フェリックス・ナダール
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ナダールのセルフ・ポートレート

ナダール(Nadar 、本名ガスパール=フェリックス・トゥールナション Gaspard-Felix Tournachon 、1820年4月6日 - 1910年3月21日)は、フランス写真家。数多くの文化人や重要人物を撮影し肖像写真家として名を馳せたほか、風刺画家ジャーナリスト小説家気球乗り・飛行技術研究家としても活躍した。


目次

1 生涯

1.1 生い立ち

1.2 戯画家

1.3 肖像写真・空中写真

1.4 気球と飛行技術

1.5 普仏戦争と気球部隊

1.6 晩年


2 ナダールによる19世紀後半の有名人たちの肖像写真

3 参考文献

4 外部リンク


生涯
生い立ちナダールの息子ポールと日本の第2回遣欧使節団、1863年

ガスパール=フェリックスは1820年にパリリヨンとする資料もある)で産まれた。ガスパール=フェリックスは巨体で赤毛で、放浪癖のある若者だった。両親はリヨン出身で、父ヴィクトルはパリに出て書店主・出版業者として成功していた。若い頃のガスパール=フェリックスは、父に反抗してしばしばパリの貧民街などに移り住んだ。ガスパール=フェリックスはその後リセ・コンドルセ(コンドルセ中学、Lycee Condorcet)で学んでいる。

1837年の父ヴィクトルの死後、ガスパール=フェリックスはリヨンで医学を学んだが、財政的支援もなく母や弟の生活の面倒も見なければならなかったため、生活の糧を探すほうが先決だった。ガスパール=フェリックスはリヨンの新聞各紙にさまざまな記事を寄稿した後、パリに戻り新聞へ詩人たちやボヘミアン的な生活を送る芸術家を主人公にした小説などを書いていた。この時期、芸術家の友人たちはガスパール=フェリックスを「トゥールナダール」(Tournadar)とあだ名した。ガスパール=フェリックスはすべての単語の語尾に「ダール」(dar)をつけて話す遊びをよくしていたため、友人はトゥールナションの代わりにガスパール=フェリックスをトゥールナダールと呼んだのである。これが後に省略され、「ナダール」という通り名になった。

ナダールの生活は極めて厳しく、さまざまな注文に応えて小説や戯画を書いて糊口をしのぐ毎日だったが、友人たちの財政支援でナダールは「ル・リーブル・ドール」(Le livre d'or)という雑誌を発行することができ、その編集長となった。知識豊かなナダールはバルザック大デュマオノレ・ドーミエといった小説家や画家たちと協力し雑誌を成功させたが、わずか9号で廃刊せざるを得なかった。
戯画家ナダールによる風刺画。ジェラール・ド・ネルヴァルの肖像

ナダールはこの後、戯画家として活動することになる。「Le Corsaire-Satan」への寄稿をきっかけにナダールは石版画へと転向する。フランス2月革命前夜の1848年初頭に風刺新聞『ル・シャリヴァリ』(Le Charivari)の風刺画家となった。

1848年3月30日、ナダールは兄とともにナダールスキーの偽名を使ってポーランドに渡り、当地の革命を助けようとしたが逮捕され、鉱山での労働という刑を受けた。ナダールは本国フランスへの強制送還の措置を断って自力でパリに帰ろうとし、ザクセン王国領内でプロイセン王国政府関係者により取り調べられるなどの苦難にあいながら帰国した。パリに戻ってすぐ、今度は当時の政府の外務省幹部となっていた出版業者・編集者ピエール・ジュール・エッツェル(Jules Hetzel)によってエージェントの職を打診される。ナダールはポーランドでの苦難にもかかわらずこの話に乗り、プロイセン国境でのロシア軍の動向を調査するために出国した。

1849年には雑誌「ラ・ルヴュー・コミック」(Revue comique)、「ル・ジュルナル・プル・リール」(Petit journal pour rire)などの風刺新聞を発行する。この時期のナダールの仕事には、「ル・ジュルナル・プル・リール」誌のために執筆した風刺画シリーズ(たとえば1852年の『展覧会の風刺』、『魔法のランプ』)が挙げられる。特に、1851年から始めて1854年に完成した、当時の重要人物300人以上を描いた風刺肖像画シリーズ『パンテオン・ナダール』はナダールの名声を高めた。
肖像写真・空中写真

ナダールの写真スタジオ、1860年にキャプシーヌ大通りに移転してからのもの。多くの有名人が肖像撮影に訪れたほか、第1回印象派展もここで行われた

1854年、余裕のできたナダールはサン・ラザール街(Rue Saint-Lazare)にある建物へ移転した。日光のよく入る部屋をアトリエにして、ナダールは新技術である写真による肖像の探求に打ち込み、ここで写真スタジオを開いた。当時、写真はダゲレオタイプに代わり湿式コロジオン法が開発され、普及するなど技術革新が進み、パリ中に写真館が登場し、肖像写真を撮ってもらうことがブームとなっており、ナダールの写真館も軌道に乗り始める。


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