデュ―サー及びアレンジャーとして
1966年、RCAレコードと契約を結んだヤングブラッズのアルバム制作にプロデューサーとして携わった。詳細は「ヤングブラッズ (1960年代のバンド)#来歴」を参照
1967年5月、アトランティック・レコードのトム・ダウドによってクリームのプロデューサーに起用され[6][4]、エリック・クラプトン、ゲイル・コリンズ(英語版)[7][注釈 2]と「ストレンジ・ブルー」を共作し[1]、セカンド・アルバム『カラフル・クリーム』をプロデュースした[8][9][注釈 3]。さらに『クリームの素晴らしき世界』(1968年)と『グッバイ・クリーム』(1969年)では、キーボード、ヴィオラなど様々な楽器を演奏した[4][10][注釈 4]。さらにジャック・ブルースがクリーム解散後に発表した初のソロ・アルバム『ソングス・フォー・ア・テイラー』(1969年8月)のプロデュースも担当した[4]。詳細は「クリーム (バンド)#経歴」を参照
1967年、ロングアイランド出身のヴァグランツ(英語版)[11]というバンドのシングルに曲を提供してプロデュースも担当した[12]が、ヒットには結びつかなかった[1]。1969年にBud Prager[注釈 5]とウィンドフォール・レコード(英語版)を設立。ヴァグランツのギタリストだったレスリー・ウェストのソロ・デビュー作『マウンテン(英語版)』(1969年7月)にプロデュース、曲作り、演奏で参加し[13]、ウィンドフォール・レコードから発表した。