この項目では、自動車メーカーのフェラーリについて説明しています。
F1チームでモータースポーツ部門については「スクーデリア・フェラーリ」をご覧ください。
その他の用法については「フェラーリ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
フェラーリ
Ferrari N.V.
マラネッロにある本社正門
種類株式会社
市場情報NYSE RACE
フェラーリ (Ferrari N.V. ) は、イタリア、エミリア=ロマーニャ州モデナ県マラネッロに本社を置く自動車メーカー。
概要エンツォ・フェラーリ
イタリアの元レーシングドライバー兼レーシングチームオーナーのエンツォ・フェラーリによって、イタリア北部のモデナ近郊に1947年に設立されて以来、主にレーシングカーと高性能スポーツカーのみを製造している自動車メーカー[3]である。
F1世界選手権やFIA 世界耐久選手権等に参戦するモータースポーツコンストラクターとして長い歴史を有しており、F1選手権で唯一1950年の開幕より参戦を続けている。なお、現在フェラーリ社内で市販車部門とレーシングカー部門は別部門とされているが、両部門はマーケティングや人的交流などで密接に繋がっている。
レーシングカーと高級スポーツカーのみを少量生産するという創業当時からの一貫した哲学に加え、ピニンファリーナやスカリエッティ(英語版)などのカロッツェリアとともに創り上げてきたエンジンルームにまで及ぶ美しいデザイン、さらにはF1をはじめ、FIA世界耐久選手権やル・マン24時間レース、ミッレミリアやタルガ・フローリオなど数々のレースで活躍し、幾多の伝説を残していることから、イタリアのみならず世界的にも極めて高い人気とブランドイメージを持つ。
設立以来独立した運営を続けていたが、1969年にアニェッリ家率いるフィアット・グループの事実上の傘下に入り、1988年のエンツォの死により大規模な株式の移動があり、さらに2016年にはフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)から離脱独立した[4]。しかし、その後もFCAの大株主のアニェッリ家と、その持ち株会社のエクソールが経営に影響力を持ち続けており、FCAの影響を大きく受ける子会社的存在である。
前史
ソチェタ・アノーニマ・スクーデリア・フェラーリ設立
スクーデリア・フェラーリのアルファロメオとベニート・ムッソリーニ(車内)、エンツォ(左から2番目)、タツィオ・ヌヴォラーリ(右から3番目)、ルドルフ・カラツィオラらと
1929年12月に、アルファロメオのレーシングドライバー[5]で、その後アルファロメオのディーラー「カロッツェリア・エミリア・エンツォ・フェラーリ」の経営をしていたエンツォ・フェラーリがレース仲間と共に「ソチェタ・アノーニマ・スクーデリア・フェラーリ (Societa Anonima Scuderia Ferrari)」」を創設した。当初は裕福なモータースポーツ愛好家をサポートする、アルファロメオのディーラーチームであり、4輪の他にオートバイ部門もあった[6]。
1932年に息子のアルフレードが生まれたことで、エンツォはドライバーを引退してチーム運営とアルファロメオの正規代理店に専念し、1933年にアルファロメオがワークス活動を休止するとマシンを借り受け、セミワークスチームとしてイタリア政府のサポートも受け、タツィオ・ヌヴォラーリなどの強力なドライバーを擁して数々の勝利を記した[7]。
その後チームは1938年にアルファ・コルセへ吸収合併されるが、翌年エンツォが経営陣と対立し、「フェラーリの名では4年間レース活動を行わない」という誓約を残して退社した[8]。
アウト・アヴィオ・コストゥルツィオーニ設立
アウト・アヴィオ・コストゥルツィオーニ 815(1940年)
1940年にエンツォは、アルファロメオとの誓約項目を避けるために、退職金で「アウト・アヴィオ・コストゥルツィオーニ(Auto Avio Costruzioni)」という自動車製造会社をモデナに設立し、最初の自らの手によるモデル「815」を生産し、4月28日から行われたミッレ・ミリアに参戦し好成績を上げた[8]。
しかしその直後の6月10日に、イタリアがイギリスとフランスに宣戦布告し、第二次世界大戦に参戦した[9]。